* [[宮脇淳子]]は、一然が檀君神話を創った意図を「『三国遺事』が書かれた13世紀後半というのは、ちょうど朝鮮半島がモンゴル人の支配下に入った時期だったからです。それまで30年の間に6回もモンゴル軍に高麗全土を荒らされていた間、高麗王と政府は[[江華島]]に逃げこんでいました。しかし、実権を握っていた武人がとうとう[[クーデター]]で倒されて、高麗王は太子をモンゴルに派遣しました。高麗の太子(後の[[元宗 (高麗王)|元宗]])の息子は、[[フビライ]]の皇女と結婚し、これ以後、代々の高麗王の息子はモンゴルの皇女と結婚して元朝皇帝の側近となり、妻方でモンゴル風の生活をしました。そして、父王が亡くなった後に高麗に戻って即位したのです。高麗王室は残されたものの、朝鮮半島の統治のために[[征東行省]]が置かれ、高麗は実質的には元の一地方に成り下がりました。こうした中、食料や毛皮、あるいは人間まで様々なものが収奪されても、文句ひとつ言えなかった。そうした惨めな状況から、朝鮮の民族主義を鼓舞する意図があった」と述べている<ref>{{Cite book|和書|author=宮脇淳子|authorlink=宮脇淳子|date=2013-08-08|title=韓流時代劇と朝鮮史の真実|series=|publisher=[[扶桑社]]|isbn= 978-4594068745|page=26}}</ref>。* [[浦野起央]]は、「[[高句麗]]は、[[朝鮮半島]]とも[[漢民族]]の歴史とも関係のない[[民族|異民族]]が建国した国家である。それを中国は、高句麗史を中国の地方政権の歴史として、韓国の歴史認識を封じ込めんとした」として、「高句麗が領土としていた朝鮮半島北部地域が[[中国人]]が建国した[[箕子朝鮮]]・[[衛氏朝鮮|衛満朝鮮]]の故地であり、[[漢四郡]]([[楽浪郡]]・[[臨屯郡]]・[[真番郡]]・[[玄菟郡]])が所在した地域であることから、韓国・北朝鮮が歴史事実による檀君神話をもって建国ナショナリズムの発揚と接合して歴史認識を確認」し、「韓国は、建国神話と歴史事実を混同させつつも、現在の政治[[イデオロギー]]を抑え込もうとすることへの対決と走った」と述べている<ref>{{Cite journal|和書|author=[[浦野起央]]|title=朝鮮半島の領土論争|journal=[https://www.publication.law.nihon-u.ac.jp/political/political_50_1.html 政経研究]|ISSN=0287-4903|publisher=日本大学|date=2013-06|volume=50|issue=1|pages=69-70|naid=110009581336|url=https://www.publication.law.nihon-u.ac.jp/pdf/political/political_50_1/each/05.pdf|format=PDF}}</ref>。* 李鍾旭({{lang-ko|이종욱}}、[[西江大学校|西江大学]])は、「檀君朝鮮は、[[20世紀]]のはじめ、侵略に抵抗するナショナリズムにより、創作された歴史<ref>{{Cite book |author=이종욱|date=2006-12-30|title=민족인가, 국가인가? |series= |publisher=소나무출판사 |ISBN=8971396121}}</ref><ref>{{Cite news |author=|url=https://www.donga.com/news/Culture/article/all/20070116/8396213/1 |title=“한국사의 정통성은 신라에… 고구려 중심사관 폐기해야”|newspaper=[[東亜日報]]|publisher=|date=2007-01-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210903034839/https://www.donga.com/news/Culture/article/all/20070116/8396213/1 |archivedate=2021-09-03}}</ref>」「建国神話は建国過程を[[神話|神話化]]・[[説話|説話化]]したものであり、そのまま歴史として受け入れることはできません。しかし、神話を歴史的な話に転換する必要があります。檀君神話では檀君は1908歳まで生きていた。もちろん歴史的事実とみなすことはできません。ここでは、檀君が一人ではなく、少なくとも数十人いたという解釈が可能となるでしょう。このような神話的年代を歴史的年代に変換する作業が必要になります<ref>{{Cite news|author=|date=2005-10|title=『高句麗史는 고구려 사람의 눈으로 다시 보아야 한다』|newspaper=[[月刊朝鮮]]|publisher=|url=http://monthly.chosun.com/client/news/viw.asp?nNewsNumb=200510100023|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211022234103/http://monthly.chosun.com/client/news/viw.asp?nNewsNumb=200510100023|archivedate=2021-10-22}}</ref>」と述べている。* Lee Chung Kyu({{lang-ko|이청규}}、[[嶺南大学校|嶺南大学]])は、「壇君は神話だ」として、壇君神話は、時として悪用され「[[排外主義]]や極端な[[ナショナリズムム]]」につながっており、「古朝鮮の初期は国家として認識できず、特に同質民族による[[国民国家]]ではない」と語っており、この時期はむしろ、氏族・部族社会の特徴が強かった可能性が高く、統一された[[王国]]の形成は、そのかなり後になってからだ、と指摘している<ref name="Reuters"/>。
* 李鮮馥({{lang-ko|이선복}}、{{lang-en|Yi Seon-bok}}、[[ソウル大学校|ソウル大学]])は、「われわれはよく、われわれ自身を[[檀君]]の[[親族|子孫]]と称し、5000年の悠久な歴史をもつ[[単一民族国家|単一民族]]であると称している。この言葉を額面どおり受け入れれば、韓民族は5000年前にひとつの民族集団としてその実体が完成され、そのとき完成された実体が変化することなく、そのまま現在まで続いたという意味になろう。しかしこの言葉は、われわれの[[歴史認識|歴史意識]]と[[民族主義|民族意識]]の鼓吹に必要な教育的手段にはなるであろうが、客観的[[証拠]]に立脚した[[科学|科学的]]で[[歴史|歴史的]]な[[事実]]にはなりえない」と述べている<ref>{{Harvnb|金|2012|p=52-53}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=이선복|date=2003|title=화석인골 연구와 한민족의 기원|series=韓國史市民講座 Vol.32|publisher=일조각|isbn=|pages=64-65}}</ref>。
* 鄭安基([[高麗大学校|高麗大学]])は、「果たして[[民族主義|民族意識]]が[[皇民化|皇民化政策]]によって、そんなにもたやすく抹殺されるものなのか、についても疑問です。実は[[民族]]とは、[[20世紀|二〇世紀]]初葉に朝鮮人が日本の統治を受けるようになってから発見された、[[想像]]の政治的共同体です。実体性が欠如した想像の集団意識であるため、民族はむしろ強靭な生命力を持っています。我々は檀君を始祖とした拡大家族としての運命共同体だ、という歴史意識がまさにそれです。朝鮮人は、植民地期を経ながら民族としての『正体/民族的アイデンティティ』を発見し、彼らの歴史と伝統文化に対し自負心を持ち始めました」「そのせいか[[1940年|一九四〇年]]に[[朝鮮総督府]]は、『[[風俗]]・[[慣習]]・[[言語]]・[[意識]]の次元にまで及ぶ朝鮮人の完璧な皇民化は、少なくとも三〇〇年の歳月を要する至難の課題だ』と言っています。一朝一夕に朝鮮人の強固な民族意識をそぎ落とし、[[日本人]]に改造することはできない、と見たのです。それで皇民化政策は突飛にも、多くの朝鮮人にとってまだ馴染みのなかった[[檀君|檀君神話]]をはじめ、[[新羅]]の[[花郎]]や[[李氏朝鮮|朝鮮王朝期]]の[[李舜臣]]などを呼び出し、朝鮮人の民族意識を鼓吹しました。民族の[[神話]]・[[叙事]]・[[ヒーロー|英雄]]を通し、砂のように散らばった朝鮮の民衆を[[帝国]]の国民に統合しようとする努力でもありました。総督府の皇民化政策を朝鮮民族の抹殺政策と見なすことほど、歴史の複雑な実態と矛盾を単純化する稚気はありません」と述べている<ref>{{Cite book|和書|editor=李栄薫|editor-link=李栄薫|date=2020-09-17|title=反日種族主義との闘争|series=|publisher=[[文藝春秋]]|isbn=4163912592|pages=109-110}}</ref>。