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=== 伝承 ===
おしら様は、女の病の治癒を祈る神、目の神、子の神<ref group="注釈">おしら様は子ども好きな神様だといわれ、各地に、子どもたちと遊んでいるところを注意した大人が逆に祟られたり、火事から家を守ったなどの話が伝わる。長谷川(1999)p.262</ref>としてのほか、[[農耕神]]として[[田植え]]、草取り、穀物の刈り入れなどに助力するともいう。また『遠野物語拾遺』には、かつては狩人が[[狩猟]]の際、どちらの山に行けばいいかを知るため、おしら様の神体を両手に持ち廻し、その馬面の向いた方角へ行く風習があったため、おしら様は「お知らせ様」であろう、とあるとしてのほか、農耕神として田植え、草取り、穀物の刈り入れなどに助力するともいう。また『遠野物語拾遺』には、かつては狩人が狩猟の際、どちらの山に行けばいいかを知るため、おしら様の神体を両手に持ち廻し、その馬面の向いた方角へ行く風習があったため、おしら様は「お知らせ様」であろう、とある<ref name="tono_shuui" />。[[地震]]、[[火事]]などの予知力もあり、『遠野物語拾拾遺』では、おしら様を鉤仏(かぎぼとけ)と称し、正月16日の「おしら遊び」の日に子供たちが1年間の吉凶善悪の神意を問うたという。地震、火事などの予知力もあり、『遠野物語拾拾遺』では、おしら様を鉤仏(かぎぼとけ)と称し、正月16日の「おしら遊び」の日に子供たちが1年間の吉凶善悪の神意を問うたという<ref name="tono_shuui" />。この起源を中国の『[[捜神記]]』(晋代[[干宝]]撰)、『神女伝』(唐代)に求める説がある(「[[蚕馬|蚕女]]」)。おしら様信仰誕生の背景に山神信仰や、養蚕作業、生活の糧の馬に対する信仰その他が混ざり、原初的な多様な性格を有する神として成立したものとする見方もある。この起源を中国の『捜神記』(晋代干宝撰)、『神女伝』(唐代)に求める説がある(「蚕女」)。おしら様信仰誕生の背景に山神信仰や、養蚕作業、生活の糧の馬に対する信仰その他が混ざり、原初的な多様な性格を有する神として成立したものとする見方もある<ref name="sinwadensetu" />。伊勢地方の[[天白神]]、または[[中国神話]]の「[[蚕馬]]」を原型とする見方もある。。伊勢地方の天白神、または中国神話の「蚕馬」を原型とする見方もある。
=== 由来譚 ===

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