河童は、間引きされた子供の遺体が河原にさらされている姿との説もある。江戸時代には間引きは頻繁に行われており、他の子供に間引きを悟られないよう大人が作った嘘とも言われている。
頭の皿について、民俗学者の折口信夫は『河童の話』<ref>折口信夫『古代研究II』223–252項、中公クラシックス、2003年</ref>の中で、皿などは食物を載せるための物で、つまりは生命力の象徴であるとしている。膳椀何人前と書いた紙を塚や洞、淵などに投げ込んでおくと、翌日には要望どおりに食器が揃えてあるが、借りた数を返さなかった日から貸してくれなくなった、というような、「椀貸し淵」などの呼び名で知られる伝承では、伝わる地域によって貸し主がはっきりしない例や変化している例が多く、狐や龍宮と並んで、河童が器を貸してくれるとする所もある。川上から箸や椀が流れてきたという隠れ里にまつわる話や、それに関する迷い家(マヨヒガ)のケセネギツ(米櫃)<ref>柳田國男『遠野物語』</ref>、淵に薪などを投げ込むと恩返しで富貴になる話などは、椀などの器が生命力から富の象徴になったこと、椀と水の縁を示すものとされる<sup>要出典、2017年11月29日 (要出典、2017年11月29日 (水) 01:42 (UTC))</sup>。
また折口は、壱岐の殿川屋敷で女が井戸に飛び込み、底に椀が沈んでいるという話も紹介した。これについては、古くから水の神に捧げる嫁あるいは生け贄や、水に関わる土木工事での女の人柱が多く伝承されていることを挙げ、平戸に伝わる女河童の例で、ある侍屋敷に下女がいて皿を一枚落として割ったので主人が刀で斬りつけると海に逃げ、その姿を見れば河童であったという話を引いている。
また江戸時代にはカッパに関する専門書も発行されていた。古賀侗庵が文]3年(1820年)にまとめた資料集『水虎考略』や、『水虎十二品之図』坂本浩然・坂本純沢編(刊年不明)などが知られている<ref>2005 , https://www.ndl.go.jp/nature/cha3/index.html , 第3章 珍禽奇獣異魚 - 描かれた動物・植物, 国会図書館 , 2012-06-10}}</ref>。
=== 現在の河童 ===
[[昭和]]以降の日本でも、河童らしきもの目撃談<ref>[[中山市朗]]『妖怪現る』(遊タイム出版、1994年)など。</ref>や足跡が見つかった事件
<ref>[http://gakkenmu.jp/archive/6653/ 1991年 河童が人家に入りこんだ?『ムーSPECIAL 戦後日本オカルト事件FILE』(学研プラス)]</ref>があり、実話[[怪談]]集やオカルト本に収録されることがある。[[ツチノコ]]などと並んで日本を代表する[[未確認生物]]として扱われることもある。未確認生物ではあるが、動物の集団の仲間に入れられることもある([[十二支]]の[[竜]]と同様)。
妖怪的な存在としては珍しく、愛くるしい姿で描かれることも多い。河童伝説のある地の[[地域おこし]]などを担う[[マスコット]][[キャラクター]]のみならず、水に関する[[企業]]のマスコット、河川・湖沼の[[水質汚染]]防止や[[環境保護]]の啓蒙を担う[[公共機関]]のマスコットなど、そのキャラクター性を様々に利用されている。また、水辺環境保全運動においては、河童が併せ持つ怖ろしさと愛嬌が巧く活かされている(『[[#水辺環境保全|水辺環境保全]]』節にて詳説する)。
== 各地の伝承 ==