== 各地の伝承 ==
地域により細部の違いがあるが、[[#茨城県(牛久沼と小川芋銭)|茨城県]]同様、[[愛媛県]][[西予市]]の若宮神社や[[岐阜県]][[飛騨]]地方でも、「悪さをした河童を許したり河童の腕や手を拾って返したりしたら、人助けしてくれた」といった河童の恩返し伝説が伝わる。地域により細部の違いがあるが、茨城県同様、愛媛県西予市の若宮神社や岐阜県飛騨地方でも、「悪さをした河童を許したり河童の腕や手を拾って返したりしたら、人助けしてくれた」といった河童の恩返し伝説が伝わる。
=== 九州 ===
[[九州]]には九千坊と呼ばれる河童の元締めにまつわる伝説がある九州には九千坊と呼ばれる河童の元締めにまつわる伝説がある<ref>本堂清『河童物語』 批評社 2015年 ISBN 978-4-82-650630-4 pp.18,36.</ref>。九千坊は九千匹の子分を持ち、[[球磨川]]・[[筑後川]]を本拠として[[西海道]]一円の河童を束ねているという。九千坊の悪さに怒った[[加藤清正]]が、九州中のサルを集めて退治したという伝説もある。九千坊は九千匹の子分を持ち、球磨川・筑後川を本拠として西海道一円の河童を束ねているという。九千坊の悪さに怒った加藤清正が、九州中のサルを集めて退治したという伝説もある<ref>石川純一郎『河童の世界』新版 時事通信社 1985年 ISBN 978-4-78-878515-1 pp.83-84.</ref>。
[[壇ノ浦の戦い]]に敗れた[[平家]]の武士たちは散り散りになって九州に逃れた後、[[源氏]]の追っ手に次々と打たれ死んでいったのだが、その打ち滅ぼされた平家の落人の霊魂は河童となり、九州各地で田畑を荒らし、人民牛馬を川に引きずり込むなどの悪戯を働いたとされる。壇ノ浦の戦いに敗れた平家の武士たちは散り散りになって九州に逃れた後、源氏の追っ手に次々と打たれ死んでいったのだが、その打ち滅ぼされた平家の落人の霊魂は河童となり、九州各地で田畑を荒らし、人民牛馬を川に引きずり込むなどの悪戯を働いたとされる。
==== 豊前国 ====
[[大分県]]の中津市耶馬溪町に鎮座する[[雲八幡宮]]では、古くから「河童楽」という河童封じの神事(通称:河童まつり)が行われている。それは河童を中央に囲み、楽を奏し、唐団扇(とううちわ)と言われる大きな団扇で仰ぐことにより荒ぶる河童の霊魂を鎮めるというもので、その後は河童の神通力によって村の平和は守られたと言い伝えられている。筑後国に伝授されたものと河童楽由来記は伝えるがいつ頃から始まったのか定かでなく、筑後にもその伝承が残っていない。現在、大分県無形民俗文化財として指定されており、少なくとも江戸中期ごろかそれ以前より毎年夏の例大祭に奉納されている。大分県の中津市耶馬溪町に鎮座する雲八幡宮では、古くから「河童楽」という河童封じの神事(通称:河童まつり)が行われている。それは河童を中央に囲み、楽を奏し、唐団扇(とううちわ)と言われる大きな団扇で仰ぐことにより荒ぶる河童の霊魂を鎮めるというもので、その後は河童の神通力によって村の平和は守られたと言い伝えられている。筑後国に伝授されたものと河童楽由来記は伝えるがいつ頃から始まったのか定かでなく、筑後にもその伝承が残っていない。現在、大分県無形民俗文化財として指定されており、少なくとも江戸中期ごろかそれ以前より毎年夏の例大祭に奉納されている。
==== 筑後国 ====