<blockquote>石祠の周りを冷水に耐えて歩き、水を濁すと滋雨が降るといわれている。雨が降ったときに池の水が濁ることが由来だそう。儀式では代表者が石祠に御神酒を注ぎ、周囲を3回まわりながら棒で池底をつついて水を濁す。<ref>[https://nagano-citypromotion.com/nagalab/favorite/favorite12579/ 樋知大神社(ひじりだいじんじゃ)]、ナガラボ(最終閲覧日:24-11-25)</ref></blockquote>
という祭祀を行っているとのことである。賀茂系の日本人は、三輪山伝承とか、玉依姫の婚姻譚とか「つつく話」が好きだなあ、と思う。かつてなにがしかの火を燃やす祭祀も山で行っていたのであれば、この雨乞いの祭祀は下社のお船祀りに類する祭祀がよくよく簡略化されたものと考える。「雨乞い」という観点からは、やはり干ばつを起こす疫病神を慰撫して鎮める、というものであると思う。「石祠に御神酒を注ぐ」点は、[[黄帝]]の一形態である[[羿]]に酒を飲ませて殺した宴の再現劇、「周囲を3回まわる」のはに[[祝融]]に相当する息子が酒を飲ませて殺した宴の再現劇、「周囲を3回まわる」のは[[祝融]]の一形態である[[伏羲]]が、妻を殺すために追い回した惨劇の再現劇、「池底をつつく」のは[[黄帝]]に殺された[[蚩尤]]を[[祝融]]に生まれ変わらせるための再現劇で、全体としては干ばつの神様に
「'''こうして生まれ変わらせてあげたのだから、祟らないでください'''」
となるので、趣旨としては犀龍と同じ女神といえる。聖山で燃やしていた薪が、正確には「何の薪」だったのかは分からない。柴などの薪であれば、犬神とその妻をばらして焼く火であったと思われる。小泉小太郎の伝承の通り、もし'''萩の薪'''だったりしたら「彦神別神」を頂く犀川西岸の金刺氏に対する嫌がらせといえる。聖山は犀川の東側にあって、古代においては東信の文化圏に入るので、山で何を燃やしたのかは気になるところである。
ということで、樋知大神社は最終的に真言宗高峰寺の管轄になり、祭祀も寺で行っていた。別に修験道の僧侶の皆様が悪い、とかそういうわけではないのだが、そうなることで古い時代の神々の本当の姿が減じたり、滅したりしたものがあるのではないか、と思う。仏教の影響がなければ、
== 参考文献 ==