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鉢伏山は「頂上が鉢を伏せたように平らになっている」という意味から鉢伏山という、とされているようだ。松本市側の麓、中山に近い所に牛伏寺という真言宗智山派金峯山という古刹がある。この寺は鉢伏山などの近辺の山々の山岳信仰に関わっており、お寺の紋は上社の諏訪梶と思われる。でも、なぜ上社の紋が寺紋なのかしっかりとは明らかにされていないように思える。鉢伏山から諏訪方面に流れる横河川という川があるが、この川がつくる扇状地の扇頂部には出早雄小萩神社がある。こちらは下社の諏訪梶が神紋で、諏訪神の子神である出早雄命(いづはやをのみこと)と小萩命(こはぎのみこと)が祀られている。鉢伏山の山頂には諏訪湖の方を向いていくつかの石祠があり、「鉢伏大権現」「鉢伏太神」「小萩」「日本第一軍神」などの文字が解読できるとのこと<ref>[http://tateshina-times.jp/?p=9439 鉢伏山(岡谷市)]、たてしなの時間(最終閲覧日:24-11-23)</ref>。鉢伏山の山頂には、現在は牛伏照寺の牛伏権現と称して蔵王権現を祀っていたとのことだが、かつては出早雄命(いづはやをのみこと)や小萩命(こはぎのみこと)が祀られていたのではないか、と管理人は考える。「鉢伏大権現」や「日本第一軍神」というのは、諏訪神か出早雄命のことではないだろうか。出早雄命の「いづ」とは「天津」が変形した言葉で、本来は「天津早雄命」というのではないか、と管理人は考える。「'''早'''」とは「'''伊農波夜'''」の言葉どおり、天甕津日女命の夫である出雲の犬神のことと考える。天甕津日女命を「厄払いの女神」とした場合、同じ性質を持つ男性の神で対になるのは'''大国主命'''なので、出雲の犬神「早」とは、出早雄命でもあり'''大国主命'''のことでもある、と管理人は考える。諏訪神を頂点とする諏訪信仰では大国主命も子神に編入されてしまうのだ。鉢伏山の山頂に、犬神・出早雄命が住んでいて、彼と諏訪湖の女神との子供が泉小太郎だから、小太郎は父の住む山の麓の中山で産まれたのではないだろうか、とまず管理人は考えた。犬神の子供だから、神話的なパターンにのっとって小太郎は産まれてすぐ捨てられてしまうのである。それは実は北東アジアでは'''「一国の王」の出生譚としても相応しい典型的な神話'''なのだ。
長野市信州新町竹房地区に八布施山という山があり、武八布施神社という神社がある。このあたりは古代において布制氏あるいは布施氏という氏族が活動した地域で、犀川から千曲川の東側を、竹房地区あたりから少なくとも小布施の辺りまで活動していたとみえる。この地域には布施氏の名前に由来する神社や地名がいくつもある。(松本市中山も犀川の東側といえば東側だ。)竹房地区には他に武富佐神社という神社があり、ここでは祭神の一柱に「'''速瓢(はやち)神'''」という名が見える。「'''速'''」という名があるので、これも出雲由来の犬神、すなわち'''大国主命'''のことと考える。「'''速瓢(はやち)'''」というのは「'''疾風(はやて)'''」のことでもあるのではないだろうか。駒ヶ根の光善寺ではこの犬神のことを「'''はやて'''」と読んで「'''早太郎'''」としているし、静岡の見付天神では「'''しっぷう'''」と読んで「'''しっぺい太郎'''」としているように思う。布施氏の祖神は大彦命で、この神の名の「大」を「多」とすれば、布施氏は多氏の一派といえるし、出雲的に「意宇」と読めば出雲の氏族ともとれる。意宇郡には布自奈神社という神社があり、大国主命(大穴持)を祀る。松本市の鉢伏山も元は、布施氏に由来する'''八布施山'''と言ったのではないだろうか。そして'''信濃布施氏は、犬神である大国主命を奉祭する氏族'''だったのではないだろうか、と管理人は考える。だったのではないだろうか、と管理人は考える。だから、松本の中山(鉢伏山)が小太郎の出生の地、であることを引用して、「'''小太郎の出生地は犀川沿いにある長野市信州新町の八布施山'''」というように書き換えてみた。そうすれば、諏訪からは遠いけれども、犀竜と夫の犬神が存在する地として相応しいと考えたからだ。どのみち彼らが活躍する場所は、山清路や久米路峡であって諏訪からは遠い地なのだから。
== 参考文献 ==

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