漢代の図像には、世界樹の頂上に座す西王母がみられ、東王父が出現する以前は、'''西王母が世界樹である桑の木の頂上に座す'''、と考えられていたようである。母系社会には「父」というものは存在しないので、これが古い時代の西王母の図像であったのではないか、と考える。
また、日本神話との比較から述べると、日本神話では織女達を統括し、支配するのは太陽神である天照大神である。とすると、桑と養蚕を支配する'''西王母とは、本来、太陽女神であった'''とはいえないだろうか。河姆渡文化のレリーフでいえば、'''「鳥が運んでいる太陽」そのものが西王母の原型だった'''のだと考える。しかし、西王母は時代が下るにつれて、中国では「太陽女神」としての性質が失われるので、取り残された鳥の従者達に「太陽神」としての性質が移されたのではないか、その過程には故意があったのではないか、と個人的には思う。のだと考える。しかし、西王母は時代が下るにつれて、中国では「太陽女神」としての性質が失われるので、取り残された鳥の従者達の一部に「太陽神」としての性質が移されたのではないか、その過程には故意があったのではないか、と個人的には思う。
ともかく、「桑」を、西王母を頂上に抱く「世界樹」として考えた時、その根元は水の中や、あるいは混沌の中にあり、それらの中には「蛟がいる」と考えられていたのではないだろうか。メソポタミア神話、イラン神話等でも、「世界樹」の根元には蛇が巣くうことが多い。その起源は、少なくとも古代中国の西王母と桑の木にまで遡ると考える。水の中の蛇、とは当然いわゆる「'''河伯'''」でもあっただろう。世界樹の根元に巣くうのは、人身御供の乙女を妻として求める蛇の河伯だったといえる。