=== まとめ ===
というわけで、特に4については、「ハイヌウェレ型」の神話ではない、と私は思う、というのが最大の結論である。
岩見の狭姫の伝承は、鳥仙女の開拓の伝承を残して当然、と思う人々の非常に強い意思に基づいて残されたものなのではないだろうか、と思う。そして、イラン神話では、霊鳥シームルグは必ずしも雌であるとはされないが、タジキスタンの民話では「母なるシームルグ」とたびたび呼ばれており、この霊鳥の本来の姿は雌であることと、人々に助言を与えて助けるその姿は狭姫の姿と大きく重なり、母系の鳥仙女の性質をうかがい知るのに重要だと感じる。
一方、ハイヌウェレの神話は、強力な女神ムルア・サテネと、殺される下位の女神ハイヌウェレが存在し、ハイヌウェレの死は、彼女が種芋に変身するというよりも、「黄泉の神」に嫁入りして種芋を生む、というのがその本質、というか本来の神話であったのではないか、と思う。ハイヌウェレ神話的な祭祀で殺される娘は、「死んだ神(=黄泉の神)」に扮した祭祀者の妻にされて殺される。妻になった上で、彼女からは芋や椰子が生まれることが期待されるのである。
そして、こうやって殺された娘に、「黄泉の国」での強力な権力を与えて、結局アドーニスやタンムーズを殺す権利を与えてしまっているのが、西方の人々のすごいところだと思う。つまり、ハイヌウェレ神話の最大の類話であり、ハイヌウェレのこの世界での最大の姉妹は、ギリシア神話の「ペルセポネ-」なのである。ムルア・サテネはデーメーテールに相当する。ハーデースのペルセポネー略奪の神話を「ハイヌウェレ型神話」と定義してくれれば、私はイェンゼンを許そうと思う。