「メヘン(ゲーム)」の版間の差分

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セネト・ゲームはメヘン・ゲームよりも更に古く紀元前3500年頃([[wikija:ナカダ文化|ナカダ2期]](紀元前3500年~3200年 ))の墓から発見されているようである。セネト(Senet)という言葉を子音で分解すると「(K)S-N-T」ということになる。最初の子音の「K」音は省略されやすい音でもあるため、これはおそらく[[wikija:セクメト|セクメト]](Sekhmet)という名を縮めたものではないかと思われる。[[wikija:セクメト|セクメト]]は[[wikija:古代エジプト|古代エジプト]]における獅子頭女神の一柱であり、[[wikija:ヒエログリフ|ヒエログリフ]]を見る限りでは、コブラやハゲワシもトーテムとして有していたと思われる。[[wikija:セクメト|セクメト]]は同じく獅子頭を持つ女神[[wikija:テフヌト|テフヌト]]と同一視される場合があり、[[wikija:テフヌト|テフヌト]]は[[メヒト]]と同一視されることもある女神であったから、[[wikija:セクメト|セクメト]]も[[メヒト]]も同一とみなすことも出来得るであろう。いずれも「人の運命を握る獅子頭の女神」であって、この女神に「人生のゲームの可否を求める」という考え方が、[[wikija:ナカダ文化|ナカダ2期]](紀元前3500年~3200年)の頃には[[wikija:古代エジプト|古代エジプト]]人の中に誕生していたといえよう。おそらくメヘン・ゲームも、[[wikija:セネト|セネト]]も「獅子頭の運命の女神に運命を占って貰う」というような意味から派生しており、地域や時代によって次第に呼び方や遊び方が少しずつ分かれていったものなのではないだろうか。
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セネト・ゲームはメヘン・ゲームよりも更に古く紀元前3500年頃([[wikija:ナカダ文化|ナカダ2期]](紀元前3500年~3200年 ))の墓から発見されているようである。セネト(Senet)という言葉を子音で分解すると「(K)S-N-T」ということになる。最初の子音の「K」音は省略されやすい音でもあるため、これはおそらく[[wikija:セクメト|セクメト]](Sekhmet)という名を縮めたものではないかと思われる。[[wikija:セクメト|セクメト]]は[[wikija:古代エジプト|古代エジプト]]における獅子頭女神の一柱であり、[[wikija:ヒエログリフ|ヒエログリフ]]を見る限りでは、コブラやハゲワシもトーテムとして有していたと思われる。[[wikija:セクメト|セクメト]]は同じく獅子頭を持つ女神[[wikija:テフヌト|テフヌト]]と同一視される場合があり、[[wikija:テフヌト|テフヌト]]は[[メヒト]]と同一視されることもある女神であったから、[[wikija:セクメト|セクメト]]も[[メヒト]]も同一とみなすことも出来得るであろう。いずれも「人の運命を握る獅子頭の女神」であって、この女神に「人生のゲームの可否を求める」という考え方が、[[wikija:ナカダ文化|ナカダ2期]](紀元前3500年~3200年)の頃には[[wikija:古代エジプト|古代エジプト]]人の中に誕生していたといえよう。おそらくメヘン・ゲームも、[[wikija:セネト|セネト]]も「獅子頭の運命の女神に運命を占って貰う」というような意味から派生しており、地域や時代によって次第に呼び方や遊び方が少しずつ分かれていったものなのではないだろうか。<br>
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また、[[wikija:セクメト|セクメト]]と[[メヒト]]が同じ女神であるというのであれば、[[wikija:セクメト|セクメト]]と[[メヒト]]は、本来「セク-メヒト(Sekh-mehit)」と呼ばれており、[[wikija:セクメト|セクメト]]は「[[メヒト]]」の「ヒ(hi)」が省略され、[[メヒト]]は前半部分の「セク(Sekh)」が省略されたものなのだと思われる。
  
 
== 関連項目 ==
 
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* [[wikib1:運命を定めるM:ヒエログリフ|運命を定めるM:ヒエログリフ]]
 
* [[メヒト]]
 
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* [[メヘン]]:[[メヘン]]と[[メヒト]]の関連性について
 
* [[メヘン]]:[[メヘン]]と[[メヒト]]の関連性について

2014年5月17日 (土) 20:51時点における最新版

メヘンの1例

メヘンは古代エジプトのボードゲームである。ゲームの名は神話上の蛇神メヘンに関連している。

歴史

メヘン・ゲームはおおよそ紀元前3000年に始まり、紀元前2300年まで続いた。エジプト古王国ヘシラの墓の壁画に、このゲームの分かりやすい図がいくつか描かれている。また、これは約紀元前700年の墓にも描かれている。ただし、紀元前700年の墓では、誰かゲームそのものをよく知らない人が古王国時代の浮き彫りを写したもののようで、盤が間違って花瓶と解釈されているようである。

墳墓の壁画の研究によると、盤は信仰の対象というよりは、むしろゲームとして描かれていることが知られており、ゲーム盤と付属品が発見されている。ゲームの付属品はどれ一つとして、蛇のコマにきちんと収まるものがなかった。ゲームの遊び方やルールは完全には分かっていない。

ゲーム盤と駒

ゲーム盤はとぐろを巻いたヘビとして現され、その体は長方形の分節で区切られている。いくつかの盤は分節の数が異なっており、はっきりと分節を区別する印や装飾が無いものもあった。分節数がまちまちであることは、その数そのものがゲームにとってそれほど重要ではなかったことを示している。ゲームの付属品は駒と、駒ではないものとがある。考古学的な物証から、ゲームはライオンあるいは雌ライオン型の駒を3~6セットと数個の小さい玉(大理石の玉)を使って行われたようである。

私的解説

メヘン・ゲームの名の由来はメヘンという蛇神であるが、この名は獅子頭の女神メヒトと近縁性の高い名であり、メヒトメヘンは本来同じ神であったと考えられる。ゲームの駒の形がライオンであることも、そのことを示唆しているといえよう。

セネト・ゲームとの関連性について

セネト・ゲームはメヘン・ゲームよりも更に古く紀元前3500年頃(ナカダ2期(紀元前3500年~3200年 ))の墓から発見されているようである。セネト(Senet)という言葉を子音で分解すると「(K)S-N-T」ということになる。最初の子音の「K」音は省略されやすい音でもあるため、これはおそらくセクメト(Sekhmet)という名を縮めたものではないかと思われる。セクメト古代エジプトにおける獅子頭女神の一柱であり、ヒエログリフを見る限りでは、コブラやハゲワシもトーテムとして有していたと思われる。セクメトは同じく獅子頭を持つ女神テフヌトと同一視される場合があり、テフヌトメヒトと同一視されることもある女神であったから、セクメトメヒトも同一とみなすことも出来得るであろう。いずれも「人の運命を握る獅子頭の女神」であって、この女神に「人生のゲームの可否を求める」という考え方が、ナカダ2期(紀元前3500年~3200年)の頃には古代エジプト人の中に誕生していたといえよう。おそらくメヘン・ゲームも、セネトも「獅子頭の運命の女神に運命を占って貰う」というような意味から派生しており、地域や時代によって次第に呼び方や遊び方が少しずつ分かれていったものなのではないだろうか。
また、セクメトメヒトが同じ女神であるというのであれば、セクメトメヒトは、本来「セク-メヒト(Sekh-mehit)」と呼ばれており、セクメトは「メヒト」の「ヒ(hi)」が省略され、メヒトは前半部分の「セク(Sekh)」が省略されたものなのだと思われる。

関連項目

参考文献

  • ジョイス・A・ティルデスレイ(Joyce A. Tyldesley): 「エジプトのゲームとスポーツ(Egyptian Games and Sports)」、(= Shire Egyptology, Band 29)、オスプレイ出版(Osprey Publishing)、2008、ISBN 0747806616、page 15 & 16
  • ジョイス・A・ティルデスレイ(Joyce A. Tyldesley): 「古代エジプトの神話と伝説のペンギン本(The Penguin Book of Myths and Legends of Ancient Egypt)」、Penguin UK, Oxford 2010、ISBN 014196376X, page 92 & 93.
  • ピーター・A・ピッキオーネ(Peter A. Piccione): 「メヘン、とぐろを巻いた蛇の謎と復活(Mehen, Mysteries and Resurrection from the Coiled Serpent)」、「アメリカのエジプト調査センター誌(Journal of the American Research Center in Egypt)」、27. Ausgabe. Eisenbrauns, Winona Lake 1990, ISSN 0065-9991, page 43 – 52.
  • ベネディクト・ロシュフラー(Benedikt Rothöhler): 「エジプトのボードゲーム、セネト(Ägyptische Brettspiele außer Senet)」、unveröffentlichte MA-Thesis. Philosophische Fakultät I der Bayerischen Julius-Maximilians-Universität, Würzburg 1997, page 10 – 23.