エラ

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エラの護符
アッカド語のエラ叙事詩の一部を刻んだ疫病除けの護符(タブレット)
material:石、銅
created:紀元前800年~612年
period:新アッシリア時代[1]
place:アッシュール
location:Room 55, 大英博物館,
London
id:British-Museum-db 118998
id=369099
エラが戦ったとされる都市
エラ叙事詩が発見された場所

エラ(Erra)(またはイラ)は、紀元前8世紀の「叙事詩」において、アッカドの疫神とされている。[2]また、エラは騒乱と疾病の神で、政治的混乱をもたらすとされている。「エラ」という現代的な題をつけた叙事詩の中の本文に続く奥付で、ダビビの子孫であると述べている作者のカビティ・イラニ・マルドゥクは、エラ自身がカビティに送った幻影の内に示した文章を、自分はただ書き連ねただけであると述べている。[3]

叙事詩は神への祈りから始まっている。エラは妻(母神マミとは異なる女神であると考えられている)と共に絶え間なく眠っている。しかし、エラは相談相手であるイシュムと、天と地の息子達であるシビッティ(またはセベッティ)[4]という7柱の僕(この僕達は「比類無き闘士」として繰り返し述べられている)によって起こされる。そして彼らはそれぞれアヌによって破壊的な役割を与えられたのである。マシニストとサッソン(1983)は、彼らを「人格化された武器」であると述べた。シビッティはエラに人類を全滅させるように求めた。イシュムはエラの沸き上がる獰猛さを宥めようとしたが、無駄であった。バビロニアを侵略する異国人は疫病に倒れ、バビロンの守護神であるマルドゥクですら、しばらくの間エラにその玉座を譲ったのである。タブレットIIとIIIは、エラとイシュムの議論で占められている。その後、エラはバビロンシッパルウルク、ドゥルクリガルズ、デアで戦いに赴いた。世界はめちゃくちゃになり、高潔な人々も、不誠実な人々も同じように殺し合った。エラは、バビロンの敵を滅ぼして仕事を終えるように、とイシュムに命じた。そしてエラは恐るべき7柱の僕達と共に、エメスラムにある座所に戻り、そうして人類は救われた。[5]神を宥めるための祈祷師はその役割を全うした。

この詩はバビロニアの信仰にとって中心的なものであったと思われ、紀元前1千年紀の遺跡のうち、少なくとも5箇所(アッシュールバビロンニネヴェ、スルタンテプ、ウル[6])から36部の写しが発見されている。カーニは、これはギルガメシュ叙事詩の写しが発見された数を上回ると指摘している。[7]

学術的には、叙事詩に示された霊視と歴史的事実は一致しないけれども、この詩はメソポタミアにおける歴史的騒乱を神話的に解釈したものとして一部の読者に受け入れられている。詩人は(タブレットIV:3で)神に向かって「神よ、その恐ろしい力を捨てて、人のように成り給え。」と懇願している。

エラ叙事詩の文章は、完成してまもなく特別な意味を持つものと考えられるようになった。人々は、文章の一部を護符に刻んで、魔除けと疫病除けのお守りとしたのである。アッカド語で書かれた叙事詩群から、「7柱の僕」の名前は詩により様々に変化していることが分かるが、その数は「7柱」で不変である。

エラ叙事詩が刻まれている5つのタブレットは、1956年に初めてその内容が出版された。[8]そして、更なる発見に基づく改訂版が1969年に登場している。[9]こうして、おそらく叙事詩の70%程度は再現されることとなった。[10]

バルター・ブルケルトは、「エラと7柱の僕の神話」は古代ギリシア人の間で、広く歴史的基盤となる物語とみなされていた「テーバイ攻めの七将」の物語と一致する、と特に言及している。[11]

関連項目

原文

参照

  1. イスラエル王国が滅亡したのはこの時代である。
  2. エラはネルガルの別名とされている。(「ネルガル」より)
  3. カビティ・イラニ・マルドゥクの名はランバートによって出版されたアッシュールバニパル王の図書館の「文章と著者のカタログ」の中にも認められる。
  4. ギリシア神話の中でティーターンは「天と地の息子達」とされている。ギリシア神話におけるティーターンは地底に封じ込められており、彼らが時々暴れると地震がおきると、古くは信じられていたようである。
  5. ネルガルの信仰の中心地はクターという都市であり、そこのネルガル神殿のことをエメスラムと言った。
  6. エラ叙事詩のタブレットのうち、数枚は確実な出所がわかっていない。(マシニストとサッソン 1983:221 note 2)
  7. L. Cagni, '"The Poem of Erra" SANE 1.3 (1977).
  8. フェリックス・ゲッシュマン著「エラ叙事詩」(1956年)。 ジョージ・スミスは「ルバラの功績」として、1875年に「カルデア人の起源の考察」の第8章で叙事詩の断片を紹介している。ジョージ・スミスは19世紀のイギリス人アッシリア研究者である。そして、ルバラとは、ニヌルタという神の別名であり、新バビロニア(紀元前625~539年、ユダ王国を滅ぼした国である。)の時代には、ネルガルとも同一視されていたようである。(The Chaldean account of Genesis, Chapter VIII The Exploits Of Lubara
  9. カーニ著 L'Epopea di Erra in Studi Semitici 34, (Rome: Istituto di Studi del Vicino Oriente), 1969. Critical edition.
  10. マシニストとサッソン 1983:222.
  11. ブルケルト 1992:108ff.
  12. [8]項を参照