アリンナ

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子供を抱くヒッタイトの女神、アナトリア、紀元前15~13世紀
ドイツ語版Wikipedia:[1]Sonnengöttin von Arinna
「太陽女神」という意味の楔形文字

アリンナは「アリンナの太陽女神」dUTU URUとして知られているヒッタイトの太陽女神信仰の中心都市であった(アリニッティと考えられる)。アリンナはヒッタイトの首都ハットゥシャ近郊に存在した。[1]アリンナという名はアリニッティの代わりとしても使用された。

アリンナの太陽神は、ヒッタイトにおける主な3柱の太陽神の内、最も重要な女神であった。この女神の他に「空の太陽神(UTU nepisas)」と「地の太陽神(UTU taknas)」が存在していた。

いくつかの文献から、夫ではなく彼女自身が主神であるとみなされていたことが分かる。女神の配偶神は天候神であるテシュブで、彼らと子神達は全てハッティ族の神殿に起源を持っている。

女神はまた、地下世界あるいは大地の最高神であるとも考えられていた。そして後にフルリ人の女神ヘバトと習合した。

紀元前14世紀の王であるムルシリ2世は、特にアリンナの女神に対する信仰に熱心であった。

私的解説

上:シェン・リングを含む太陽の象徴
下:有角獣(月)の象徴

ヒッタイトの首都ハットゥシャ(現ボアズカレ)の近郊に存在した都市アリンナは、太陽女神の神殿が存在しただけでなく、製鉄所が置かれて鉄の産地であったことも知られている。そのため、アリンナは鉄の産地であるという点と、宗教都市という2重の意味で、ヒッタイトの王達にとって重要な都市であった。
アリンナの太陽女神の楔形文字は右図のようになる。左から「神」を意味する(d)(発音しない音)、「太陽」を意味する楔形文字、「URU」と読む発音しない楔形文字、となっている。「UTU」というのはシュメール語で「太陽」を意味する言葉であるため、ヒッタイトでは書き文字としては楔形文字で現し、読み方は独自の太陽女神の名前を充てて読んでいたものと思われる。人によって、この文字を「ヘバト」あるいは「イスタヌ」等と読んでいたのであろう。
一番右側に位置する「URU」という楔形文字は、他にも首都ハットゥシャを現す際にも「URUHattuşa」として使用されている。またこの楔形文字は、メソポタミアの都市ウルク(現在のイラク南部に存在した)にも使用されている。ウルクの都市神はイナンナという女神であるが、その一方でウルクの伝説的な王にギルガメシュという人物がいる。この王は実在性が高い人物と言われているが、死後神格化されてギルガメシュ叙事詩という文学作品の主人公とされている。叙事詩によると、この王の母は「ニンスン(Ninsun)」という女神とされ、この女神のトーテムは牝牛である。要するにウルクの王家には、古くから牛を先祖に持つと考える「牛信仰」が入り込んでおり、シュメールエンキ神に代表される山羊トーテムとはやや異なる民族が早くから台頭してきていたことが覗える。この都市の名に使われている「URU」という楔形文字は、おそらく「牛」に関連する神名や地名に用いられた文字で、その起源はメソポタミアに由来し、アナトリア半島に伝播したものと思われる。
アナトリア半島では古くより地母神と牡牛を組み合わせた信仰が盛んであり、それはヒッタイトの太陽女神とその夫の有角獣(牛)の象形文字にも受け継がれている。「URU」という言葉の「U」は「B」の子音と交通性があるため、古くは「B(u)r(u)」という言葉で表されたと思われるが、この牡牛信仰と結びついた「(B)uru」という言葉が、後には「牡牛」を指す一般名詞となり、英語の「牡牛(bull)」という単語へと受け継がれていると思われる。ヒッタイトにおいて、発音しない「URU」という楔形文字が神名に見られる理由は、牡牛信仰の国である、ということも示しているのであろう。
一方、ヒッタイトから出土した「子供を抱く女神の像」を見ると、古代エジプトにおける「ホルスを抱くイシスの像」と類似していることが分かる。古代のアナトリア半島メソポタミアとエジプトの両方の文化の影響を受けていた地域といえる。
余談ではあるが、トルコの首都イスタンブル(Istanbul)は、「Istan-bul」とすることができる。この言葉の直接の語源は定かでないが、ヒッタイトの時代にまで遡れば、これは太陽女神の名に「bul(牡牛)」という言葉を付け加えたもので、まさにヒッタイトの太陽女神の楔形文字をそのまま読んだ言葉となる。
また、地理的にはトルコと大分離れた場所であるが、アフガニスタンの首都はカーブル(Kabul)という。「Ka-bul」という言葉の内、前半の「Ka」はメソポタミアにおけるエンキ(Enki)のキ(ki)と同語源と思われる。「bul」という言葉が「牡牛」を指すのであれば、カーブルとは非常に古い言葉で「牡牛のキ神(メソポタミアにおけるエンキ)」という意味になり、かつては牛トーテムの信仰が非常に広範囲に広がっていたことを示す言葉とも成り得よう。

関連項目

参照

  1. ブライス、トレヴォ(Bryce, Trevor)(2004)。ヒッタイトの生活と社会(Life and Society in the Hittite World)pp. 142–143.

外部リンク

参考文献

  • ハンス・G・グーテルバッハ、「太陽女神に対するムルシリの祈りとその意味(An Addition to the Prayer of Muršili to the Sungoddess and Its Implications)」、アナトリア研究(Anatolian Studies) (1980)

原文