ピニキル

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ピニキルはエラムの母神であり、一部の学者はキリリシャと同一視してきた。[1][2]

私的解説

図1、エラムの位置
図2、紀元前4000年の壺に描かれた図
図3、神名の変遷(主に男神)

ピニキル(Pinikir)は北部エラムの中心都市スーサの太母であった。スーサは紀元前3200年頃には建設されていた都市であるため、ピニキルの起源はそれ以前に遡ると考えられる。この女神の子音は「P-n-k」となり、フェニキアフェニックス(Phoenix)と近似している。また、ピニキルは「天の女王」と呼ばれており、その性質はシュメールにおけるニンフルサグに似ていると思われる。
ピニキルの名は「Pi-nikir」に分けられると考えられる。前半の「Pi」はおそらく「KB」で現される太陽女神群から最初の「K」という子音が略されたものであろう。後半の「N-K」はメソポタミアのニンキ(Ninki)(ニンフルサグの別名)に類似した子音である。このように考えると、ピニキルやフェニックスという神名は、「(K)B+Ninki」というように「KB」群の太陽女神とニンフルサグの名を合成したものであることが分かる。そして「KB」群の太陽女神とニンフルサグは、特にメソポタミア以外の地では、どちらも「太陽女神」として同じもののように扱われていたのであろう。
原エラム時代(紀元前3200~2700年)よりも古い時代の壺に、山羊と太陽の図柄が描かれていることから、この太陽が後の時代のピニキルであると考えられる。また、この図からピニキルには古来よりの配偶神(トーテムはメソポタミアエンキと同じく山羊)が存在したことと思われるが、古い時代のエラムは母系の力が強かったようで、女神の存在の方が重要視されていたようである。
しかし、紀元前2千年紀半ばになると男神フンバンがピニキルの配偶神として台頭してきたようである。この時期は古エラム時代(紀元前2700~1600年)の初期であり、エラム地方はメソポタミアの支配下に置かれた時期であった。そのため、メソポタミアの男系的な文化が流入し、男神が台頭したものと思われる。エラムを支配したメソポタミアの勢力の主神は月神シン(Sin、アッカド語ではシンシュメール語ではナンナ)であった。シンのトーテムは牡牛であったようである。この時期、シンを守護神とする都市ウルや、雌牛のニンスンを母神とする都市ウルクが強い勢力となっており、メソポタミアとその周辺地域では「牛トーテム」を奉ずる氏族が台頭してきたと思われる。その勢力がエラムにも及び、男神が台頭することとなったと思われる。そのように考えるとフンバンのトーテムは「牛」であった可能性が高いと思われる。
シン(Sin)を構成する子音は、「(K)S-n」であるため、その名はメソポタミアにおけるエンキ、あるいは古代エジプトの月神クヌムから派生したものと考えられる。一方、エラムの主神とされたフンバン(Khumban)は「K-(b)u-m-b-n」という子音構成である。このことから、特にクヌム(Khnum)という名は「K-b-m」という子音のうち、真ん中にある「b」の子音が省略されたものであることが推察される。その一方、最初の「K」という子音が略されると「P-N」という子音が残る。
この「P-N」という子音は、特に「鳥」をトーテムに持つ神の名によく見られるようである。しかし、近東地域においては、ピニキルのように「太陽女神」の最初の「K」の子音が略された場合と、ベンヌのように「男性形の月神」から発展した名とが混在しており、この子音のみで、共通のトーテムや性質があるとみなすことは無理なようである。ただし、フェニキアの太陽鳥はヘバトとほぼ同一とみなせるため、ピニキルとフェニックスは同語源なのであろう。それは、元々メソポタミアの周辺地域の古き母系社会の太陽女神の名であったのである。

関連項目(Wikipedia)

関連項目

外部リンク

Wikipedia以外

参照

  1. 「ケンブリッジ古代史第1巻第2章・中東の初期の歴史(The Cambridge Ancient History Volume 1, Part 2: Early History of the Middle East)」第3版(1971年10月31日出版)、エドワード、ケンブリッジ大学出版、p.665
  2. 「神々や悪魔のラトリジ辞典(The Routledge dictionary of gods and goddesses, devils and demons)」、第2版(2004年5月27日)、ルーカー

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