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2014年5月14日 (水) 10:59時点における版
ヘバト(Hebat) |
---|
名前:ヘバト(Hebat) |
配偶神:テシュブ(Teshub) |
子神:シャッルマ(Sarruma、男神)、 アランズ(Alanzu、女神)、 イナラ(Inara、女神) |
別名:ケバ(Kheba)、 ケパト(Khepat) |
ヘバト(Hebat)(またはケバ(Kheba)あるいはケパト(Khepat)と音写される女神)はフルリ人の母神であり「すべての生命の母」として知られていた。[1]また、この女神は神々の女王でもあった。
目次
家族
ヘバトはテシュブの妻であり、シャッルマとアランズの母であり、更にイルヤンカという竜の娘の養母でもあった。
名前
ヘバトという名は南部メソポタミア起源で、神格化されたキシュ第3王朝の創設者であると考えられている。その名の音訳には異なるバージョンが存在している。例えば女性の名を示す語尾「t」は当初シリアやウガリットで使用されていた。フルリ語では女神の名は「ヘパ(Hepa)」と発音されていた可能性が高い。楔形文字の「h」の音は現代の言葉では時々「kh」と音訳される。アラム語時代(紀元前500~600年)には、この女神はハヴァ(イヴ)女神と同一視されるようになったと思われる。
アリニッティ
ヘバトは後に、ヒッタイトの太陽女神アリニッティと習合した。プドゥヘパ女王の祈りはこの事実をはっきり示している。[2]「我が神、アリンナの太陽女神、ヒッタイトの貴婦人、天と地の女王。アリンナの太陽女神、汝はあらゆる国々の工芸の女王! ヒッタイトにおいて、汝はアリンナの太陽女神の名そのものである。しかし、汝は杉の国ではヘバトという名で呼ばれている。」[3][4]
文化
ヘバトは古代の中近東全域で信仰されていた。この名は、この神の名前を付けた多くの女性の名前に認められる。アマルナ文書に記載されたエルサレムの王の名は「アブディ・ヘバ(Abdi-Heba)[5]」と記載されていたが、これはおそらく「ヘバトの僕」という意味である。[6]
この母女神は、後のフリギアの女神キュベレーに対応すると思われる。
私的解説
ヒッタイトは紀元前15世紀頃~13世紀末までアナトリア半島に存在した国で、青銅器時代にいち早く鉄器の産生が本格化した国家である。当時、鉄器の産生には自然風を利用しており、製鉄に適した強い風が吹く季節をヒッタイトでは重要視していた。そのため「季節の循環」を正確にもたらすと考えられていた太陽女神ヘバトが最高神として崇められていた。ヒッタイトは他民族国家であったため、それぞれの民族が自らの言葉で太陽女神の名を呼んだため、ヘバト女神は複数の名を持つこととなったのである。
本文中より、太陽女神を指す「ヘバト」という名前は本来「杉の国」という国での呼称であったことが分かる。「杉の国」というのは古代におけるフェニキア(現在のレバノン)のことで、この国は古代においてレバノンスギの産地であった。またヘバト女神の名に「t」という接尾語がついたのはシリアやウガリットであって、本来はヘバ(Heba)あるいはケパ(Khepa)という呼称であったであろう、とのことである。ウガリットの太陽女神はシャプシュ(Shapash)といい、「K」「S」「H」という子音には交通性があるため、ヘパト女神とシャプシュ女神は本来同じ神であったのであろうと思われる。
その一方「季節の循環」を象徴する「シェン・リング」はエジプトにおいてレピト、ホルスといった神の象徴でもあった。ヘパト女神の別名「シウス(Sius)」の子音のうち「u」は「p」の音と交通性があるため、おそらくこれはウガリットにおけるシャプシュ女神の象徴でもあったであろうと思われる。
そして、メソポタミア方面に目を向けると、シェン・リングは「Ω」という記号になって、ニンフルサグという女神の象徴となる。ニンフルサグという名は、「フル」が「山」、「サグ」が「頭」ということで、「山の頭の女神」を意味する。頭部が強調される神には古代エジプトのホルスがいる。
名前 | 象徴 | 性質 |
ニンフルサグ | Ω | 母神 |
ホルス | シェン・リング | 太陽神 |
ヘバト | シェン・リング | 太陽神 兼 母神 |
これらの神々を比較してみると、シェン・リングあるいはΩを持つ神は太陽神かつ母神であることが多いことが分かる。
ニンフルサグはメソポタミアでも古い時代から存在した女神で、キシュという都市に神殿が存在していた。一方、そのキシュで伝説的な女王とされているのがクババ(Kubaba)である。男系が優位な古代メソポタミアの王の中で、唯一「女王」と言われるのがこの女性だが、元は娼婦であったとも言われ、その実在性ははっきりしていない。古代メソポタミアでは、王権は男系であるが、一方それ以外の点では兄弟姉妹婚で財産を継承し、遺伝子だけを外部から調達してくるバビロニア的神殿娼婦制度が根強く残っていたため、このような伝統を象徴するのがクババという存在であったかもしれないと思う。この名は、メソポタミア以外では太陽女神の名であるため、本来ニンフルサグは「クババ」という名で、ホルス同様「頭部」で示される太陽神であったが、シュメールの神話が編成されていく過程で、
と分割・整備されたものであろうと思われる。都市キシュ(Kish)の名は、ヒッタイトの月神クシュフ(Kushuh)あるいはカシュク(Kaškuḫ; Kašku) と連続性があるため、本来キシュ(Kish)という言葉は太陽女神の夫である月神の名であって、この月神の妻が神としてはニンフルサグ、人間としてはクババとして現されているのではないだろうか。伝説の女王クババに定まった夫がいないのは、彼女が都市キシュを夫とした地母神的存在であるからだと考える。おそらくキシュという都市の名はヒッタイトの月神クシュフ(カシュク)に受け継がれたと思われるため、キシュという言葉がそもそも月神の名前を指すものでもあったと思われる。男性の月神と女性の太陽神が夫婦となる、という組み合わせは古代世界で広く認められるため、メソポタミアにおいては、
の組み合わせは
の組み合わせとほぼ同じものと考えられる。しかし、男性形の月神は時代が下ると性質に様々な拡がりが生じ、メソポタミア内においてすら、エンキ的な穏やかな神から、アッカドの月神シンのように王権の象徴とされる神まで多様な姿へ変遷している。おそらくヒッタイトにおいては、「王権の象徴」的な性質を持ち、かつ「太陽女神の夫」とみなされるような「月神」の性質はヘバト女神の夫であるテシュブに纏められ、一方「太陽女神の夫」としての性質が弱くなってしまった「月神」はクシュフ(カシュク)に纏められたのではないかと思われる。
αとΩ
「Ω」という文字はギリシア語のアルファベットにおいては、一番最後の文字となる。しかしこの「形」はアルファベットが誕生する以前から存在する「象形」ともいえ、本来はエジプトの「シェン・リング」とも共通した意味を持つ記号であったと思われる。この記号は、メソポタミアでは紀元前3000年頃より登場し、境界石に神々の姿と共に刻まれたとのことである。道路における「境界」はいままで来た道の「終わり」であり、新しい国の「始まり」ともいえる。また1年という時間も、現代風にいえば1月で「始まり」、12月で「終わる」。道路や、時間のように連続性があっても決まった単位で区切られるものがあるため、単純に「季節の循環」を示した「シェン・リング」は「1年」における最初や最後、道路における最初や最後を示す記号として扱われるようになったのだと思われる。
ヘバト女神の「目」で現される記号が2つある意味は、このように「始まり」と「終わり」という意味が、この記号の意味として定着してきたことを示すものであると思う。これを表に纏めると、右下のようになるであろう。
名前 | 右目 | 左目 |
ニンフルサグ | Ω | Ω |
ホルス | 太陽(シェン・リング) | 月(シェン・リング) |
ヘバト | 始まり(シェン・リング) | 終わり(シェン・リング ) |
バロール | 通常の目 | 魔眼 |
ギリシャ語 | α | Ω |
男性形の「月神」は時として攻撃性の高い神として描かれることがあるため、「月」が「終わり」を示す不吉なものとされる思想が発生していたことも覗える。たとえば、ケルトの神であるバロールの左目が「魔眼」と呼ばれて、普段は閉じている不吉な目とされるのは、この目が「見たものを滅ぼすような不吉な目」と考えられていたからであろう。同様にその目が、見た人を全てを石に変える、と言われていたものにギリシア神話のメドゥーサがいる。メドゥーサの目はどちらかが不吉だということはなくて、両眼とも同じ力を持っていたように思える。おそらく本来は、どちらの目がどのような意味を持っていたかということはきちんと整備されておらず、各地方や各民族で異なる伝承があったのではないかと思われるが、少なくともホルスやヘバト女神の「目」の概念が整備された時点では、「シェン・リング」には「始まり」と「終わり」という意味が存在し、二つ併せて一組で意味を持つものと考えられていたのではないかと思われる。
おそらく、このような思想を受けてであろうが、メソポタミアから地中海周辺地域にかけては、その属性を問わず「地母神」とみなされるような女神群は両手にこの「Ω」の印を持つ姿で現されることが多いようである。
また、ヘバト女神の目に象徴されるように、このΩ(あるいはシェン・リング)は横向きであっても構わなかったようである。そのため、後には女神の右目の図像が、ギリシャ語のαへと変化したのであろう。
フェニックスとヘバト
本文中にもあるように、ヘバトとは本来フェニキアの太陽女神のことを指す名前であったようである。フェニキアには国を守る鳥として「フェニキアクス」という太陽鳥が存在し、それが後の「フェニックス(不死鳥)(Phoenix)」という鳥へと発展したようである。この鳥は太陽に関連した永遠を生きる鳥と言われ、何百年かに一度、自ら火の中へ飛び込んで死ぬが、その灰の中から再び幼鳥となって現れるといわれる神話上の鳥である。ヘバト女神の図像を見れば明らかなように、この女神は鳥の翼を持った太陽帽を被っており、この「太陽鳥」が女神のトーテムの一部であることが分かる。要するにフェニキアのフェニックスとはヘバト女神のことと思われる。
フェニックスという単語は「Ph-oe-ni-x」という子音に分けられ、「o」という子音は「b」と交通性があることから、
- 「P(h)-O(e)」 → 「B(h)-B(e)」
という音と交通性があることが分かる。これはシュメールの太陽神バッバル(Babbar)と共通した子音であり、メソポタミアの影響が強い名前であることが分かる。メソポタミアでは女神の場合「ニン(Nin)」あるいは「ニ(Ni)」という「蛇」を意味する子音がつけられることが多いため、楔型文字で
- ニ(ン)- バッバル
と書いていたものが、地中海東岸地域で逆読みになり
- バッバル - ニ(ン)
と読まれていたものが、フェニックスへと変化したものと思われる。この女神がメソポタミアの母神ニンフルサグと同様の性質を持っているのであるから、おそらくバッバルという神は本来女性形の神であり、それがニンフルサグでもあると見なされていたのであろう。キシュの伝説的女王クババの名と比較すれば、クババの「ク」が省略されたものが太陽神の名として使用されていたことが分かる。要するに、この点からもクババとニンフルサグがかつて「同じもの」であったことが覗えるのである。
カーヴェとヘバト
ペルシャの叙事詩「シャー・ナーメ」(1010年完成)における民族の英雄(かつカーレーン氏族の先祖)とされる鍛冶師のカーヴェ(Kaveh)を構成する子音は「Ka-veh」である。「v」という子音は「b」と交通性があるため、これは
- ケバ(Khe-ba) → カーヴェ(Kaveh)
と変化したものと分かる。ヘバト女神はヒッタイトにおける鉄の産生に重要な女神であって、その名はギリシア神話の鍛冶神ヘーパイストスにも受け継がれている。ペルシャの鍛冶師カーヴェは、ヘーパイストス同様、ヘバトが男性へと変更されたものと思われる。ただし、ギリシャ・ローマ方面において「奴隷の帽子」を被らされている鍛冶神とは異なり、カーヴェは民族の「祖神的存在」として敬われていたことが分かる。
関連項目
ヘバトと同一と思われる女神
ヘバトに関連すると思われる女神(神)
鍛冶神
その他
参照
- ↑ ベックマン G.(Beckman, G.): パンテオン A.(Pantheon A.) II. ベイ・デン・ヘシテルン(Bei den Hethitern.) In: エドザード D.O.他(Edzard, D. O. et al. (Hrsg.)): Reallexikon der Assyriologie und Vorderasiatischen Archäologie. ミュンヘン(Munich), 2010.
- ↑ プドゥヘパ(Puduhepa)は、紀元前13世紀のヒッタイトの妃(タワナアンナ)である。
- ↑ バッハ(Bach)、アリス(Alice) 「聖書に登場する女性達(Women in the Hebrew Bible)」、ラウトレッジ(Routledge); 1 edition (3 Nov 1998) ISBN 978-0-415-91561-8 p.171
- ↑ プドゥヘパ(Puduhepa)という女性の名前の一部にもヘパト女神を意味する「hepa」という言葉が含まれている。前半のプドゥ(Pudu)という言葉は「P-d」という子音で構成され、「p」は「b」、「d」は「t」と交通性があることを考えると「B-t」という子音と同じ意味の言葉となることが分かる。時代が下ってローマにまで行くとこれは「父」という言葉をも意味する子音となるが、本来「Bt」という子音はベレト・イリー(Belet-Ili)というメソポタミアの母神ニンフルサグの別名に使われる言葉であった。この言葉は、時代が下って、ソロモン王(紀元前950年前後?)の時代のイスラエル王国でベテホルンという、コロンの名前に接頭辞的に「BT」という言葉を付加した形での名前の街が存在するため、それよりも数百年時代が遡るヒッタイトでは「BT」という子音から構成される単語は
* 女神の名につける接頭辞
* 「輝ける」というような言葉を意味する単語
として使用されていたかもしれないと思う。「神」という言葉を意味する接頭辞的に使われているとすれば、プドゥヘパ(Puduhepa)とは「ヘバト女神」という意味ともなり得る。おそらくこの女性の名はヘバトにあやかってつけられたものなのであろう。 - ↑ アマルナ文書の多くは、エジプト第18王朝のファラオであったアメンヘテプ4世時代(紀元前1362年?頃~前1336年?頃)の外交政策と国際関係を示した史料である。この時代に、ユダヤ人はまだエジプトにいたと思われる。アブディ・ヘバは前イスラエル時代のエルサレムの王で旧約聖書に出てくるエブス人の王であろうと言われている。ここでは「アブディ(Abdi)」という言葉は「僕」と訳されているが、これもプドゥヘパの「プドゥ」と同様「BT」あるいは「BD」で構成される言葉といえる。この王は男性であったと思われるが、男女を問わず「BT」という言葉を接頭辞的に用いて、ヘバトにあやかる名を子供につける風習が広い地域にあったことが覗える。
エルサレムがユダヤ人の支配下に入ったのはダビデ王が征服した後のことであり、それはおそらく紀元前950年前後のことであろう。 - ↑ ドナルド・B・レッドフォード(Donald B. Redford)、 「古代のエジプト、カナン、イスラエル(Egypt, Canaan, and Israel in Ancient Times)」、プリンストン大学出版(Princeton University Press)、1992 p.270
外部リンク
- Hittite/Hurrian Mythology
- Cultures in Contact
- THE “EASTERN HITTITES”
IN THE SOUTH AND EAST OF THE ARMENIAN HIGHLAND?
注:ヘバト女神に関する論文では、性別が男性とされている場合があり、注意が必要と思われます。
画像提供サイト
- Anatolian civilizations museum Ankara
- Dick Osseman: I thank pictures of this site so very much.