第三話 化け猫

2020/04/01 北欧民話
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第三話 化け猫

 むかしむかし、ある所に水車場があった。その水車場はこのあたりではなく、どこか上(かみ)の地方にあった。けれども、小山の北か、南か、何処にあったとしても、それはとても妙な水車場だった。なにかがそこに出没するときは、何週間も、一粒の麦も挽けなかった。けれども、一番困ったことは、そこに出没するのがトロールドか、他のなにかだったとしても、水車場を焼いてしまうことだった。聖霊降臨祭の晩に二年続けて火事があって、すっかり焼けてしまったのだ。
 三年目の聖霊降臨祭が近づいてきたとき、水車場のすぐそばの主人の家に、主人の日曜着を縫いに仕立屋が来ていた。主人は聖霊降臨祭の晩に、――
「さあ、うちの水車場は今年の降臨祭の晩にも火事になるだろうか。」と、言った。
「ならないでしょう。」と、仕立屋は言った。「なるはずがないですよ、私に鍵を渡して下さい。私が水車場の番をしましょう。」
 主人は勇敢な男だと思った。それで、夕方になると、仕立屋に鍵を渡して水車場に案内した。此処は新しい建物だったから、中は空だった。そこで仕立屋は床の真ん中に座って、チョークを取り出して、自分の周りに円を描いて、その円の周囲全体に『主の祈祷(いのり)』を書いた。それがすむと、もう怖いものはなかった――悪魔がやって来ようと、怖くはなかった。
 ところが、真夜中になると、バーンと音をたてて、戸が一杯に開いた。そして数え切れないほどの黒猫の群が現れ、蟻のように密集していた。間もなく猫は鈩(いろり)の上に大きい鍋をかけて、その下に火を焚きつけたので、鍋はぶつぶつと煮え出した。鍋の中のものは、まるで松脂(まつやに)とタールのようだった。
「は! は! お前たちの計略(けいりゃく)はそれだな!」と仕立屋は考えた。
 こう思っていると、一匹の猫が鍋の下に前足を入れて、ひっくり返そうとした。
「前足を引っ込めろ、小猫さん。頬髭(ほほひげ)を焼いてしまうぜ。」
と、仕立屋は言った。
「わたしに、前足を引っ込めろ、小猫さん、といった仕立屋に気を付けろ。」と、その猫がほかの猫たちにいった。またたく間に猫たちは鈩のふちから、みんな逃げて行って、輪になって踊ったり、躍(と)んだりしていた。それから、急に前の猫はこっそりと鈩に行って、鍋をひっくりかえそうとした。
「前足を引っ込めろ、小猫さん。お前の頬髭を焼いてしまうぜ。」と、仕立屋はまた叫んだ。で、また猫共を鈩(いろり)の椽(ふち)から追いちらした。
「わたしに、前足を引っ込めろ、小猫さん、といった仕立屋に気をつけろ。」と、その猫が他の猫たちにいった。そして、みんな、また輪になって踊ったり、躍(と)んだりし始めた。それから、また急にみな鍋のところに集まって鍋をひっくりかえそうとした。
「前足を引っ込めろ、小猫さん。頬髭(ほほひげ)を焼いてしまうぜ。」と、仕立屋は三度目に叫んだ。こんどは猫をひどく、びっくりさせたので、猫は床の上でひっくりかえった。それから、また前と同じように踊ったり躍(と)んだりし始めた。
 それから猫たちは輪になって、近くに集まり、ますます速い調子で踊った。あまり速いので、とうとう仕立屋はめまいがし出した。猫は、とても大きい、みぐるしい目で仕立屋をみつめ、仕立屋を生きたまま丸呑みにせんばかりだった。
 ところで、猫の群(むれ)が精いっぱい速く踊(おど)っていたとき、たびたび鍋をひっくり返そうとした猫が、前足を円の内側に入れて、仕立屋を爪で引っ掻こうとしていた。けれども仕立屋はそれを見ると、すぐに鞘(さや)からナイフを引き抜いて、身がまえた。その時、猫がまた前足を差し入れたので、とっさにその前足を切り落とした。そうすると、猫達はみんなぎゃあぎゃあ鳴きながら、必死で戸に殺到して外へ逃げ出した。仕立屋は書いた円の中で横になって、朝お日様が床の上にきらきらとさしこんでくるまで眠った。そして起きると、水車場を閉めて持主の家へ行った。
 仕立屋が家にいくと、水車場の持主と女房は、聖霊降臨祭の朝なので、まだ起きていなかった。
「お早うございます。」と仕立屋は水車場の主人の部屋に入っていって挨拶(あいさつ)の手を差し延べた。
「お早う。」と主人はいって、仕立屋が無事なのを見て、ほんとうに喜び、驚いていた。
「お早うございます、おかみさん。」と、仕立屋は主人の女房に挨拶して握手を求めた。女房は「お早うございます。」とはいったものの、いかにも元気がなく、いらいらしていた。そして手は蒲団の下に隠していたが、しかたなく、左手を差し出した。
 そこで、仕立屋は事情をはっきりと悟った。けれども、主人になんといったか、またおかみさんをどうしたかは、わたしは何も聞いていない。

原文:003_cat.pdf

第二話 解説と註

2020/03/31 北欧民話
 怪物退治説話、怪物といっても一つ目小僧のような滑稽味もあり、座敷わらしや風の又三郎に似たところもある。ノルウェー神話には小人が多く出て来る。

ちび魔(ニッセ)  一歳ぐらいの幼児の大きさで、老人の容貌を具えている小さい魔物。衣服は普通には灰色で、尖った赤いキャップを被り、ミケルマス祭日には農民の被るような円い帽子を被る。このちび魔の住む農家は繁昌すると言い伝える。悪戯をするが、台所や厩舎を一夜のうちに掃除したり、馬の手入れをしたり、真面目な手助けとなることもするという。

ニッセについて

トムテ(スウェーデン語Tomtar、英語Tomte、ノルウェーとデンマークでは ニッセ(nisse)、フィンランドではトントゥ(tonttu)と呼ばれる)は、北欧の民間伝承に登場する妖精である。小さな子供くらいの大きさで赤い帽子をかぶり、農家の守護神とされている。優しい性格で農家に繁栄をもたらすが、一方で気難しく、大事に扱われなければその家や捨て去ってしまう。また、いたずらをされた場合には仕返しをする。北欧圏では、クリスマス(ユール)にはトムテに粥(ポリッジ)を供える習慣がある。
(Wikipedia「トムテ」より)
 解説にはミケルマスとの関連が書かれているが、民話にもあるように、クリスマスと関連のある妖精のようである。

ミケルマス祭について

 カトリック教会ではミカエルはガブリエル、ラファエルとともに9月29日が祝日になっており、これをミケルマス祭(聖ミカエル祭、Michaelmas)と呼んだ。カトリック以前からの古い祭礼であるらしい。

参考ミケル祭の聖者

第一話 解説と註

 末子成功説話、物臭太郎型、婿選び型、出雲神話の大国主命の話と類似する。尚印度に「クリシナの笛」がある。ATU570、The Rabbit-Herd.(穴ウサギ番)。典型的な物語である。

第二話 怪物の出る水車場

2019/06/19 北欧民話
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 第2話

 むかし、ある小滝の傍に水車場があった。
 その水車場にはニッセという小人がいた。この水車場の持ち主はけちで、皆がやるように、小麦がよく挽けるように、クリスマスにニッセへポリッジ(粥)とエール(麦酒)をやらなかった。おかげで、持主が水車に水を流すと、このニッセが車の心棒を止めて、動かなくするので、一粒の小麦も挽くことができなかった。
 水車の持主は、これはみんなニッセの仕業なのだということをよく知っていた。ある晩、主人は水車場にでかけて、松脂とタールを鍋に入れ、火にかけた。水車に水を流すと、少しの間は回るのだが、すぐにぱったりと停まってしまった。主人は、車を回そうして、心棒を拗(ねじ)ったり、上の方を肩で押してみたりした。けれども、なんの効果もなかった。そうしているうちに、松脂とタールの鍋は熱く煮え立ってきた。主人は水車のあるところに降りて行く梯子の上の揚げ蓋を開けた。すると、思った通りニッセが梯子の段の上に立って、顎を大きく開けていた。揚げ蓋がすっぽりと口に入るくらい、大きな口を開けていたのだ。
「こんな大きな口を見たことがあるか。」とニッセは言った。
 主人は、松脂とタールが煮えている鍋を、さっと取り上げると、松脂もなにもかも、ニッセの開いた口に投げ込んだ。そして、
「こんな熱い松脂に触ったことがあるか。」と、怒鳴った。
 すると、ニッセは水車を放し、恐しく叫び、喚いた。
 それから後は、水車場の水車が停まることはなくなった。小麦は何の差し障りもなく、簡単に挽けるようになった。

原文:002_nisse.pdf

第一話 オズボーンの笛

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第1話

 昔々、ある所に貧乏な農夫が住んでいたが、とうとう借りていた農地を地主に返さねばならない羽目になった。農地はなくなったが、農夫には三人の男の子がいた。上からピーター、ポール、オズボーン・ブーツといったが、三人とも家でぶらぶらしているだけで、少しも仕事をしようとしなかった。三人は、どんな仕事も自分達がやるにはつまらなく、満足出来ないものだと思っていたのだ。
 ところが、ある時、ピーターは王様が兎番を募集していると聞いて、父に「行きたい」と言った。ピーターは、「他でもない高貴な王様に仕えるのだから、その仕事は自分に向いている。」と言うのだ。年とった父親は、「それよりも、ピーターにもっと向いている仕事があるだろう。」と思った。王様の兎番をするものは、身軽で素早くなくてはならないし、なによりも怠け者であってはならない。兎が跳ねたり、飛んだりするのを番することと、あっちの家からこっちの家へぶらぶら遊び回って暮らすこととでは、まるで違うだろう、と思うのだ。ところが、父親の意見は何の効き目もなかった。
 ピーターは「絶対に行く。」と決めて、旅袋を背負って、ことことと小山を下って行った。ピーターが遠くへ行って、その遠くよりもまだ先へ行ったときに、一人の老婆に出会った。老婆は、木の切り株に突き刺さっている自分の鼻を必死に引き抜こうとしていた。ピーターは、老婆が鼻を抜こうと必死に引っ張っている姿を見て、大笑いした。
「そんなところで笑ってるんじゃない。」と老婆は言った。「ここへ来て、足の悪いあたしを助けておくれ。薪を少しばかり割ろうとしたら、鼻が突き刺さってしまったんだよ。ここに立って、引っ張ったり、揺すったりしてるから、何百年も食事もできないんだ。」と言うのだった。
 ピーターは、それを聞いてますます笑い転げ、ものすごく面白いと思った。「そんなに何百年も立っていたのなら、これからだって何百年もそうしていればいい。」とそう言った。
 ピーターは王様のご殿に着くと、すぐに兎の番人に召し抱えられた。番人の仕事は、難しいことではなくて、おいしい食べ物と、良い給金が貰えるし、おまけに、お姫様を妻にすることが出来るかもしれなかった。でも、もし兎を一匹でもなくしたら、ピーターの背中から赤い筋を三本切り取って、それからピーターを蛇がたくさんうようよしている穴に投げ入れる、と言うのだ。
 ピーターが兎小屋や農場にいる間は、兎を一まとめにして飼っていたが、日が経ち、兎を森に連れて行くと、みな飛んだり跳ねたりして、丘を走り下りたり、走り上ったりした。ピーターは、兎を追って、あちこち走り回り、一匹でも目につくうちは走り回っていたので、しまいには体が破裂するのではないかと思った。で、とうとう、最後の兎を見失ってしまったとき、ピーターの息はすっかり切れていた。そして、兎の姿はまったく見えなくなっていた。
 夕方になって、ぶらぶらと帰りながら、農場の柵のところに来て、兎を呼んだけれども、一匹も戻っては来なかった。お城に戻ると、王様はすでにナイフを持って待ち構えていた。王様はピーターの背中から三本の赤い筋を切り取って、そのあとへ塩と胡椒を擦りこんでから、ピーターを蛇のうようよしている穴に投げ入れた。
 しばらくすると、今度は弟のポールが「王様のお城へ行って兎の番をしたい。」と言い出した。年とった父親は、兄の時と同じ事を言ってきかせ、他にもいろいろと心配事を述べた。けれども、ポールは「ぜひ行きたい。行かなきゃならない。」と言うのだった。で、どうにも仕方がないので行かせたが、とどのつまりはピーターのときと全く同じで、良いことは起きなかった。老婆は同じ所に立っていて、木の切り株から自分の鼻を引き抜こうとしていた。ポールは、ものすごく面白いと思って笑い、老婆が必死で困っているのを見ながら、その場所を通り過ぎた。ポールはすぐに兎番に召し抱えられたし、誰も反対する者はなかった。けれども、兎はまたもや飛んだり跳ねたりして丘の下の方へ走って行ってしまった。ポールは駈け回って、暑さでふうふうと喘いだ。で、ポールが兎を一匹も連れないで、夜になって帰って来ると、王様は城の門のところでナイフを持って、ちゃんと立って待っていた。王様は、すぐさまポールの背中から三本の太い筋を切り取り、そのあとへ塩と胡椒を擦りこんでから、蛇の穴へ投げ入れた。
 それからしばらくたって、末の息子のオズボーン・ブーツがどうしても王様の兎番をしに行きたくなって、気持ちを父親に打ち明けた。ブーツは、森や野を巡り、野苺のしげみの傍らを通って、兎の群れを連れ歩き、その合間に日当たりの良い丘で横になって眠ったり、日向ぼっこをしたりするのは、自分にもってこいの仕事だろう、と思った。
 父親は、ブーツにも、「もう少し合った仕事があるだろう」、と思った。もし二人の兄弟より悪くなることがなくても、それより上手くいくとも思えなかった。王様の兎番をする男は、靴に重しが付いているんじゃないかと思うようなのろまや、油を舐めている蝿のようにもたもたしていてはならない。兎が日当たりのよい小山の坂で跳ねたり飛んだりしているのを集めるのは、手袋をはめて蚤を捕まえるのとは全然わけが違うからだ。その仕事を、罰を受けずにやり遂げるには、普通に身軽で素早いだけではだめだった。風船や鳥の羽よりも、早く飛び廻らなくてはならない。
「まあ、どんなにひどい仕事でも構わない。」と、ブーツは言った。
 ブーツは、どうしても王様のお城に行って、王様に仕えたいと言うのだった。王様より身分が低い者に仕えたくなかったし、兎番もたやすくできると思ったからだ。兎は自分の家の山羊や仔牛よりは、楽に面倒をみれるだろう。それで、ブーツは肩に旅袋を背負って、丘をぶらぶらと降りて来た。
 ブーツが遠くへ行って、その遠くよりもまだ先へ行って、とてもお腹がすいたときに、ブーツは老婆に会った。老婆は木の切株にしっかりと挟まれた鼻を引っ張って、もぎ取ろうとしていた。
「足の悪いおばあさん、こんにちは。そんなところに立って、鼻を研いでらっしゃるのですか?」
「はて、今まで何百年の間、わたしをおばあさんと言ってくれた者は、ただの一人もなかった。どうか、ここへ来て、わたしをここから助けておくれよ。それから何か食べ物を恵んでおくれ。長い間、ずっと何も食べてないんだ。いつか、ちゃんとお礼をするよ。」と老婆は言った。
 ブーツは、老婆が食べ物と水をほしがるのは、当たり前だ、と思った。
 そこで、ブーツは老婆が、切株の割れ目から鼻を離せるように、切株を割ってやった。それから、座って一緒に食事をした。老婆がとても良く食べたので、ブーツの持っていた食べ物は、ほとんどなくなってしまった。
 食事が済むと、老婆はブーツに一つの笛をくれた。その笛は魔法の笛だった。それは、一方の口に息を吹き込むと、「行ってしまえばいい」と思う者は、あちこちへ散っていく。もう片方の口を吹くと、散ったものが、また一つに集まってくる。それから、もし笛がなくなるか、盗まれるかしたら、「笛が欲しい」と心の中で唱えればいい。そうすれば、笛は戻って来るのだった。
「なるほど、これは便利な笛だね。」とブーツは言った。
 ブーツは王様のお城に着くと、すぐに兎番に決まった。役目はそう大変ではないし、食べ物にも、お給金にも困らない。兎番がちゃんと務まったら、お姫様と結婚できるかもしれないのだ。けれども、もし兎を一匹でも逃がしたら、それが例え子兎一匹であっても、ブーツの背中から赤い筋を三本切り取るというのだ。王様は自信満々で、直ぐにナイフを研ぎ始めた。
 ブーツは兎の番をするのは何でもないだろう、と思った。兎は外に出るときは羊の群れのように穏やかで、野路や農場にいる時は簡単にまとめてついてこさせることができるからだった。けれども、兎を連れて森のそばの小山に登っていくと、丁度昼頃で、太陽が坂や山に照りつけて輝きだし、兎は山中に跳ね回ったり、飛び回ったりし始めた。
「ほう! ほう! 止まれ! どっかへ行きたいなら、行け!」
とブーツは言って、笛の一方の口に息を吹き込んだ。そうすると、兎は四方八方へ走り去ってしまって、一匹も後には残らなかった。ブーツは、古い炭焼場に着くと、もう片方の笛の口を吹いた。すると、あっという間に兎がみんな集まってきて、隊を作って整列した。それで、ブーツは丁度、閲兵式の軍隊のように、一目で全ての兎を見ることができた。
「なるほど、相当な笛のようだね、これは。」とブーツは言った。
 ブーツはそれから、日当たりの良い斜面に横になって眠った。そこで兎は夕方まで、跳ねたり、飛んだりして遊んでいた。目が覚めると、ブーツはまた笛を吹いて、兎を集め、羊の群れのように引き連れて、お城に戻った。
 王様と、お妃様と、それからお姫様も、みんな城門に立って待ち構えており、兎をこんなに連れて戻ってくるとは、これはどういう男なのかと不思議がった。そして、王様は指を折って兎を数え、何度も何度も数え直した。でも、一匹すらも、いなくなってはいなかった。子兎一匹すら、いなくなってはいないのだ。
「相当な若者でございますわ、これは。」とお姫様が言った。
 次の日、ブーツは森に行って、また兎番をすることになった。ブーツが、野苺の草むらに寝転んで休んでいると、どうやってちゃんと兎番をしているのかを見定めようと、お城から侍女が一人やってきた。
 そこで、ブーツは笛を取り出して見せると、一方の口を吹いた。そうすると、兎は丘や谷に、風のように飛んで行った。それから、片方の口を吹くと、兎はみな大急ぎで草むらに戻ってきて、隊を作って並ぶのだ。
「なんて可愛い笛でしょう。」と侍女は言った。「もし売ってくださるのなら、金貨百枚差し上げましょう。」と言うのだ。
「そうでしょう! これはすごい笛なんですよ。だから、お金だけじゃ、あげられない。でも、もし金貨百枚と、一枚ごとにキスを一つくれるなら、あげましょう。」
「はい! いいですとも! もちろん、おっしゃるとおりにしましょう。金貨一枚につき、キスを二つあげましょう。そして、お礼も言いましょう。」と侍女は答えた。
 そこで、侍女は金貨とキスと引き換えに笛を貰った。けれども、お城まで戻ると笛はなくなっていた。ブーツが、「笛が戻るように。」と願ったからだ。夕方になると、ブーツは羊の群れを連れるように、兎を連れて帰って来た。
 そして、王様がいくら数えても、調べても、兎の毛一本すらなくなっていなかった。
 ブーツが、兎の番を始めてから三日目に、お城からお姫様がさしむけられて、笛を奪おうとした。お姫様は、雲雀のように快活で、「もし笛を売ってくれた上に、そのままお城まで持って帰るにはどうしたらよいか言ってくれたら、金貨二百枚を上げましょう。」と言った。
「そうです! これはものすごい笛なのです。これは売り物ではありません。でも、もしお姫様が金貨二百枚と、一枚ごとにキスを一つくれるなら、差し上げましょう。そうしたら、笛をお持ち下さって構いません。笛を持っている間は、よくよく気をつけないといけません。それはお姫様のお務めでございます。」とブーツは言った。
「一本の兎笛にしては、ずいぶん高いお値段ですこと。」と、お姫様は思った。その上、ブーツにキスしなければならないなんて、嫌なことだ。
「けれども、ここはお城から遠い森の中だし、誰も見てはいないし、聞いてもいない。しょうがないわ。この笛は、どうしても手に入れなきゃならないんだから。」とお姫様は言った。
 それで、ブーツがお金とキスを受け取ると、お姫様は笛をもらって帰って行った。途中ではずっと、指で笛をしっかり持っていた。けれども、お城に着いて、取り出そうとすると、笛は指からするっと抜けて、なくなってしまった。
 次の日は、お妃様が、「自分が行って笛を取ってきましょう。」と言った。お妃様は、「きっと笛を持って帰ってきましょう。」と言うのだ。
 ところで、お妃様はお金のことは誰よりもけちけちしていて、金貨五十枚だけしか出さないと言うのだ。けれども、結局、金貨三百枚を支払わなくてはならなかった。ブーツは、「笛は相当貴重なもので、お金には変えられません。でも、お妃様のためなら、金貨三百枚と、おまけに一枚ごとにキスを一つくれるなら、差し上げます。そうしたら、お持ちになって下さい。」と言った。ブーツは、キスはたっぷりと貰った。お妃様は、おまけの方はけちけちしていなかったのだ。
 お妃様は、笛を手に入れると、自分の体にしっかりと結びつけて、よく気をつけていた。でも、お妃様も他の人達と似たり寄ったりだった。お城に帰って、笛を取り出そうとすると、笛はなくなっていた。夕方には、ブーツは兎をすっかり馴れた羊の群のように追いながら、小山から降りて来た。
「とんでもなく馬鹿げた話だ。そのくだらない笛を必ず手に入れるには、余自身が出向かねばならぬようだ。他に方法がない。」と王様は言った。
 翌日、ブーツが兎を連れて森の奥深くへ入って行くと、王様はこっそりその後をつけて行った。すると、ブーツが以前、侍女やお姫様やお妃様とやり取りをした、日当たりの良い丘の斜面に寝ているのを見つけた。
 王様はブーツと親しくなって、ごく楽しそうだった。ブーツは笛を見せて、始めに一方の口から吹いて、それからもう一方を吹いてみせた。王様は、それを素晴らしい笛だと思って、金貨千枚を支払っても手に入れたい、と思うようになった。
「そうです! これはこの世に二つとない笛なんです。お金では決して買えないものなんですよ。ところで、あそこにいる白い馬が見えますか。」とブーツは言って、森の中を指しました。
「見えるかって! もちろん、見える。あれは余の愛馬、白龍だ。」と、王様は言って、そんなことは言われなくても分かっている、と思った。
「分かりました! もし、王様が金貨千枚を下さって。それからあそこの沢の太い樅の木のうしろで、あの白馬にキスをしたら、この笛を差し上げましょう。」と、ブーツは言った。
「ほかの報酬では駄目なのか?」と王様は尋ねた。
「絶対に駄目です。」と、ブーツは言った。
「分かった! だが、余と馬との間にハンカチを置いてもいいだろうな?」
「よろしゅうございます。御心のままになさってください。」
 こうして、王様は笛を手に入れ、財布の中にしまった。そして、その財布をポケットに入れて、しっかりとボタンをかけ、馬に乗ってお城へ戻った。けれども、お城に着いて、笛を取り出そうとすると、お妃様や、お姫様や侍女と同じ目にあった。笛がなくなったのだ。その時、ブーツが兎の群を追って帰って来た。兎は毛一本ほどもなくなってはいなかった。
 王様は、ブーツが皆を馬鹿にし、笛をだまし取ったと思って、ひどく腹を立てた。そこで、「勿論、ブーツを死刑にせねばならぬ。」と王様は言った。お妃様も口を揃えて言った。「このような悪者は即刻片付けるのが、一番いい。」と言うのだ。
 ブーツは、それは公平でも公正でもないと思った。相手の求めに応じただけだから。そこでブーツは、背中の筋と命のために、一生懸命言い訳をした。
 王様は、「それは仕方がないことだ。」と言った。でも、「もしブーツが大きな酒樽を嘘で一杯にして、嘘が樽から溢れ出るなら、命は助けてやろう。」と王様は言った。
 それは時間のかかる仕事でもないし、危険な仕事でもなかったので、ブーツは勿論「やってみましょう」と返事した。そして、最初からのことを話し始めた。ブーツは、老婆と木の切株にくっついた鼻のことを話して、それから「さあ、酒樽を一杯に満たすには、どんどん嘘をつかなきゃ。」と言った。次に、笛のこと、どうやってそれを手に入れたのか、そして侍女のこと、侍女が来て金貨百枚で買い取りたいと言ったこと、その他に森の中でおまけにキスを貰ったことを話した。そして、お姫様が来たこと、森の中で、誰もいないところで、笛を手に入れたいがために、とても優雅にキスされたことを話した。そこで、笛のこと、どうして、それを手にいれたか、そして侍女のこと、侍女が来て金貨百枚で買取りたいと言ったこと、その他に森の中でおまけの接吻のこと、などを話しました。そして、言葉をとめて、
「私は酒樽を一杯にしなければなりませんから、どんどん嘘を言わねばなりません。」と言った。そこで、お妃様のことを話し、お金はけちけちしていたこと、キスはたっぷりだったことを話した。
「酒樽を一杯にするには、もっともっと嘘を言わなきゃなりません。」とブーツは言った。お妃様は、
「私は、酒樽はもうかなり一杯になったと思いますわ。」と言った。
「いや! いや! まだ一杯じゃない。」と、王様は言った。
 そこで、ブーツは、王様がおいでになったこと、沢にいた白い馬のこと、もし王様が笛をご所望というのなら、王様は、――「いかがでしょうか、王様。もし、酒樽を一杯にしなければならないのなら、わたくしはこのまま話を続けて、途方もない嘘をつかねばなりませんが。」とブーツは言った。
「待て! 待て! 若者! 酒樽はもう縁まで一杯になっておる。溢れているのが見えないのか。」と王様は言った。
 そこで、王様も、お妃様も、お姫様とブーツを結婚させ、王国の半分を分け与えるのが一番だ、と考えた。ほかにやりようがなかったのだ。
「これはすごい笛だ。」と、ブーツは言った。

原文:001_boots.pdf