2025/01/11(土)高良大社

2025/01/11 22:15 日本神話
 さて、高御産巣日神がチワン族の布洛陀神と関連がありそう、と思ったのでWikipediaを中心に調べていたら、福岡県にある「七夕神社」というところに行き当たりました。物部氏系の神を祀っていますので、関連がありそう、ということで調べていたら、そもそも高良大社が物部氏の故地であり、安曇族とも関連する由のこと、納得しました。

 上野(群馬県)の中世の伝承を読んでいると、内容の豪快さに、中世の東国武士とはバイクや車の代わりに馬を乗り回しているヤンキーでは、と思ってしまいます。

 ところ変わって、九州の伝承を見ると、高皇産霊神と高良神ってどう見ても同じものなのに、一方が一方を追い出す不条理なパラレルワールドが展開されていて目が点になっています。織り姫の夫の牽牛が「牛飼い」ではなくて、「犬飼」になっていても誰もつっこまないところも素晴らしい、と思う。物部氏の牙城っぽいのに、田油津媛(おそらく田布津姫と解せるはず)が逆賊ですし。なんだか目が回りそうな神話世界ですが、あることを発見しました。

 高良神の子神の名簿にいくつか発見することがあったのです。

渕志命(ふちしのみこと):おそらく布津主のこと、谿上命(たにがみのみこと):おそらく丹羽・丹波・庭に関連する名、安楽応宝秘命(あらおほびのみこと):多氏関連、神使が烏:賀茂関連

 で、旗を投げたりしてるのに、誰も「細烏女と延烏朗」に触れてくれない素敵な展開です。でも「旗上げしない」という謎の秘伝を持つ家の末裔の私なので「幡」にはちょっとうるさいのです。

2025/01/08(水)井氷鹿と伊香保姫

2025/01/08 23:38 日本神話
 丹後半島の蛇頭松姫大神という女神にはまったのです。何故なら、蛇の若者が好きになって、相手の住む池に入水してしまう女神、なのですが、そのあと、女神自身が祟り神的に暴れる蛇神になってしまって「旦那はどこへ行ったのか?」という状態になって、退治されてしまう、という女神で。しかも、その女神に関連すると思われる神社に名に「尾」とつく神様ばかりがいて、個人的に

「尾」は「尾張」の「尾」

と思ってニヤリとしてしまうわけです。で、丹後の神社についてインターネットであれこれ調べていて、たいへんお世話になったサイトに「紀州の井氷鹿女神と丹後の伊加里姫は同じ女神だと思う。」とあったわけです。私は小心者で、しかもHPはあちこち工事中で、人様に「広く見てください」と胸を張って言える状態でもないので、「たいへんお世話になりました。」とご挨拶に行く勇気がありません。

 そこで、どこかで私なりに「感謝の気持ち」を示せれば、と思って井氷鹿女神と伊加里姫を伝承的に比較考察してみることにしました。どちらも水神としての性質を持っていて、海部氏が丹後半島に進出する以前からの古い神だろう、と思うのです。そして、地理的には個人的に東国の神々の方が親しみが深いのですが、上野(群馬県)の伊香保女神も同じ女神だろう、と思うのです。火山の女神です。かつ上野は物部氏系の氏族の開拓した地ですので、古い時代の物部氏に関連する女神かもしれない、と思うようになりました。それは、まだ尾張氏、海部氏が物部氏から分家していなかった時代の女神なのかもしれません。私は物部氏、尾張氏、海部氏は三氏とも、天道日女命を共通の祖神としていますので、同族集団と考えています。

 尾張氏のことをあれこれ調べていたら、熱田神宮の摂社に氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)という神社を発見しました。「大高町火上山」という地にあります。氷上姉子とは現在では宮簀媛命と同一視されていますが、Wikipediaによれば「氷上姉子」とは尾張氏が進出するよりも古い神で

『『新修名古屋市史』では氷上の女性神官を指した語としたうえで、これが神格化されて祭神に転化し、さらに尾張氏の手のもとでミヤズヒメと習合してヤマトタケル伝説に組み込まれたと推測している』

とのことです。関連する神社に知我麻社(星宮社)があります。おそらく、尾張氏に先行して物部氏がおり、氷上姉子は彼らが「主君と仰ぐ女神」ではないか、と思うのです。氷上(ひかみ)という名は、井氷鹿(いひか)に通じると思うのですが、赤城大明神縁起を読む限り、上野の物部氏が「伊香保女神」に持っている忠誠心と矜持の強さが尋常ならざるなり、と感じるのです。かつては、熱田でも氷上姉子は、物部氏から強い尊敬を受ける女神であり、それが尾張氏に引き継がれているように思います。

そして、まず最初に、出雲の星神信仰と秋鹿(あひか)女神の信仰を熱田に持ち込んだのは物部氏なのだと思うのです。要するに、秋鹿(あひか)女神と氷上姉子は「同じ女神」だと今は考えているのです。そして、東国には上野の伊香保女神の他に、信濃(長野県)に氷鉋斗賣(ひがのとめ)という女神がいます。みな「同じ女神」で、とても古い女神なのだと考えます。

さて、氷上姉子は「大高町火上山」に祀られていますから、本当に古い時代には「火上姉子」と書いたのではないかと思います。これを

『火上姉子と読んで、巫女的な人物』

としたら、どのような人物なのだろう? と考えてみました。「火上」=「火神」ともいえるかもしれません。私は「あれま」と思いました。これは「火神」というよりも「日神」と書いて

日巫女

とした方がよろしいんじゃないでしょうか。魏志倭人伝ではないですか。物部氏とは女王卑弥呼を「姉御」と呼ぶような人達だったのでしょうか。


ということで、出雲の秋鹿女神について、調べようと思って、関連すると思われる那富乃夜神社に飛んでおります。これは、知我麻社の前身かもしれないと思います。

2024/12/03(火)貫前女神について

2024/12/03 10:57 日本神話
荒船山伝承を調べていたのですが、女神の伝承について詳細なサイトを発見しました。で、内容を確認した結果、これって甘基王(ガンジ王)と逆の立場から書いた話ではないか、と思いました。甘基王(ガンジ王)は火を使って敵を攻めますが、貫前女神は攻められても水の力で身を守って対抗しようとします。

そもそも貫前女神は鉾で自分の身を守り、土地の権利も主張しようとします。中世の関東武士団は相続に関し、男女平等だったし、女性が当主になることもできました。そして、女性であっても武芸に優れていれば、男性と同じように戦ったと思います。自ら身を守り、身を立てようとする貫前女神の姿は上野を開拓した物部氏と後裔の関東武士団の矜持を強く感じる気がします。

でもその一方で、貫前女神は祭神として固有名詞を失っています。かつ、時代が下ると「養蚕の女神」として扱われるようになると感じるのですが、中国では蚕の女神は「蚕馬」といって、「殺される女神」の代表格ともいえ、祖神とか開拓神としての印象は良くありません。

第三話 解説と註

2020/04/02 北欧民話
 怪物退治説話、化け猫の話は日本にも多く鍋島の猫騒動のように演劇や講談種となったものもあるが、民間伝承として雲州松江の小池婆の話が最もこれに近い。

大入道  神話、民話に付きものの「トロールド」のことで、悪魔のようなものではない。丘、山中に一家族でか、或いは多数の家族が一緒に住むと想像されている。豪富を蓄え、住家の内部は黄金や宝石で飾られて、華麗なのを普通とする。人間と友達となって金を貸したり、借りたりもする。あまり利口ではなく盗癖があって、金銀財貨ばかりでなく、婦人子供をも盗み去る。騒がしい音を嫌い、キリスト教会が出来て、鐘を打ち鳴らすようになってから、この怪物は大部分駆逐されたと思われている。

聖霊降臨祭  キリスト教会で聖霊の降臨を記念する祭日。復活祭後第七日曜日となっている。(使徒行伝第二章)往昔、ユダヤ日との収穫の祝祭に起源するともいう。聖霊降臨祭節と称するのは一週間。「白日曜日」と呼ぶことがあるのは、この日には受洗者が多く白衣を着ることによる。

主の祈祷(いのり)  新約聖書マタイ伝第六章九節~十三節にある。「天にいます我らの父よ、願わくば、御名を崇められん事を。御国の来たらんことを。御意の天のごとく、地にも行われん事を。我らの日用の糧を今日もあたえ給え。我らに負債(おいめ)ある者を我らの召したる如く、我らの負債をも召し給え。我らを嘗試(こころみ)に遇せず、悪より救い出したまえ。」キリストが弟子たちに示した祷の雛形で、信者が一般に用いる。

復活祭

基本的に「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」で、年によって日付が変わる移動祝日である。日付は変わるものの、必ず日曜日に祝われる。東方教会と西方教会とでは日付の算定方法が異なるため、日付が異なる年の方が多い。(Wikipedia「復活祭」より)

聖霊降臨祭(ペンテコステ)

 イエスの復活・昇天後、集まって祈っていた120人の信徒たちの上に、神からの聖霊が降ったという出来事のこと、およびその出来事を記念するキリスト教の祝祭日。もともとは春に得られる最初の収穫に感謝する農業祭だった。宗教上、収穫感謝の意味は失われたが、農業祭としての色彩は、ドイツ、ギリシアなどの民俗に残っている。
 キリスト教の聖霊降臨の日は、復活祭から(その日を第一日と)数えて50日後に祝われる移動祝日(年によって日付が変わる祝日)である。日付は毎年異なるが、西方では五月初旬から六月上旬の日曜日、東方では五月初旬から六月下旬の日曜日に行われる。(Wikipedia「ペンテコステ」より)

第三話 化け猫

2020/04/01 北欧民話
witch.png

第三話 化け猫

 むかしむかし、ある所に水車場があった。その水車場はこのあたりではなく、どこか上(かみ)の地方にあった。けれども、小山の北か、南か、何処にあったとしても、それはとても妙な水車場だった。なにかがそこに出没するときは、何週間も、一粒の麦も挽けなかった。けれども、一番困ったことは、そこに出没するのがトロールドか、他のなにかだったとしても、水車場を焼いてしまうことだった。聖霊降臨祭の晩に二年続けて火事があって、すっかり焼けてしまったのだ。
 三年目の聖霊降臨祭が近づいてきたとき、水車場のすぐそばの主人の家に、主人の日曜着を縫いに仕立屋が来ていた。主人は聖霊降臨祭の晩に、――
「さあ、うちの水車場は今年の降臨祭の晩にも火事になるだろうか。」と、言った。
「ならないでしょう。」と、仕立屋は言った。「なるはずがないですよ、私に鍵を渡して下さい。私が水車場の番をしましょう。」
 主人は勇敢な男だと思った。それで、夕方になると、仕立屋に鍵を渡して水車場に案内した。此処は新しい建物だったから、中は空だった。そこで仕立屋は床の真ん中に座って、チョークを取り出して、自分の周りに円を描いて、その円の周囲全体に『主の祈祷(いのり)』を書いた。それがすむと、もう怖いものはなかった――悪魔がやって来ようと、怖くはなかった。
 ところが、真夜中になると、バーンと音をたてて、戸が一杯に開いた。そして数え切れないほどの黒猫の群が現れ、蟻のように密集していた。間もなく猫は鈩(いろり)の上に大きい鍋をかけて、その下に火を焚きつけたので、鍋はぶつぶつと煮え出した。鍋の中のものは、まるで松脂(まつやに)とタールのようだった。
「は! は! お前たちの計略(けいりゃく)はそれだな!」と仕立屋は考えた。
 こう思っていると、一匹の猫が鍋の下に前足を入れて、ひっくり返そうとした。
「前足を引っ込めろ、小猫さん。頬髭(ほほひげ)を焼いてしまうぜ。」
と、仕立屋は言った。
「わたしに、前足を引っ込めろ、小猫さん、といった仕立屋に気を付けろ。」と、その猫がほかの猫たちにいった。またたく間に猫たちは鈩のふちから、みんな逃げて行って、輪になって踊ったり、躍(と)んだりしていた。それから、急に前の猫はこっそりと鈩に行って、鍋をひっくりかえそうとした。
「前足を引っ込めろ、小猫さん。お前の頬髭を焼いてしまうぜ。」と、仕立屋はまた叫んだ。で、また猫共を鈩(いろり)の椽(ふち)から追いちらした。
「わたしに、前足を引っ込めろ、小猫さん、といった仕立屋に気をつけろ。」と、その猫が他の猫たちにいった。そして、みんな、また輪になって踊ったり、躍(と)んだりし始めた。それから、また急にみな鍋のところに集まって鍋をひっくりかえそうとした。
「前足を引っ込めろ、小猫さん。頬髭(ほほひげ)を焼いてしまうぜ。」と、仕立屋は三度目に叫んだ。こんどは猫をひどく、びっくりさせたので、猫は床の上でひっくりかえった。それから、また前と同じように踊ったり躍(と)んだりし始めた。
 それから猫たちは輪になって、近くに集まり、ますます速い調子で踊った。あまり速いので、とうとう仕立屋はめまいがし出した。猫は、とても大きい、みぐるしい目で仕立屋をみつめ、仕立屋を生きたまま丸呑みにせんばかりだった。
 ところで、猫の群(むれ)が精いっぱい速く踊(おど)っていたとき、たびたび鍋をひっくり返そうとした猫が、前足を円の内側に入れて、仕立屋を爪で引っ掻こうとしていた。けれども仕立屋はそれを見ると、すぐに鞘(さや)からナイフを引き抜いて、身がまえた。その時、猫がまた前足を差し入れたので、とっさにその前足を切り落とした。そうすると、猫達はみんなぎゃあぎゃあ鳴きながら、必死で戸に殺到して外へ逃げ出した。仕立屋は書いた円の中で横になって、朝お日様が床の上にきらきらとさしこんでくるまで眠った。そして起きると、水車場を閉めて持主の家へ行った。
 仕立屋が家にいくと、水車場の持主と女房は、聖霊降臨祭の朝なので、まだ起きていなかった。
「お早うございます。」と仕立屋は水車場の主人の部屋に入っていって挨拶(あいさつ)の手を差し延べた。
「お早う。」と主人はいって、仕立屋が無事なのを見て、ほんとうに喜び、驚いていた。
「お早うございます、おかみさん。」と、仕立屋は主人の女房に挨拶して握手を求めた。女房は「お早うございます。」とはいったものの、いかにも元気がなく、いらいらしていた。そして手は蒲団の下に隠していたが、しかたなく、左手を差し出した。
 そこで、仕立屋は事情をはっきりと悟った。けれども、主人になんといったか、またおかみさんをどうしたかは、わたしは何も聞いていない。

原文:003_cat.pdf