差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
'''天豊足柄姫命'''(あめのとよたらしからひめのみこと)は島根県浜田市の天豊足柄姫命神社(石神社)の祭神。(あめのとよたらしからひめのみこと)は島根県浜田市の天豊足柄姫命神社(石神社)の祭神である。 == 私的解説・概要 ==石見国那賀郡に関する女神である。石見国は物部氏の拠点の一つであり、那賀郡という地名より中臣氏が関連している神社の可能性があるように思う。
== 内容 ==
石見国を開いて衣食の道を授けたとされる。神社境内の碑文の解説として「その伝によると神が石と化した事は根拠がなくて信ずる事が出来ない」とある。石見国を開いて'''衣食の道を授けた'''とされる。神社境内の碑文の解説として「その伝によると神が石と化した事は根拠がなくて信ずる事が出来ない」とある。'''石と化した'''という伝説は下記の八色石の伝説に由来する。
== 八色石の伝説 ==
石見の国は天豊足柄姫命によって開拓され豊かに足らされた。民草は満ち足りていたとき、荒ぶる神が現れ、長大な蛇の姿となって民草を襲った。今ぞ危急という秋、姫は出雲より[[八束水臣津野命]]の救援を得て大いに撃って蛇を三分にし衰亡に終わらしめた。かくして凱旋の宴で[[八束水臣津野命]]の将兵をねぎらったが、その夜、姫はみまかって石となり給うたと伝える。姫の身はみまかったといえど、その功績は盤石のものとなって伝わるであろう。<ref>『那賀郡誌』に記載された内容を要約した。</ref>
『那賀郡誌』が刊行されたのは大正時代だが、時代が下るにつれて勇壮な筋へと変わっている。新作神楽では[[八束水臣津野命]]と共に戦い、大蛇の瘴気に当たって亡くなるという筋立てのものがある。『那賀郡誌』が刊行されたのは大正時代だが、時代が下るにつれて勇壮な筋へと変わっている。
== 天豊足柄姫命神社 ==
別名、石神社。天豊足柄姫命を祭神とし、豊受姫命を配祀する。創建の由緒は不詳である。祭神の事績は明らかでないが、衣食の道を教えた女神として崇敬している。 旧島根県史は天豊足柄姫命について「石神は畢竟一代の御霊代に過ぎずして祭神は天豊足柄姫命なり」と論じている。式内社で栄えたことが窺えるが、中世以降戦乱が続き廃れ数百年が経った。明治時代に入り、廃藩置県となり新たに社殿をお祭りし、明治六年県社になり、明治八年七月郷社になった。境内社の亀山神社は歴代の浜田藩主を祀る。別名、石神社。天豊足柄姫命を祭神とし、[[豊受大神|豊受姫命]]を配祀する。創建の由緒は不詳である。祭神の事績は明らかでないが、衣食の道を教えた女神として崇敬している。旧島根県史は天豊足柄姫命について「石神は畢竟一代の御霊代に過ぎずして祭神は天豊足柄姫命なり」と論じている。式内社で栄えたことが窺えるが、中世以降戦乱が続き廃れ数百年が経った。明治時代に入り、廃藩置県となり新たに社殿をお祭りし、明治六年県社になり、明治八年七月郷社になった。境内社の亀山神社は歴代の浜田藩主を祀る。
* 文明十八年(1486)社殿を改築する。
== 私的考察 ==
信仰の形態と伝承から、この女神は「[[燃やされた女神]]」「[[吊された女神]]」「伝承より、この女神は「犬神を供として干魃蛇神を倒す」という性質の「'''[[養母としての女神]]」の三相を含んだ女神と考える。ただし、天豊足柄姫命神社の別名が石神社であることから、「'''石と化した女神」であると思う。類話は捜神記の「大蛇を退治した娘」である。 === 大蛇を退治した娘・捜神記 ===捜神記・巻十九に、以下のような話がある。<blockquote>東越の国の山中の洞窟に巨大な大蛇が住み着いていた。大蛇は誰かの夢に現れたり、巫祝を通じて、十二、三才の少女を食べたいと要求した。大蛇による死者があまりに多く、手のほどこしようがないので、奴隷の生んだ娘や罪人の娘を探し出しては養育し、八月一日の祭の日に蛇の穴の入り口まで送っていった。そうすると大蛇は娘を飲み込んでしまうのだ。<br/>人身御供を初めて十年目のこと、ある家に六人の娘がいて、末娘を寄といった。娘は人身御供になることを希望して、親が止めても聞き入れなかった。寄は役人に、よく切れる剣と、蛇を噛む犬が欲しい、と願い出た。八月一日になると、あらかじめ蒸した米で団子を作り、それに蜜と炒り麦の粉をまぜたものをかけ、犬を連れて洞窟の前に行くと、それを蛇の穴の前に置いた。<br/>蛇は洞窟から出てくると、まず'''米団子'''を食べ始めた。そこに犬を放つと、犬は蛇にかみつき、寄は'''後ろから''」という概念がやや強いのかな、と感じる。'蛇に切りつけた。数カ所に傷を負わせたところ、蛇は穴から出てきて死んでしまった。<br/>寄は穴の中から九人の娘の髑髏を運び出すと「あなた方は弱虫だから、蛇に食べられてしまったのよ。お気の毒なこと。」と言った。そして家に歩いて帰った。<br/>越王はこのことを聞くと寄を后とし、家族にも報償を与えた<ref>大蛇を退治した娘、捜神記・巻十九、干宝、竹田晃訳、平凡社、2000年1月24日、p569-572</ref>。</blockquote> === 私的解説 ===捜神記の「大蛇を退治した娘」と比較すると、[[八束水臣津野命]]が「犬神」であることが分かる。女神が蛇を倒して「石と化してしまった」点については、後付されたものと考える。  
=== 「養母としての女神」の相 ===
「衣食の道を教えた女神」とのことで、生きて人々の産業や生活のすべに関わった女神としての性質は「[[養母としての女神]]」のものと考える。
=== 龍岩神社の伝承 ===
== 関連項目 ==
* [[八束水臣津野命]]:神話的に父神と思われる。
* [[意岐萩神伊奴姫神]]:悪しき疫神とはどのような神なのだろうか。:尾張国の治水女神である。石見天豊足柄姫命と同起原の女神と考える。
== 脚注 ==

案内メニュー