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10.もう一つ、人身御供に関する方便は「首狩」である。こちらは「成人儀礼のために余所の部族の首を狩ってこい。」というものだった。これも「'''男子の成人式に必要なことだし、殺すだけで食べないのだから、禁止事項には当たらない。'''」とされた。成人式は誰かを殺して先祖の'''日月樹'''(姫補佐官のこと)に捧げ、木である先祖と一体化する重要な行事とされた。首を狩られる者は、戦士たちが10.一方、良渚文化に先立つ[[黄帝河姆渡文化]]と一体化するために必要な人身御供だったのだ。でもこの儀式は王国が大きくなっていろんな部族が国民に加わるようになると、国民が互いに殺し合う原因となって、だんだん邪魔になってきた。そこで「首狩」は禁止とされ、抵抗した人々は船に乗せられて沖に流され、国を追い出された。では、二羽の雄鶏雷神が太陽を支える図が象徴である。母系社会であるので、太陽は女神で、雄鶏雷神の一羽がかつての「饕餮補佐官」、もう一羽が「姫補佐官」なのであろう。要するにこの二羽の雄鶏雷神が、後の中国神話の炎帝と黄帝に相当すると考える。両者が神として並び立つ姿が理想と考える人達は二人の先祖を対立したままに放っておかなかったのだ。この場合、同じ性質を持つ雷神が二羽並び立つのではなく、それぞれ天候を左右する性質を持つ神として、炎帝は雷神、黄帝は風神とみなされるようになったと考える。インド神話のインドラとヴァーユ、北欧神話のトールとオーディンのように神々の頂点に天候に関する二神が並び立つ神話があるからだ。しかし、この河姆渡式の神話でも太陽女神は後世に残らなかった。その代わりに残ったのが、女神達の頂点に君臨し死ぬことのない西王母だと考える。彼女は死ぬことのない女神であって、親の敵を討った妹王女がその原点と考える。中東の太陽女神シャパシュ、ヒッタイト神話の太陽女神ヘバトは太陽女神であり、死なない女神である。世界的に見て、太陽女神が残されている神話は少数派なのだが、残されている場合には「死なない女神」として残っている場合が多いと感じる。 何らかの理由で「死と再生」を行う権高い女神は世界の神話の中に多く登場するが、メソポタミア神話のイナンナのように、元は太陽女神であったと思われる女神でも、太陽女神としての地位を失ってしまっているものが多いようだ。そもそも、「死と再生」を行う太陽女神と、「死なない太陽女神」では原型となった人物が異なるため、「異なる太陽女神」として考えるべきなのだと考える。
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