日本では、時代を問わずほとんど飼育されていない。現在の日本のロバは200頭という説もあり、多くとも数百頭であろう。極暑地から冷地の環境にまで適応し、粗食にも耐える便利な家畜であるロバは、日本でも古くから存在が知られていたが、馬や牛と異なり、日本では家畜としては全く普及しなかった。
日本にロバが移入された最古の記録は、日本書紀に[[599年]]、[[百済]]から[[ラクダ]]、[[ヒツジ|羊]]、[[キジ|雉]]と一緒に贈られたとするものである。この時は、「ウサギウマ」1疋が贈られたとされ、これがロバのことを指していると考えられている。また、[[平安時代]]に入ってからも、幾つか日本に入ったとする記録が見られる。時代が下って[[江戸時代]]にも、中国や[[オランダ]]から移入された記録がある。別称として「ばち馬」という呼び名も記されている。 =====ロバのパン屋=====[[20世紀]]の日本でロバと言えば、「[[ロバのパン屋]]」が最も広い地域で知られる存在であった。昭和10年代に[[札幌市|札幌]]で始まり、[[第二次世界大戦]]をはさんで昭和20年代末に広り、[[昭和30年代]]に最盛期を迎えた。しかし、昭和30年代末から40年代初頭にかけての頃には、急速な[[モータリゼーション]]の浸透によって自動車による販売にとって代わられたため、販売の規模は急激に縮小した。 最も著名な「パン売りのロバさん」という曲を流しながら販売を行なったビタミンパン連鎖店本部が使用していたのは、ロバではなく[[木曽馬]]を中心とした小型馬([[ポニー]])であった。にもかかわらず「ロバのパン」を看板にして大々的に販売を行なったため、当時の人々に対してロバに対するイメージへの誤解を与えた面は否めない。日本にロバが移入された最古の記録は、日本書紀に599年、百済からラクダ、羊、雉と一緒に贈られたとするものである。この時は、「ウサギウマ」1疋が贈られたとされ、これがロバのことを指していると考えられている。また、平安時代に入ってからも、幾つか日本に入ったとする記録が見られる。時代が下って江戸時代にも、中国やオランダから移入された記録がある。別称として「ばち馬」という呼び名も記されている。
==== 中国 ====
[[Image:Zhang Guo Lao.jpg|thumb|140px|ロバに乗る張果老]]
中国においては身近な家畜や乗り物として物語に登場する。[[道教]]の[[八仙]]の一人[[張果|張果老]]や[[陳摶]]、『[[三国志演義]]』の[[黄承彦]]、[[ウイグル族]]の[[頓智話]]の[[ナスレッディン・ホジャ|ナスレディン・エペンディ]](阿凡提)などはロバに乗って現れ、世俗的でない風雅な雰囲気を感じさせている。[[推敲]]は[[科挙]]を受けるために[[河北省]]から[[長安]]までロバに乗ってきた[[賈島]]のエピソードが元である。中国においては身近な家畜や乗り物として物語に登場する。道教の八仙の一人張果老や陳摶、『三国志演義』の黄承彦、ウイグル族の頓智話のナスレディン・エペンディ(阿凡提)などはロバに乗って現れ、世俗的でない風雅な雰囲気を感じさせている。推敲は科挙を受けるために河北省から長安までロバに乗ってきた賈島のエピソードが元である。
[[成語]]でも無能や見掛け倒しであることを意味する「黔驢技窮」あるいは「黔驢之技(けんろのぎ)」がある。これは黔驢([[貴州省]]のロバ)を初めて見た[[トラ]]が、当初その大きさに恐れて警戒したが、見慣れると何も攻撃する技を持たないと気づき食べてしまったという故事による。成語でも無能や見掛け倒しであることを意味する「黔驢技窮」あるいは「黔驢之技(けんろのぎ)」がある。これは黔驢(貴州省のロバ)を初めて見たトラが、当初その大きさに恐れて警戒したが、見慣れると何も攻撃する技を持たないと気づき食べてしまったという故事による。
=== 西洋 ===