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==== 『諏方大明神画詞』の国譲り神話 ====
『旧事本紀』における国譲り神話は『'''[[諏方大明神画詞]]'''』(1356年成立)の冒頭に採用されているが、建御名方神の敗戦と逃亡、追いつめられ殺されようとした話は見られない。
<blockquote>それ日本信州に一つの霊祠あり。諏方大明神これなり。神降の由来、その義遠し。<br />竊(ひそ)かに国史の所説を見るに『旧事本紀』に云ふ、[[天照大神]]みことのりして、[[経津主神|経津主]]の<small>(総州香取社)</small>神、武甕槌の<small>(常州鹿嶋社)</small>神、二柱の神を出雲国へ降し奉りて、大己貴の<small>(雲州杵築・和州三輪)</small>命に宣はく、「葦原の中津国は我が御子の知らすべき国なり。汝、まさに国を以て天照大神に奉らんや。」<br />
明治初期に書かれた守矢氏の家系図『神長守矢氏系譜』<ref name="Moriyakeifu">諏訪教育会 編「[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1185913/24 神長守矢氏系譜]」『諏訪史料叢書 巻28』1938年、31-72頁。</ref><ref>宮坂光昭 「古墳の変遷から見た古氏族の動向」『古諏訪の祭祀と氏族』 古部族研究会 編、人間社、2017年、77頁。</ref>では、タケミナカタが『古事記』どおりに出雲から逃亡した神という風に描かれている。
{{quotation|{{Ruby<blockquote>[[建御名方神|御名方刀美命|みなかたとみのみこと}}、出雲を逃がれ出で州羽の海に到るの時、洩矢神有り、海畔に居して]](みなかたとみのみこと)、出雲を逃がれ出で州羽の海に到るの時、洩矢神有り、海畔に居して<small>(橋原村に社有り)</small>之を{{Ruby之を拒(ふせ)ぐ。藤鑰と鉄鑰とを以て互ひに相争ふ事有りと雖も、遂に[[建御名方神|御名方富命]]の御稜威(みいづ)に服す。誓ひて曰く、「地を奉りて永く命の祭政を主(つかさど)らん」と。[[建御名方神|ふせ}}ぐ。藤鑰と鉄鑰とを以て互ひに相争ふ事有りと雖も、遂に御名方富命の{{Ruby|御稜威|みいづ}}に服す。誓ひて曰く、「地を奉りて永く命の祭政を{{Ruby|主|つかさど}}らん」と。御名方刀美命、歌ひて曰く、御名方刀美命]]、歌ひて曰く、<br />:{{Ruby|鹿児弓|かごゆみ}}{{Ruby|乃|の}} {{Ruby|真弓|まゆみ}}{{Ruby|乎|を}}{{Ruby|持弖|もちて}} {{Ruby|宮|みや}}{{Ruby|満茂里|まもり}} {{Ruby|矢竹心|やたけごころ}}{{Ruby|爾|に}} {{Ruby|仕布|つかふ}}{{Ruby|麻都連|まつれ}}{{Ruby|与|よ}}と。彼の藤を挿し、後に繁茂して「藤洲羽森」と曰ふ。鹿児弓(かごゆみ)乃(の)真弓(まゆみ)乎(を)持弖(もちて)宮(みや)満茂里(まもり)矢竹心(やたけごころ)爾(に)仕布(つかふ)麻都連(まつれ)与(よ)と。彼の藤を挿し、後に繁茂して「藤洲羽森」と曰ふ。<small>(原漢文)</small><ref name="Moriyakeifu" /><ref>訓読は、山田肇『諏訪大明神』信濃郷土文化普及会 <信濃郷土叢書 第1編>、1929年、82-85頁に引用されている『諏訪神社旧記』に基づく。</ref>}}</blockquote>
洩矢神以外に、タケミナカタと対抗した[[矢塚男命]]<ref>今井野菊「がに河原長者」『諏訪ものがたり』甲陽書房、1960年、42-49頁。</ref><ref>今井野菊「蟹河原長者」『神々の里 古代諏訪物語』国書刊行会、1976年、46-51頁。</ref><ref name="miyasaka2">宮坂光昭「古墳の変遷から見た古氏族の動向」『古諏訪の祭祀と氏族』 古部族研究会 編、人間社、2017年、79頁。</ref><ref>野本三吉「天白論ノート―民衆信仰の源流―」『古諏訪の祭祀と氏族』 古部族研究会 編、人間社、2017年、251-252頁。</ref><ref name="miyachi2">宮地直一「[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1076393/39 諏訪地方の原始信仰]」『諏訪史 第2巻 前編』信濃教育会諏訪部会、1931年、62頁。</ref>や[[武居大友主神]](諏訪下社の[[諏訪大社#神職|武居祝]]の祖)の伝承も存在する<ref name="shimosuwa2">伊藤富雄「第四編 上代の下諏訪」『下諏訪町誌 上巻』下諏訪町誌編纂委員会編、甲陽書房、1963年、565-566頁。</ref><ref name="miyasaka2" /><ref name="miyachi2" /><ref>上田正明 他『御柱祭と諏訪大社』筑摩書房、1987年、79頁。</ref><ref>[[長野県神社庁]]蓼科神社項</ref>。

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