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『解状』や『画詞』のほかには、『神氏系図(前田氏本)』<ref>宮地直一「[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1076393/106 附録 一 神氏系図]」『諏訪史 第2巻 前編』信濃教育会諏訪部会、1931年、1頁。</ref>『神家系図(千野家本)』<ref>諏訪教育会 編「[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1185913/9 神家系図]」『諏訪史料叢書 巻28』1938年、1-7頁。</ref>などにも、諏訪明神と初代大祝が「'''守屋'''」を追い落とし守屋山麓に社壇を構えたという同系統の伝承が語られている<ref>諏訪市史編纂委員会 編「第二節 諏訪神社上社・下社」『諏訪市史 上巻 (原始・古代・中世)』1995年、690頁。</ref>。
{{quotation|信州諏方郡に神幸するは、人皇卅二代用明天皇の御宇なり。時に八歳の童子あり。<blockquote>信州諏方郡に神幸するは、人皇卅二代用明天皇の御宇なり。時に'''八歳の童子あり'''。<small>(後有員と字す)</small>明神に随遂せしむ。守屋大神と諍ひ奉りて、守屋山に至りて御合戦あり。童子神兵を率ゐて守屋を追落す。則ち彼の山麓に社壇を構へて、<small>(中略)<ref>金井典美「諏訪信仰の性格とその変遷―諏訪信仰通史―」『諏訪信仰の発生と展開』 古部族研究会編、人間社〈日本原初考 3〉、2018年、73頁。</ref></small>}}</blockquote>
また、[[江戸時代]]に書かれた伝承記録には、守屋大明神(洩矢神)と藤島大明神(諏訪明神)が相争った際に[[天竜川]]の両側に立つ藤の木を絡ませたという異伝も見られるまた、江戸時代に書かれた伝承記録には、守屋大明神(洩矢神)と藤島大明神(諏訪明神)が相争った際に天竜川の両側に立つ藤の木を絡ませたという異伝も見られる<ref name="Yamamoto" />。
{{quotation|<blockquote>天龍川を覆ひし藤の木の事<br/>橋原村に鎮座する[[洩矢神社|守屋大明神]]と川向うなる何某の神、中あしく〔仲悪しく〕おはせし。こなたの藤の木、むかひの藤の木とからみしさま、両神の争ひ給ひしやうに覚ふべし、と古老のいふとなん。此の守屋の神、はじめは大明神を拒み給ひて、後に服従し給ひし神也。此の藤まとひて川を覆ひし間、四・五[[町_(単位)#長さの単位|丁]]も川の水を見る事なかりしといふ。[[元和 (日本)|元和]]以来、侯命ありて伐らせ給ひしといふ。橋原村に鎮座する守屋大明神と川向うなる何某の神、中あしく〔仲悪しく〕おはせし。こなたの藤の木、むかひの藤の木とからみしさま、両神の争ひ給ひしやうに覚ふべし、と古老のいふとなん。此の守屋の神、はじめは大明神を拒み給ひて、後に服従し給ひし神也。此の藤まとひて川を覆ひし間、四・五丁も川の水を見る事なかりしといふ。元和以来、侯命ありて伐らせ給ひしといふ。<small>(『洲羽事跡考』)</small>}}</blockquote>
『旧事本紀』の国譲り神話を諏訪上社の縁起として採用した『画詞』は、諏訪でも神官家で広く読まれ、結果的にそれにおけるタケミナカタの説話が通説となり、古来から地元に伝わる入諏神話は影が薄くなったと見られる『旧事本紀』の国譲り神話を諏訪上社の縁起として採用した『画詞』は、諏訪でも神官家で広く読まれ、結果的にそれにおける建御名方神の説話が通説となり、古来から地元に伝わる入諏神話は影が薄くなったと見られる<ref>諏訪市史編纂委員会 編「第二節 諏訪神社上社・下社」『諏訪市史 上巻 (原始・古代・中世)』1995年、689頁。</ref>。
[[明治時代|明治]]初期に書かれた守矢氏の家系図『神長守矢氏系譜』明治初期に書かれた守矢氏の家系図『神長守矢氏系譜』<ref name="Moriyakeifu">諏訪教育会 編「[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1185913/24 神長守矢氏系譜]」『諏訪史料叢書 巻28』1938年、31-72頁。</ref><ref>宮坂光昭 「古墳の変遷から見た古氏族の動向」『古諏訪の祭祀と氏族』 古部族研究会 編、人間社、2017年、77頁。</ref>では、タケミナカタが『古事記』どおりに出雲から逃亡した神という風に描かれている。
{{quotation|{{Ruby|御名方刀美命|みなかたとみのみこと}}、出雲を逃がれ出で州羽の海に到るの時、洩矢神有り、海畔に居して<small>(橋原村に社有り)</small>之を{{Ruby|拒|ふせ}}ぐ。藤鑰と鉄鑰とを以て互ひに相争ふ事有りと雖も、遂に御名方富命の{{Ruby|御稜威|みいづ}}に服す。誓ひて曰く、「地を奉りて永く命の祭政を{{Ruby|主|つかさど}}らん」と。御名方刀美命、歌ひて曰く、<br />

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