異伝1:<blockquote>古老伝えて曰ふのに、「当社の祭神は伊奘諾尊の御孫稚彦霊神の御子豊宇気大神にましまして、崇神天皇の十年丹波道主王の勅を奉じて此の国を治め給ふに当り、霧が立ち篭めてあやめも分からずなり人生に害があらうと思召されたので、親しく天神地祇に祈誓せられた所、三更(23時~翌1時)に至って大神柳原に(字田中の地内と言ふ)現はれ給ふたから、'''御子八乎止女'''をして其の地に神籬を建て神霊を斎き奉り年穀豊穣蒼生安穏を祈らしめられたのに、翌日になって天始めて晴れ生民も豊になることが出来た故に、此地方を'''日下'''村と言ひ亦神座府の名称(加佐の語源といふ伝説がある)も此の地から出たのである」</blockquote>
異伝2:<blockquote>古老神話伝説曰神代の昔、'''大己貴命少彦名命''、 国造座の時、此春日部里柳の原は木根樹立険しき深山たりければ、谿間々の沼地より昼夜霧立罩めて、晴明の時なく名にし負ふ霧の海の凄まじさ言はかりなかりき、神話によれば地主神を覓めしと産霊二柱神、琴浦浜に遊幸座し時、冨士の高根より天降り座す'''木花開耶姫命'''、産霊二柱大神の御前に参り会給ひて、茲に年久敷住せ給ひて浅からさりける契を結びて、地主神咲耶姫は豊受大神三女神等を斎祀りて此地を領有した。</blockquote>