ヨーロッパでは、「赤ん坊はコウノトリの嘴で運ばれてくる」「コウノトリが住み着いた家には幸福が訪れる」という言い伝えがあるが、本種ではなく、[[シュバシコウ]](''Ciconia ciconia'')である(ヨーロッパに本種は生息しない)。
=== 久久比神社 ===
主祭神は久久能智神(くくのちのかみ)。
神社の由緒は「日本書紀によれば垂仁天皇の御宇二十三年冬十月朔(ついたち)、天皇が[[誉津別命|誉津別皇子]](ほむつわけのおうじ)をともない大殿の前に立ち給う時、鵠(くぐい;コウノトリの古称)が大空を鳴き渡った。 その時、皇子が「これは何物ぞ」とお問いになったので、天皇は大いに喜び給い左右の臣に「誰か能くこの鳥を捕らえて献らむ」と詔せられた。 天湯河板挙(あめのゆかわのたな)が「臣、必ず捕らえて献らむ」と奏し、この大鳥が飛び行く国々を追って廻り、出雲国で捕らえたといい、あるいは但馬国で捕らえたともいう。 十一月朔、天湯河板挙はめでたくこの鵠を献上したのである。時に皇子は三十歳であったが、いまだ物言い給わず、あたかも児の泣くが如き声のみで、この日初めて人並みの言葉を発せられたのである。これほどに鵠は霊鳥なのでその棲家の地を久久比(くくひ)と呼びなし、その後この地に宮を建て、木の神「久久能智神」(くくのちのかみ)を奉斎した。 これが久久比神社(くくひじんじゃ)の始まりであった。 さりながら、その頃豊岡盆地は「黄沼前海」(きめさきのうみ)と称して、まったくの入海、下宮の地はその入江の汀であった。 又そのあたりは樹木繁茂し、木霊のこもろう処、神自ら鎮まり座す景勝の地であった。 われらの先人が、この自然の神秘と霊妙を感得して、木の神「久久能智神」を奉斎し、木の御神徳の宏大に帰依したのも宜なる哉である。」とのことである。
== 関連項目 ==
== 参照 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%83%8E%E3%83%88%E3%83%AA コウノトリ](最終閲覧日:25年12月14日)
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E4%B9%85%E6%AF%94%E7%A5%9E%E7%A4%BE 久久比神社](最終閲覧日:25年12月14日)
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[[Category:鳥]]
[[Category:鳥神]]