「パイワン族」の版間の差分

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毒蛇で、噛まれたら百歩歩くうちに死ぬとされ、台湾で'''は百歩蛇'''と呼ばれている。日本名、英名もこれに準ずる。中国では五歩蛇と呼ばれることもある。また、頭部の形状から尖吻蝮とも呼ばれる。
 
毒蛇で、噛まれたら百歩歩くうちに死ぬとされ、台湾で'''は百歩蛇'''と呼ばれている。日本名、英名もこれに準ずる。中国では五歩蛇と呼ばれることもある。また、頭部の形状から尖吻蝮とも呼ばれる。
  
台湾原住民のパイワン族では'''貴族の先祖'''として崇拝されており、殺傷は禁忌とされている。
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台湾原住民のパイワン族では'''貴族の先祖'''として崇拝されており、'''殺傷は禁忌'''とされている。
  
 
中国の広東料理では、'''五蛇'''の1つに数え、蛇スープの食材としている。また、肝酒や蛇酒にも利用されている。台湾では漢方薬の材料として高価で取引される。
 
中国の広東料理では、'''五蛇'''の1つに数え、蛇スープの食材としている。また、肝酒や蛇酒にも利用されている。台湾では漢方薬の材料として高価で取引される。

2026年3月12日 (木) 08:22時点における版

彫刻が施されたパイワン族の伝統家屋

パイワン、あるいはパイユァン(排湾族、パイワン語:Payuan、中国語(Páiwān))は台湾南部に住むオーストロネシア語族に属する台湾原住民の一種族。

広義のパイワン族には、北部より山地のルカイ族と北東部より平地のプユマ族とが含まれ、カツァリシアン(パイワン語:Kacalisian、「山の坂に住む人」の意)と自称するのが一般的である。本項では、このルカイとプユマを含む広義のパイワン族について記述する。

南部山地に分布する狭義のパイワン本族は(北西部を除けば)自らパイワンと称する。

人口

1931年末には全体で8467戸、4万1746人、1942年末には9020戸、4万4627人。1931年の内訳人口はルカイ6339人、プユマ5289人、パイワン本族3万118人であった。2000年の調査ではパイワン本族は7万331人で、台湾原住民の 17.7%にあたり、台湾原住民で三番目に人口の多い民族集団である。言語はパイワン語で話している。

階級の区別

台湾原住民族の多くでは見られない貴族系統と平民系統との区別がプユマ族で相当明確に現れ、ルカイ族とパイワン本族では一層それが目立つ。後二者ではヘビのヒャッポダはしばしば貴族系統と神秘的な関係があると信ぜられ、それを殺傷することは一般に禁忌である。貴族系統の内にも家格の相違があり、首長家はその最高位に立つ。一村一首長、数村一首長、一村数首長などの形があり、パイワン本族では長子相続、ルカイ族では長男相続が行われる。

ヒャッポダ

毒蛇で、噛まれたら百歩歩くうちに死ぬとされ、台湾では百歩蛇と呼ばれている。日本名、英名もこれに準ずる。中国では五歩蛇と呼ばれることもある。また、頭部の形状から尖吻蝮とも呼ばれる。

台湾原住民のパイワン族では貴族の先祖として崇拝されており、殺傷は禁忌とされている。

中国の広東料理では、五蛇の1つに数え、蛇スープの食材としている。また、肝酒や蛇酒にも利用されている。台湾では漢方薬の材料として高価で取引される。

農耕

他の原住民と同じく粟の栽培が儀礼的にも重視されるが、タロイモの畑地栽培も盛んである。

文化

この両族は木彫にすぐれ、現在のと類似の文様が彼らに伝わる青銅器、主として剣柄にも見出されるのは注意されるべきだろう。また彼らがなお豊富に持つトンボ玉、いわゆる古代ガラス玉にはインドネシア方面、特にボルネオと共通性が認められる。

日本統治時代に日本人研究者により蒐集された、パイワン族の歌の一例をここに示す。

パイワン族卑南社の護郷兵・凱旋の歌[1]

とひやあ びぬらぶらお ぴぬりやー ぐたいやんー ぴぬしがー ぐんがんさがぬ びーるの かいばがー ぬかんまの だだるぬ いくすの くやぬーす

(大意: 射撃の音は鈴の様で非常に面白かった 敵の方より来る臭気は心地よく思ったがその首を見ては悲しい思いをした)

伝承

死後の世界

牡丹社及びその分社の牡丹社中社女仍社に於ては人が死するとその霊はKabiyaganに帰ると云い、高士佛社でも同様の事を云って居るが、カチライ社のみはその霊は里龍山(Golojan)に行くと称して居る。里龍山は恒春郡の頂加芝来社の東北方、三千四百六十尺の山で、加芝来社では生前悪行をなしたものは霊となってこの山に入るを得ず、霊は宙に迷い、通行人に乗り移ると称して居る。


(註)山頂に一本の樹があり、或人が山に登って見ると、この樹下に一人の美少女が裸体で居た。近づくと蛇と、犬が現われて人に咬みついた。後人が常に山に狩すると、この犬が現われて吠えかかると信じて居る[2]

祭祀

収穫祭 (Masalut)

毎年7月から10月の間に、各村によって行なわれる祭祀である。精霊に感謝し収穫を祝うものであり、パイワン族にとっての年度の区切れとなる。祭祀の内容は、祭師が収穫したアワを倉庫に運び、また来春の播種用のアワを選別し、収穫した農作物を食べる内容となっている。現在では娯楽活動へと転換しており、歌謡コンクールや、弓射試合などが行なわれ、ショー化している。

人神盟約祭 (Maleveq)

パイワン族最大の祭典であり、五年祭とも称される。伝説ではパイワン族の祖先は神界に向かい女神に祭祀と農業を習うと同時に、五穀豊穣を祈ったものであり、また女神と一定の期間内にアワを焼き、降臨を請う事を盟約したという内容によって執り行われている。人神盟約祭は15日の長きにわたって執り行われ祭師の指示の下、部落の全男性が参加する。

六年祭(五年後祭)(Pusau tavuvu)

人神盟約祭で降臨した神が5年後に神界に戻ったのち、一部の精霊がなおも地上に留まり、6年目に神界に戻るという伝承にしたがって執り行われる。

私的解説

祭祀に「部落の全男性が参加する」など、信仰する人と問わない「凡神化」が起こりつつあると考える。「女神に祭祀と農業を習った」先祖を擬した首長や特定の人物が祭祀を行うのではなく、祭師の指示に従って全男性が行うのだ。祭師は自らも祭祀を行うであろうが、そこに「人々を指導する」という役目が加わっている。宗教を凡神化することで、彼は単なる「祭祀者」ではなく「指導者」の地位も得たと言える。この権利を拡張していけば、祭祀を間違ってしまった者を罰して、なにがしかの苦役や貢納を科したりすることも可能となっていくのではないだろうか。また、祭祀に必要な労働力や供物を徴収し、これを管理する権限があったかもしれない。要するに、これが古代中国における「王権」の萌芽ともいえる状態に近いのではないだろうか。神々をその子孫とされる、特定の家系の特定の首長だけが祀るのではなく、大勢で祀ることで、「祭祀の指導をする者」に祭りに関する多くの権限を集中させ、多くの富や権力を集めることが可能となるのだ。これが「」であり、その権利が「王権」なのではないだろうか。

彼らの「女神」を始めとした神々は「神界」に住まうが、人間の世界に降臨するものでもあるようである。

参考文献

  • Wikipedia:パイワン族(最終閲覧日:26-03-03)
    • 佐藤文一『原始文学の研究 : 詩としてのパイワン族歌謡の考察』(日本学術振興会、1956)
    • 小林保祥『パイワン伝説集』 (風響社、1998/大正時代から約20年パイワンに暮らした著者が収集した民話)[3]
    • 住田イサミ『台湾先住民族の刺繍と織物:階層制からみたパイワン群族』(大修館書店、2002)

脚注

  1. 植松 安「記紀名歌鑑賞」(短歌講座・第3巻・名歌鑑賞篇)改造社、1932年、57頁。さらにその引用元は「臺灣教育會編纂発行の書」という。
  2. 台湾パイワン族:パリリャリリャオ群概要、神話伝説その他、eastasianintai1(最終閲覧日:26-03-12)
  3. パイワン伝説集 風響社

関連項目

  • チモ族

外部リンク