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2025年12月14日 (日) 14:37時点における版
コウノトリ(鸛[1]、Ciconia boyciana)は、鳥綱コウノトリ目コウノトリ科コウノトリに分類される鳥類。
分布
日本、韓国、中国、朝鮮民主主義人民共和国、ロシア南東部[2]
模式標本の産地(基準産地・タイプ産地・模式産地)は横浜市[3]。中華人民共和国北東部・ロシア南東部のアムール川・ウスリー川流域で繁殖し、冬季になると大韓民国、日本、台湾、香港、長江中流域へ南下して越冬する[4][5]。1980年代以降は中華人民共和国での越冬地が西へ移行している傾向があり、主に昌江で越冬する[5]。2000年代以降は中華人民共和国での越冬地でも繁殖が確認されている[4]。日本では冬季にまれに飛来する(冬鳥)[1]。まとまった群れとしては1993年11月に11羽が与那国島に飛来し - 翌1994年3月まで留まった観察例がある[6][7]。日本で繁殖・周年生息する個体群は絶滅した[4][1][5]。
分布域は東アジアに限られる。また、総数も推定2,000~3,000羽と少なく、絶滅の危機にある。中国東北部地域やアムール・ウスリー地方で繁殖し、中国南部で越冬する。渡りの途中に少数が日本を通過することもあるref name="oosako">大迫義人 「コウノトリ」『レッドデータブック2014 -日本の絶滅のおそれのある野生動物-2 鳥類』環境省自然環境局野生生物課希少種保全推進室編、株式会社ぎょうせい、2014年、36-37頁。</ref>。
形態
全長110 - 115センチメートル[1]。翼長58 - 67センチメートル[1]。翼開長195センチメートル[5]。体重3-5キログラム[1]。全身の羽色は白いが、風切羽・大雨覆は黒[4]。0~1歳の幼鳥のみ、中雨覆の一部が黒。翼を閉じていると隠れて見えないが、尾羽は全て白。
嘴長オス26.1 - 27.3センチメートル[8]。嘴は黒く[1][5]、基部は赤い[4]。眼の周囲は皮膚が赤く裸出する[1]。後肢は赤い[4][5]。他の大多数の鳥類と異なり、爪は鉤爪ではなく少し尖った平爪(扁爪)である。
分類
以前はC. ciconia(現:ヨーロッパコウノトリ)およびその亜種C. c. boycianaの和名がコウノトリとされていた[8]。ヨーロッパコウノトリとの間に雑種ができるため亜種とする説もあったが[8]、DNA交雑法では別種とされた[5]。
(要出典範囲、広義のコウノトリは、コウノトリ亜科に属する鳥類の総称である。ヨーロッパとアフリカ北部には、狭義のコウノトリの近縁種であるシュバシコウCiconia ciconiaが棲息している。羽色は似ているが、クチバシは赤。こちらは数十万羽と多く、安泰である。「コウノトリが赤ん坊を運んでくる」などの伝承は、シュバシコウについて語られたものである、2016年2月。)
シュバシコウとコウノトリとの間では2代雑種までできているので、両者を同一種とする意見も有力である。この場合は学名が、シュバシコウはCiconia ciconia ciconia、コウノトリはCiconia ciconia boycianaになる。
生態
河川・池沼・湿原などに生息し、日本では里山に囲まれた水田や河川のある里地に生息していた[4]。大陸部では9月中旬から10月中旬に渡りを始め、越冬地に10月中旬から12月に飛来し翌3月上旬まで留まる[4]。日本の繁殖個体群は渡りは確認されていなかったが、冬季は個体数が減少する傾向があった[4]。同種間で激しく争うこともあり、中華人民共和国での報告例(2羽で争って1羽が頭部を嘴で突かれ死亡)や、日本では2002年に兵庫県豊岡市に飛来して2007年に死亡するまで留まっていた野生オス(通称ハチゴロウ)の死因として、検死から病気や重金属・汚染物質などが死因ではないこと、2006 - 2007年に主に野生オスが再導入オスを攻撃した目撃例が計36回あること、最後の争いの目撃例で再導入オスが野生オスを撃退したところが目撃されたことから、再導入されたオスとの縄張り争いによる死亡が示唆されている[9]。 成鳥になると鳴かなくなる。代わりに「クラッタリング」と呼ばれる行為が見受けられる。嘴を叩き合わせるように激しく開閉して音を出す行動で、威嚇、求愛、挨拶、満足、なわばり宣言等の意味がある[10]。
魚類、カエル類、ヘビ類、鳥類の卵や雛、齧歯類、昆虫などを食べる[5]。水生動物は浅瀬で、ヘビ・鳥類の卵や雛・ネズミや昆虫などは乾燥した草地で捕食する[5]。主にザリガニなどの甲殻類やカエル、魚類を捕食する。ネズミなどの小型哺乳類を捕食することもある。
繁殖様式は卵生。3歳頃から繁殖を始める。頭部を反らせ嘴を叩き合わせて(クラッタリング)求愛する[1]。婚姻様式は固い絆の一夫一妻[4]。コウノトリの場合、産卵したつがいのことをペアと呼び、まだ産卵に至っていないつがいのことをカップルと定義している。[11]放鳥が始まった2005年以降、2019年現在まで雛を巣立たせたペアが死別以外でペア解消した例は無い。ペア相手を慎重に吟味するため、雌雄が同行しているだけではペア・カップルとは限らない。ツルのようにダンスを踊ったり、翼を広げて求愛したりということはない。
湿原に面した大木の樹上に巣を作る[1]。巣は木の枝を組み合わせて作る[4]。日本の繁殖個体群は過去には3月下旬から4月上旬に繁殖していて、大陸個体群は4月中旬から4月下旬に繁殖する[4]。2 - 6個の卵を産む[4]。抱卵期間は31 - 35日[4]。造巣・抱卵・育雛は雌雄共同で行う[4]。抱卵時、パートナーに餌を運んでくることはない。育雛期間は55 - 70日で、6羽全てが巣立つこともある[1]。雛は孵化してから63 - 74日は巣に留まる[4]。雛が生まれると親鳥は巣の中に餌を吐き戻して与え、雛は吐き出された餌を自力で食べる。口移しで餌を与えたり、雛の口に入れてやったりすることはない。
雛は、約58-71日で巣立ちする。日本では過去には6月下旬から7月上旬に巣立ち、大陸個体群は7月下旬から8月上旬に巣立つ[4]。巣立ち後しばらくは親鳥について餌の採り方・飛び方などを学ぶが、秋頃には親離れし、ひとり立ちまたは幼鳥・若鳥のゆるい群れを作って行動する。親子で渡りをすることはほとんど無い。
足環
コウノトリを1羽ずつ個体識別するため、リリースあるいは野外で巣立ちをしたコウノトリには個体番号を付けるとともに、番号に対応したパターンの色のついた足環を装着する。標識の年月日と場所、孵化年月日、性、親鳥などの情報が分かるので、世界中のどこで発見されても、その個体の年齢や性別、巣立ち後の経過、他個体との血縁関係などが分かる。
色は黒、黄、赤、青、緑の5色で、5進法により個体番号と1対1で対応している。足環と個体番号は、IPPM-OWSが管理と提供を行っている。[12]
足環カタログは兵庫県立コウノトリの郷公園のHPから閲覧できるほか、IPPM-OWSのHPおよびそのスマートフォンアプリから検索できる。
伝承
兵庫県豊岡市下宮に鎮座する久久比神社には、コウノトリ伝説が残されている。
岡山県倉敷市児島の琴浦地区に鎮座する鴻八幡宮には、八幡宮の名前の由来となったコウノトリ伝説が残っている[13]。
埼玉県鴻巣市に鎮座する鴻神社には、神社の名前由来となったコウノトリ伝説が残っている。
七つの外湯めぐりで形成される城崎温泉には、七つの外湯の一つに、本種が傷を癒していた事により発見したと伝説が伝わる「鴻の湯」がある。
ヨーロッパでは、「赤ん坊はコウノトリの嘴で運ばれてくる」「コウノトリが住み着いた家には幸福が訪れる」という言い伝えがあるが、本種ではなく、シュバシコウ(Ciconia ciconia)である(ヨーロッパに本種は生息しない)。
久久比神社(兵庫県)
主祭神は久久能智神(くくのちのかみ)。
神社の由緒は「日本書紀によれば垂仁天皇の御宇二十三年冬十月朔(ついたち)、天皇が誉津別皇子(ほむつわけのおうじ)をともない大殿の前に立ち給う時、鵠(くぐい;コウノトリの古称)が大空を鳴き渡った。 その時、皇子が「これは何物ぞ」とお問いになったので、天皇は大いに喜び給い左右の臣に「誰か能くこの鳥を捕らえて献らむ」と詔せられた。 天湯河板挙(あめのゆかわのたな)が「臣、必ず捕らえて献らむ」と奏し、この大鳥が飛び行く国々を追って廻り、出雲国で捕らえたといい、あるいは但馬国で捕らえたともいう。 十一月朔、天湯河板挙はめでたくこの鵠を献上したのである。時に皇子は三十歳であったが、いまだ物言い給わず、あたかも児の泣くが如き声のみで、この日初めて人並みの言葉を発せられたのである。これほどに鵠は霊鳥なのでその棲家の地を久久比(くくひ)と呼びなし、その後この地に宮を建て、木の神「久久能智神」(くくのちのかみ)を奉斎した。 これが久久比神社(くくひじんじゃ)の始まりであった。 さりながら、その頃豊岡盆地は「黄沼前海」(きめさきのうみ)と称して、まったくの入海、下宮の地はその入江の汀であった。 又そのあたりは樹木繁茂し、木霊のこもろう処、神自ら鎮まり座す景勝の地であった。 われらの先人が、この自然の神秘と霊妙を感得して、木の神「久久能智神」を奉斎し、木の御神徳の宏大に帰依したのも宜なる哉である。」とのことである。
鴻八幡宮(岡山県)
主祭神は、譽田別尊(ほむだわけのみこと、応神天皇)、足仲彦天皇命(たらしなかつひこのすめらみこと、仲哀天皇)、息長帶姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)、仲姫命(応神天皇の后)、玉依姫命(綿津見大神の御子神)の5柱(宇佐より勧請)。
寛政年間(1789-1801年)に編纂された『吉備温故秘録』に、昔神社の宮山に鴻(こうのとり)が群棲して、参拝者がその雛のいる時はこれを恐れ、また神社自体にも大蛇が棲みついていたのでこれをも恐れて参詣を避けたため、社殿が鳥の糞に穢されるなどして荒れ果て、それらの難を嘆いた氏子一同が神に祈願したところ、その夜の夢に氏神が現われて「明日辰の一点(午前7時頃)に難を除くべし」と告げたので、奇異の念に捕らわれつつも一同残らず神前に集まると、神殿が震動して中から1匹の大蛇が現れ出て鴻の巣の掛かった大木に登り、群棲する鴻と闘争に及んでお互いに滅んだといい、それより「鴻の宮」と称されるようになったという伝えを載せている。さらに、鴻八幡宮の氏子区域である上村、下村、田ノ口村、引網村(現在:上の町,下の町,田の口,唐琴)を「鴻の郷」とも呼ばれるようになる。
また、かつての社号の中には「甲八幡宮」、「甲社八幡」とするものもあり、背後の山は甲山と呼ばれている。
関連項目
- シュバシコウ:ヨーロッパのコウノトリ
外部リンク
- IPPM-OWS - コウノトリの個体群管理に関する機関・施設間パネル。
- 兵庫県立コウノトリの郷公園
- JX日鉱日石エネルギー「コウノトリCSR」(リンク切れ、2017年12月)
- 豊岡市立コウノトリ文化館 - コウノトリの飼育施設や観察、学習ゾーンがあり、放鳥や環境保全など再野生化活動の拠点にもなっている。また豊岡市立の学習施設コウノピアが併設されている。兵庫県立コウノトリの郷公園内にある。
- コウノトリ観察日記(豊岡市)(リンク切れ、2017年12月) - ボランティアによる放鳥・野生コウノトリの観察記録が公開されている。
- コウノトリにかける想い(但馬情報特急)(リンク切れ、2017年3月29日 (金) 13:27 (UTC)) - 新聞記者によるコウノトリの巣立ちの手記が公開されている。そのほかにもコウノトリ関連の情報が多く寄せ集められている。
参照
脚注
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 江崎保男 「コウノトリ」『日本動物大百科 3 鳥I』日高敏隆監修、平凡社、54頁。
- ↑ BirdLife International. 2016. Ciconia boyciana. The IUCN Red List of Threatened Species 2016: e.T22697695A93630816. doi:10.2305/IUCN.UK.2016-3.RLTS.T22697695A93630816.en. Downloaded on 30 December 2017.
- ↑ 内藤和明, 池田啓 「コウノトリの郷を創る」『ランドスケープ研究』第64巻 4号、社団法人日本造園学会、2000年、318-321頁。
- ↑ 4.00 4.01 4.02 4.03 4.04 4.05 4.06 4.07 4.08 4.09 4.10 4.11 4.12 4.13 4.14 4.15 4.16 大迫義人 「コウノトリ」『レッドデータブック2014 -日本の絶滅のおそれのある野生動物-2 鳥類』環境省自然環境局野生生物課希少種保全推進室編、株式会社ぎょうせい、2014年、36-37頁。
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 5.6 5.7 5.8 竹下信雄 「コウノトリ」『動物世界遺産 レッド・データ・アニマルズ1 ユーラシア、北アメリカ』小原秀雄・浦本昌紀・太田英利・松井正文編著、講談社、2000年、180-181頁。
- ↑ 江崎保男 「コウノトリ科」『日本動物大百科 3 鳥I』日高敏隆監修、平凡社、50頁。
- ↑ 江崎保男・宮良全修 「与那国島におけるコウノトリの集団越冬」『山階鳥類研究所研究報告』第27巻 2号、山階鳥類研究所、1995年、92-97頁。
- ↑ 8.0 8.1 8.2 小宮輝之 「コウノトリ科の分類」『世界の動物 分類と飼育8 (コウノトリ目・フラミンゴ目)』黒田長久・森岡弘之監修、東京動物園協会、1985年、48-58頁。
- ↑ 江崎保男, 佐竹節夫, 吉沢拓祥, 三橋陽子, 大迫義人 「兵庫県豊岡市に飛来・定着した野生コウノトリの死亡とその原因?激しい種内闘争?」『山階鳥類学雑誌』第43巻 2号、山階鳥類研究所、2011年、197-201頁。
- ↑ 週刊 日本の天然記念物 コウノトリ, 2002年11月21日, 2002, 共同印刷株式会社, pages16-17
- ↑ コウノトリ野生復帰の手引書, 2018-3-31, 2018, コウノトリの個体群管理に関する機関・施設間パネル, page88-94
- ↑ コウノトリ野生復帰の手引書, 2018-3-31, 2018, コウノトリの個体群管理に関する機関・施設間パネル, page58
- ↑ 「琴浦の祭りとだんじり」, 1998, 1998, 鴻八幡宮祭りばやし保存会, 大谷壽文