長野駅から南東約3kmほど、県道からやや入った住宅地に鎮座する。
860年(貞観2年)「'''[[速飄別命|飄別神]]'''<!--飄間神は誤記-->に叙位」との記述がある。979年(天元2年)には諏訪氏の庶流・矢島忠直が庄司として派遣され風間姓を名乗り、これが各地の風間氏の発祥となっている。
神社に伝わる「太々神楽獅子舞」は1822年(文政5年)から続く、歌詞がなく太刀を持つ雄獅子であり、1998年(平成10年)に長野市選択無形民俗文化財に選択されている<ref>[http://bunkazai-nagano.jp/modules/dbsearch/page1166.html 風間神社太々神楽獅子舞] - 長野市文化財データベース</ref>。
* 596年(推古天皇5年)8月 - 日本書紀に記述が見える。
* 860年(貞観2年)2月 - 日本三代実録に記述が見える。
* [[979年]]([[天元 (日本)|天元]]2年) 979年(天元2年) - [[諏訪氏]]の庶流・矢島忠直が庄司として派遣され、[[風間氏]]を名乗る。諏訪氏の庶流・矢島忠直が庄司として派遣され、風間氏を名乗る。* [[1697年]]([[元禄]]10年) 1697年(元禄10年) - 諏訪社から風間大明神に改称<ref>[http://weekly-nagano.main.jp/2012/01/127.html 127 風間神社 〜式内社に改名した風神〜] - 週刊長野</ref>。* [[1822年]]([[文政]]5年9月) 1822年(文政5年9月) - 神祇管領長[[吉田家]]により風間神社と改称。神祇管領長吉田家により風間神社と改称。* [[1998年]]([[平成]]10年)[[8月1日]] 1998年(平成10年)8月1日 - 「風間神社太々神楽獅子舞」が長野市[[選択無形民俗文化財]]に選択される。「風間神社太々神楽獅子舞」が長野市選択無形民俗文化財に選択される。
== 参考文献 ==
* Wikipedia:風間神社(最終閲覧日:25-01-15)**『信州の文化シリーズ 寺と神社』1981年 信濃毎日新聞社
== 関連項目 ==
* [[風間氏速飄別命]]* [[速飄命]]
== 外部リンク ==