==== 近世 ====
[[江戸幕府]]中期、江戸では[[野犬]]が多く、赤ん坊が食い殺される事件もあった。5代[[征夷大将軍|将軍]]・[[徳川綱吉]]は[[戌年]]の戌月の戌の日の生まれであったため、彼によって発布された「[[生類憐れみの令]]」([[1685年|1685]]江戸幕府中期、江戸では野犬が多く、赤ん坊が食い殺される事件もあった。5代将軍・徳川綱吉は戌年の戌月の戌の日の生まれであったため、彼によって発布された「生類憐れみの令」(1685年 - [[1709年]])において、犬は特に保護(生類憐れみの令は人間を含む全ての生き物に対する愛護法令)され、[[元禄]]9年([[1696年]])には犬を殺した江戸の町人が[[獄門]]という処罰まで受けている。綱吉は当時の人々から「犬[[公方]]」(いぬくぼう)と[[あだ名]]された。1709年)において、犬は特に保護(生類憐れみの令は人間を含む全ての生き物に対する愛護法令)され、元禄9年(1696年)には犬を殺した江戸の町人が獄門という処罰まで受けている。綱吉は当時の人々から「犬公方」(いぬくぼう)とあだ名された。 徳川綱吉は狆を愛玩したようで、綱吉は二人の大名に狆を飼わせたため、二人は高価な狆を求め百余匹も飼育していた。それらの狆は綱吉の命によって江戸城に納められたが、狆は役人に護送され、立派な乗り物に乗せられて登城したという(『三王外記』){{Sfn|<ref>谷口|, 2012|p=80}}。この法令が直接適用されたのは[[天領]]であったが、間接的に適用される[[藩|諸藩]]でも将軍の意向に逆らうことはできなかった。綱吉の後を継いだ[[徳川家宣]]の治世当初に生類憐れみの令は廃止された。[[天明の大飢饉]]により米価が高騰し深刻な米不足が起こった際、[[江戸北町奉行]]・[[曲淵景漸]]がイヌや, p80</ref>。この法令が直接適用されたのは天領であったが、間接的に適用される諸藩でも将軍の意向に逆らうことはできなかった。綱吉の後を継いだ徳川家宣の治世当初に生類憐れみの令は廃止された。天明の大飢饉により米価が高騰し深刻な米不足が起こった際、江戸北町奉行・曲淵景漸がイヌや[[ネコ]]の肉の価格を示して「米がないならイヌやネコの肉を食え」と発言し町人の怒りを買い、江戸市中で[[打ちこわし]]まで引き起こす結果となった。の肉の価格を示して「米がないならイヌやネコの肉を食え」と発言し町人の怒りを買い、江戸市中で打ちこわしまで引き起こす結果となった。
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