また、石刻の人物が'''全身'''の姿で描かれていることも興味深く感じる。
そして、この石刻が「太陽神」であった場合、長江文明は稲作の文明でもあるため、この人物像は後に「'''[[炎帝神農|炎帝]]'''」と呼ばれた太陽神と関連があるのではないだろうか。[[炎帝神農|炎帝]]は農耕との関連が深い神ともされている。もし、この石刻が「原始炎帝」とも言うべき「太陽神」を現しているとすれば、「'''人でもある男性の太陽神'''」の存在と、それが「'''崇拝の対象である'''」という概念は9000年前には発生していた、といえる。
== 参考文献 ==