「なまはげ」の版間の差分

提供: Bellis Wiki3
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
(同じ利用者による、間の3版が非表示)
67行目: 67行目:
 
== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
 
=== 発祥 ===
 
=== 発祥 ===
[[妖怪]]などと同様に民間伝承であるため、正確な発祥などはわかっていない。秋田には、「[[漢]]の[[武帝 (漢)|武帝]]が男鹿を訪れ、5匹の[[鬼]]を毎日のように使役していたが、正月15日だけは鬼たちが解き放たれて里を荒らし回った」という伝説があり、これをなまはげの起源とする説がある<ref>{{Cite book|和書|author=万造寺竜|authorlink=万造寺竜|title=旅の伝説玩具|year=1936|publisher=[[旅行界発行所]]|url={{NDLDC|1441373/45}}
+
妖怪などと同様に民間伝承であるため、正確な発祥などはわかっていない。秋田には、「'''漢の武帝が男鹿を訪れ、5匹の鬼を毎日のように使役していたが、正月15日だけは鬼たちが解き放たれて里を荒らし回った'''」という伝説があり、これをなまはげの起源とする説がある<ref>万造寺竜, 万造寺竜, 旅の伝説玩具, 1936, 旅行界発行所, p75-77</ref><ref>野添憲治, 秋田の伝説, 1976, 角川書店, 日本の伝説, ncid:BN03653538, p23-24</ref>。
|pages=75-77}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author1=野添憲治|authorlink1=野添憲治|author2=野口達二|title=秋田の伝説|year=1976|publisher=[[角川書店]]|series=日本の伝説|ncid=BN03653538|pages=23-24}}</ref>。
+
 
 +
==== 私的解説 ====
 +
秋田県以外にも各地に類似した行事があるので、起原的にはかなり古い行事と考える。「鬼」というのは中国神話における「'''[[年獣]]'''」のようなもので、正月にやってきて人肉や子供の肉を食す、とされたものなのではないだろうか。台湾の伝承に「[[太昊型神|タガラウソクソク]]という巨人がいたとされる。この巨人は常に流浪していて飢えた時には嬰児を丸呑みした。」という巨人神が登場する。これは葛城氏・賀茂氏にしばしば見られる「多久」「田子」といった地名や、[[阿遅鉏高日子根神]]の原型に近い神と考えられ、元は葛城氏・賀茂氏の先祖が正月や何かの行事の折に、人身御供を求め、その肉を食べていたことに由来すると考える。
  
 
=== 年表 ===
 
=== 年表 ===
130行目: 132行目:
 
|[[1997年]]
 
|[[1997年]]
 
|}
 
|}
 
== なまはげ太鼓 ==
 
'''なまはげ太鼓'''(なまはげ たいこ)は、なまはげが[[和太鼓]]を演舞する[[男鹿市|男鹿]]の郷土芸能。昭和の終わり頃に、伝統の継承と地域振興のため、地元の人たちの手で生まれた<ref>{{Cite news|和書 |url= https://www.asahi.com/ads/tu/14839350 |title= 視覚と聴覚の衝撃「なまはげ太鼓」その音で伝えたいこと |work= 朝日新聞DIGITAL |date= 2023-03-02 |accessdate= 2023-10-21 }}</ref>。「なまはげ衣装をまとっての太鼓による音楽の演奏」等で一般社団法人男鹿市観光協会によって商標登録(第5495682号)されている。
 
 
;なまはげ太鼓団体「恩荷」(おんが)<ref>[https://oganavi.com/onga/ 恩荷(おんが) なまはげ太鼓 秋田県男鹿]</ref><ref>{{Twitter|ONGA_ogaonsen|ONGA・恩荷}}</ref>
 
: [[男鹿温泉郷|男鹿温泉交流会館]] 五風(ごふう)にて定期公演<ref>[https://e-ogaonsen.com/taiko/ 五風なまはげ太鼓 秋田県 男鹿温泉郷]</ref>を行っている<ref>{{Cite news|和書 |url= https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22750610W7A021C1L01000/ |title= 若者引き留める「なまはげ太鼓」 秋田・男鹿温泉郷 |work= 日本経済新聞 |date= 2017-10-26 |accessdate= 2023-10-21 }}</ref>。
 
;なまはげ郷神楽(NAMAHAGE郷神楽 さとかぐら)<ref>[https://www.namahage.jp/ なまはげ郷神楽]</ref><ref>{{Twitter|namahage_stkgr|【公式】NAMAHAGE郷神楽}}</ref>
 
: 海外や[[私立恵比寿中学秋田分校|アイドルフェス]]<ref>{{Cite news|和書 |url= https://barks.jp/news/852237/ |title= エビ中、アイドル初の「あきた美の国ガールズ」に就任 |work= BARKS |publisher= ジャパンミュージックネットワーク株式会社 |date= 2019-10-20 |accessdate= 2023-10-21 }}</ref>でもパフォーマンスを行っている<ref>{{Cite news|和書 |url= https://www.yomiuri.co.jp/local/akita/news/20221230-OYTNT50157/ |title= なまはげ太鼓豪快に |work= 読売新聞オンライン |date= 2022-12-31 |accessdate= 2023-10-21 }}</ref>。
 
;Akita和太鼓パフォーマンスユニット 音打屋-OTODAYA-<ref>{{Instagram|otodaya|音打屋-OTODAYA- 和太鼓ユニット}}</ref>
 
: 「わっかフェス」などでパフォーマンス<ref>{{Cite news|和書 |url= https://gendai.media/articles/-/107903 |title= いま「秋田の伝統芸能」が感動を呼んでいる…地域を盛り上げる「わっかフェス」が大反響になったワケ |work= 朝日新聞DIGITAL |date= 2023-03-29 |accessdate= 2023-10-21 }}</ref>
 
;男鹿海洋高校 郷土芸能部<ref name="kaiyou">[http://www.kaiyou-h.akita-pref.ed.jp/html/namahage.html 郷土芸能部 秋田県立男鹿海洋高等学校]</ref><ref>{{Twitter|oga_kyougei|男鹿海洋 郷土芸能部}}</ref><ref>{{Cite news|和書 |url= https://mainichi.jp/articles/20201127/k00/00m/040/026000c |title= 「卒業後も続けたい」 男鹿海洋高生「なまはげ太鼓」披露 秋田 |work= 毎日新聞 |date= 2020-11-27 |accessdate= 2023-10-21 }}</ref>
 
: 1989年に現 [[秋田県立男鹿海洋高等学校|男鹿海洋高校]]の「なまはげ太鼓同好会」として発足、1998年に部活動に昇格、2016年に現在の部活動名に改称<ref name="kaiyou" />。
 
;男鹿ナマハゲ太鼓推進協議会 O×N×D×A
 
: [[男鹿ナマハゲロックフェスティバル|OGA NAMAHAGE ROCK FES]]<ref>[https://onrf.jp/milestone/vol8 ONRFアーカイブ OGA NAMAHAGE ROCK FESTIVAL VOL.8]</ref>やARABAKI ROCK FESTIVAL<ref>[https://2020.arabaki.com/lineup/prf/a006/ ラインナップ |ARABAKI ROCK FEST.20]</ref>に出演。
 
 
== 映画 ==
 
*『[[風が通り抜ける道]]』([[田中壱征]]監督作品)[[沖縄県]]後援、[[カンヌ国際映画祭]]2023年 披露上映作品、[[沖縄国際映画祭]]2023年 正式出品作品、一般劇場公開2024年([[イオンエンターテイメント]])
 
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==

2026年3月12日 (木) 18:54時点における最新版

なまはげは、秋田県の男鹿半島周辺で行われてきた年中行事、あるいはその行事において、仮面をつけの衣装をまとった神の使い(来訪神)を指す。

概要[編集]

秋田県の男鹿半島(男鹿市)、および、その基部(山本郡三種町・潟上市)の一部において見られる伝統的な民俗行事。またはその行事を執り行う者の様相を指す。200年以上の歴史を有する。男鹿市などの調査によると、2012~2015年において市内148地区のうち約80地区でナマハゲ(なまはげ)行事がある[1]。「男鹿(おが)のナマハゲ」として、国の重要無形民俗文化財に指定されているほか、「来訪神:仮面・仮装の神々」の一つとしてユネスコの無形文化遺産に登録されている。異形の仮面をつけ、藁などで作った衣装をまとった「なまはげ」が、家々を巡って厄払いをしたり、怠け者を諭したりする。

男鹿市の真山神社では、なまはげが登場するなまはげ柴灯(せど)まつりを神事と位置付けている[2]#観光も参照)。

なまはげと同様の行事は日本各地に広く分布する。その中でも、特になまはげは、圧倒的な知名度を得て、秋田県の記号になるまでに至った。

赤神神社伝承[編集]

秋田県男鹿市船川港本山門前字祓川にある神社。赤神と称した漢の孝武帝が天から降りてきたという伝説がある。主祭神は天津彦火瓊瓊杵之命。

貞観年中には慈覚大師を筆頭とした天台宗の勢力が入り込み、以下の真山神社と共に修験の信仰が昂り、天台僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤山明神が大きく祀られるようになった。

なまはげは、当地に来訪した武帝が連れてきた鬼であったとする伝説がある。鬼の乱暴を止めるために村人が申し出た「一晩に千段の石段を作れるならば娘を差し出す、出来なければ山に帰ること」という賭けを承諾した鬼たちが、999段まで作り終えたところで、村人の一人がの鳴き真似をして乱暴を止めさせたと言われている。

真山神社・柴灯祭(せどまつり)[編集]

真山神社は男鹿市北浦字真山字水喰沢にある神社。江戸時代は赤神山光飯寺といった。主祭神は瓊瓊杵尊、武甕槌。

本社の特異神事として柴灯祭(せどまつり)がある。正月3日の夕刻境内に柴灯を焚き、この火によってあぶられた大餅をお山に鎮座する神に献じて、その年の村内安全、五穀豊穣、大漁満足、悪疫除去を祈る祭儀である。なまはげはこの神の使者「神鬼」の化身と言われ、長治年間より行われてきた。

祭祀の沿革[編集]

開催時期の前倒し[編集]

江戸時代には太陰太陽暦:1月15日の小正月に開催されていたが、明治の改暦で、約1か月前倒しとなるグレゴリオ暦:1月15日の小正月に開催する例も見られるようになった。

第二次世界大戦後は更に2週間ほど前倒しされた、グレゴリオ暦の大晦日(12月31日)に行われている[3]。なお、太陰太陽暦の大晦日は、12月30日または12月29日である。

伝統的習俗の衰退と対応[編集]

家々を回る年中行事としてのなまはげを実施する集落は、かつては男鹿半島のほとんどだったが、少子高齢化の影響で、現在はほぼ半減している[4][5]。男鹿市の調査によると、2015年までの25年間に約35地区で行事が途絶えた[1]

本来、地区の未婚の男性がなまはげを務めるのが習わしであるが、高齢化と地区の人口減により担い手の若者が減少、さらには帰省中の親族など地区外の者が務める例も見られるようになった[4][5]。男鹿市の双六地区では、なまはげ役を県内にある秋田大学や国際教養大学の外国人留学生も務めることがある[6]。また、なまはげの主な訪問先である子供がいる世帯が少子化により減少しているため、実施する動機の減退も見られる[4]。その他、年末年始に仕事があったり、旅行などで不在だったりと、住民の生活の変化もなまはげの衰退の要因になっている。なまはげは高校生でもできる。

対策として2012年度(平成24年度)より男鹿市は、なまはげを実施する町内会に補助金での助成を実施。同市内の148の町内会のうち同年度、6会はなまはげを再開したものの、半数近い71会は実施しなかった[5]。2015年度(平成27年度)も69会が実施しなかった[4]

男鹿市の羽立駅前地区では2018年大晦日に、女性がなまはげに扮することが検討されたが、見送りとなった[7]

「観光」化[編集]

男鹿半島には観光用に年中なまはげを体験できる施設「男鹿真山伝承館」がある。「なまはげは未婚男性」というしきたりがある地区出身の既婚男性が、観光行事でなまはげに扮するといった使い分けも行われている[1]

「鬼」化[編集]

なまはげには角があるため、鬼であると誤解されることがあるが、鬼ではない[注 1]。なまはげは本来、鬼とは無縁の来訪神であったが[8][9]、近代化の過程で鬼と混同され、誤解が解けないまま鬼の一種に組み込まれ、変容してしまったという説がある[9]

名称[編集]

冬に囲炉裏(いろり)にあたっていると手足に「ナモミ」 「アマ」と呼ばれる低温火傷(温熱性紅斑)ができることがある。“それを剥いで”怠け者を懲らしめ、災いをはらい祝福を与えるという意味での「ナモミ剥ぎ」から「なまはげ」 「アマハゲ」 「アマメハギ」 「ナモミハギ」などと呼ばれるようになった。したがってナマに「生」の字を当て「生剥」とするのは誤り。

なまはげの仮面の形は地域によって様々異なるが、赤面と青面の1対に定型化もされており、この場合は赤面がジジナマハゲ、青面がババナマハゲと呼ばれる。

私的解説[編集]

個人的には「なまはげ」というのはミャオ族の芒蒿(マンガオ)と同じ子音で、同語源と考える。いずれも正月の祭祀であり、「山から降りてきた神」に豊穣や幸いを願う、というものである[10][11]

類似した行事[編集]

本州北部の日本海沿岸部には、青森県西津軽のナゴメタクレ、秋田県能代市のナゴメハギ、秋田市のやまはげ、秋田県沿岸南部のナモミハギ、山形県遊佐町のアマハゲ等がある。主に新潟県村上市や石川県能登地方にはあまめはぎが伝えられ、福井県には語源は異なるがあっぽっしゃなどの呼び名でも分布する。

東北地方の太平洋沿岸部(三陸海岸)にも同様のものが存在する。岩手県では久慈市のナガミ、野田村・普代村・山田町のナモミ、釜石市のナナミタクリ、大船渡市三陸町吉浜のスネカ、弘前市のアブラダタキ、栗原市のモミダリ、同市三陸町越喜来のタラジガネ、内陸に入って遠野市のナモミタクリやヒカタタクリ等がある。

四国の愛媛県宇和島地方では、前述の低温火傷を「あまぶら」といって、あまぶらができるような怠け者が便所に入ると、「あまぶらこさぎ」という者があまぶらを取り去るという[12]

風習[編集]

なまはげ[編集]

「なまはげ」は怠惰や不和などの悪事を諌め、災いを祓いにやってくる来訪神である。かつては小正月(旧暦から新暦に)の行事だったが大晦日の行事となり、年の終わりに、大きな出刃包丁(あるいは鉈)を持ち、鬼の面、ケラやミノのような用具、ハバキをまとって、なまはげに扮した村人が家々を訪れ「泣ぐ子(ゴ)は居ねがー」「悪い子(ゴ)は居ねがー」と奇声を発しながら練り歩き、家に入って怠け者や子供、初嫁を探して暴れる。家人は正装をして丁重にこれを出迎え、主人が今年1年の家族のしでかした日常の悪事を釈明するなどした後に酒などをふるまって、送り帰すとされている。最後は「へばなー(津軽弁で「またね」「じゃぁね」の意)」「元気にしろよ〜」と言って出ていく。

面は、本来は丹色(赤)に塗ったが主で、木の皮や木製だったが[13]、近年ではこれにかわり竹ザルを台材にした張り子や、ボール紙製など様々である[14]。藁衣装はケラ・ミノの類と説明されることが多いが、厳密には現地でケデ(またはケンデ、ケダシ)と称する特有の衣装である[15]

教育的機能[編集]

なまはげは伝統的民俗行事であるとともに、東北地方においては幼児に対する教育の手段として理解されている。親は幼児に対し予めなまはげによる強い恐怖体験を記憶させ、そのあと幼児に対し望ましくないとみなされる行為を行った場合、その恐怖体験が再現される可能性を言語的手段によって理解させる[16]

歴史[編集]

発祥[編集]

妖怪などと同様に民間伝承であるため、正確な発祥などはわかっていない。秋田には、「漢の武帝が男鹿を訪れ、5匹の鬼を毎日のように使役していたが、正月15日だけは鬼たちが解き放たれて里を荒らし回った」という伝説があり、これをなまはげの起源とする説がある[17][18]

私的解説[編集]

秋田県以外にも各地に類似した行事があるので、起原的にはかなり古い行事と考える。「鬼」というのは中国神話における「年獣」のようなもので、正月にやってきて人肉や子供の肉を食す、とされたものなのではないだろうか。台湾の伝承に「タガラウソクソクという巨人がいたとされる。この巨人は常に流浪していて飢えた時には嬰児を丸呑みした。」という巨人神が登場する。これは葛城氏・賀茂氏にしばしば見られる「多久」「田子」といった地名や、阿遅鉏高日子根神の原型に近い神と考えられ、元は葛城氏・賀茂氏の先祖が正月や何かの行事の折に、人身御供を求め、その肉を食べていたことに由来すると考える。

年表[編集]

テンプレート:External media

なまはげ柴灯まつり[編集]

なまはげは、かつて小正月旧暦1月14日/1月15日または新暦1月14日/1月15日)におこなわれていた。旧暦の小正月を新暦に当てはめると、毎年日にちは異なるが2月初旬から3月初旬のいずれかの日にあたる。「なまはげ柴灯(せど)まつり」は旧暦の小正月の時期に近く、新暦の月遅れ付近にあたる毎年2月の第2・第2・第2に行われている。1964年(昭和39年)の初回は男鹿温泉郷星辻神社で開催されたが、後年、真山神社に会場が移った。

主に観光向け行事として親しまれている。こちらは、なまはげの着ているケラから落ちたを頭などに巻きつけると無病息災の御利益があるといわれている[21][22][23]

立像[編集]

テンプレート:右 秋田県では、藁で体をつくり、木彫りの面をつけた人形道祖神鹿島様」を集落の入り口に設置する風習があり、高いものでは4mにも及ぶ[24][25]。鹿島様となまはげは風貌は似ているが、なまはげ立像の設置に鹿島様のような宗教性があるとの言及は見られず、設置場所も集落の入り口とは限らない。

近年の立像では、赤と青の1対のなまはげが設置される傾向があるが、伝統を受け継いできた数十の集落でこのような赤と青の1対が定番なのかは不明である。

屋外に設置された主な立像[26][27][28]
所在地 位置 体長/全高 設置年
男鹿総合観光案内所 テンプレート:ウィキ座標 15 m
12 m
2体 2007年
門前地区 テンプレート:ウィキ座標 テンプレート:09.99 m 1体
男鹿温泉郷 テンプレート:ウィキ座標 1体
JR男鹿駅 テンプレート:ウィキ座標 2体 2012年
なまはげ大橋 テンプレート:ウィキ座標 2体 1997年

脚注[編集]

テンプレート:脚注ヘルプ

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 1.0 1.1 1.2 【記者の目】ナマハゲ ユネスコ無形文化遺産/観光と伝統 両立モデルに/秋田支局 川口峡『毎日新聞』朝刊2019年2月21日(2019年2月25日閲覧)。
  • 真山神社 特異神事(2019年3月16日閲覧)。
  • 小正月から節分の風習と神仏(Sai-Jiki 彩時記)
  • 4.0 4.1 4.2 4.3 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「kahoku20171229」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  • 5.0 5.1 5.2 なまはげ伝承に「黄信号」 少子高齢化で担い手不足(『日本経済新聞』2013年4月18日)
  • 「ナマハゲの継承に尽力 大切な文化、後世に」日本経済新聞ニュースサイト、2018年11月30日掲載の共同通信配信記事、2019年3月16日閲覧。
  • 「女性のナマハゲ、実現せず/抵抗強く、雰囲気を察し辞退」朝日新聞DIGITAL(2018年12月31日)2019年2月13日閲覧。
  • 大湯卓二・嶋田忠一, 東北の鬼. 1989, 岩手出版, ncid:BN04047704, 秋田の鬼
  • 9.0 9.1 小松和彦, 妖怪文化入門, 2012, 角川書店, isbn:978-4-04-408303-8, p150-152
  • 「来訪神」とは「年に一度、決まった時期に人間の世界に来訪するとされる神である。」という定義だそうである。(Wikipedia:来訪神(最終閲覧日:26-03-11))
  • 年に2回来たら、あるいは不定期に来たら、または何年かに1度来たら「来訪神」ではないのか、何故回数で来訪神とされたりされなかったりするのか、さっぱり分からないので、「来訪神」という言葉は個人的には好きではない。例えば、お祭りの時に神を降ろして、お神輿に乗せて練り歩いたりするのだって、「降りてくる神」なのだから、「来訪神」で良いと思う。仮面を被っていなければ「来訪神」でない、と言うのであれば、素顔で来たなら「年に1度」でも来訪神ではないのか。なんで、そういう定義にしなければならないのか、回数や仮面の有無で「来訪神」としたりしなかったりする意味とはにか、と個人的には追求したいかもしれない
  • 水木しげる, 水木しげるの続・妖怪事典, 1984, 東京堂出版, isbn:978-4-490-10179-9, p136
  • 稲, 1985, p36
  • 稲, 1985, p42
  • 稲, 1985, p45
  • 内藤俊史1987「こどもの内在的正義の観念としつけ態度との関係---農村地域におけるケーススタディ」『社会心理学研究』3(1):29-38
  • 万造寺竜, 万造寺竜, 旅の伝説玩具, 1936, 旅行界発行所, p75-77
  • 野添憲治, 秋田の伝説, 1976, 角川書店, 日本の伝説, ncid:BN03653538, p23-24
  • 菅江真澄遊覧記秋田県立図書館
  • 20.0 20.1 男鹿のナマハゲ 重要無形民俗文化財男鹿市教育委員会)
  • 「男鹿のなまはげ」秋田県公式サイト内
  • なまはげに関する基礎知識 テンプレート:Webarchive
  • 「美と畏怖の追求~ナマハゲ面彫刻~」秋田の物産総合情報サイトNEMARE内 テンプレート:Webarchive
  • 鹿島まつり(秋田県「美しき水の郷あきた」)
  • 若畑の鹿島様(秋田県「秋田県のがんばる農山漁村応援サイト」 2011年4月)
  • なまはげ立像(【男鹿市公認】秋田県男鹿の観光サイト「男鹿なび」)
  • テンプレート:PDFlink(男鹿市観光協会 2013年3月)
  • テンプレート:PDFlink(東日本旅客鉄道 2012年10月9日)

  • 引用エラー: 「注」という名前のグループの <ref> タグがありますが、対応する <references group="注"/> タグが見つからない、または閉じる </ref> タグがありません