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Adapa<br>
 
Adapa<br>
 
メソポタミアの7賢人の内、最初の賢人であるアダパは、不死という賜物を知らずに手に入れ損なった神話上の人物である。アダパの物語は、カッシート王朝時代<ref>カッシート王朝(バビロン第3王朝)、紀元前14世紀</ref>のアマルナ<ref>エジプト、当時エジプト第18王朝、アメンホテプ4世の首都であった。</ref>から出土した粘土板の断片の中に認められる。また、紀元前2000年紀後半のアッシュール出土の粘土板にも認められている。メソポタミアの神話には太古の七賢人が登場する。彼らはエリドゥの叡智の神エアによって人類に文明を与えるために送られたとされる。「最初の者」であるアダパは「ウアン」としても知られている。ベロッソス(紀元前3世紀のバビロニアの著述家)によると、ウアンはオアンネス<ref>半人半魚の神人</ref>と同じものであるとのことである。ウアンはエリドゥにあるアプスー神殿の神官として正しい祭祀を教えたとされている。この賢人達は、文献上「純粋な下生した魚」と述べられている。それはおそらく鯉のことである。鯉の骨は初期の神殿に関連した遺跡で発見され、近東のモスクや修道院では未だに聖なる魚とされている。漁師としてのアダパは半漁人のような合成獣として図示された。賢人を示す「アブガル」(Abgallu:シュメール語でAbは「水」、 galは「偉大な」、Luは「人」の意、アダパの別名 )という言葉は、紀元後のナバテア王国(現在のヨルダン西部)にも残った。そこで「アプカルム」という言葉はある種の聖職者を示す言葉として使われた。
 
メソポタミアの7賢人の内、最初の賢人であるアダパは、不死という賜物を知らずに手に入れ損なった神話上の人物である。アダパの物語は、カッシート王朝時代<ref>カッシート王朝(バビロン第3王朝)、紀元前14世紀</ref>のアマルナ<ref>エジプト、当時エジプト第18王朝、アメンホテプ4世の首都であった。</ref>から出土した粘土板の断片の中に認められる。また、紀元前2000年紀後半のアッシュール出土の粘土板にも認められている。メソポタミアの神話には太古の七賢人が登場する。彼らはエリドゥの叡智の神エアによって人類に文明を与えるために送られたとされる。「最初の者」であるアダパは「ウアン」としても知られている。ベロッソス(紀元前3世紀のバビロニアの著述家)によると、ウアンはオアンネス<ref>半人半魚の神人</ref>と同じものであるとのことである。ウアンはエリドゥにあるアプスー神殿の神官として正しい祭祀を教えたとされている。この賢人達は、文献上「純粋な下生した魚」と述べられている。それはおそらく鯉のことである。鯉の骨は初期の神殿に関連した遺跡で発見され、近東のモスクや修道院では未だに聖なる魚とされている。漁師としてのアダパは半漁人のような合成獣として図示された。賢人を示す「アブガル」(Abgallu:シュメール語でAbは「水」、 galは「偉大な」、Luは「人」の意、アダパの別名 )という言葉は、紀元後のナバテア王国(現在のヨルダン西部)にも残った。そこで「アプカルム」という言葉はある種の聖職者を示す言葉として使われた。
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== 私的考察 ==
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アダパの名前は、子音から見るとチワン(壮)族の神[[布洛陀]](Buluotuoブルオトゥオ)に近いように思える。助言を与える神であること、エアの息子でありながらエアと微妙に対立的であり、人リルを傷つけてもいることから、[[祝融型神]]のうちでも'''[[伏羲型神]]'''に当てはまると考える。[[布洛陀]]は巨人的に描かれ、自ら戦うという性質があるが、アダパは神官としても現されより文化英雄的である。
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ウアンという名の時には子音から見て'''ヴァルナ'''(イラン・インド神話)、オアンネスの時にはオーケアノス(ギリシャ神話)に近い名だと思う。いずれも水に関する神である。ただしギリシャ神話で魚形を取る神はオーケアノスではなくポセイドーンの息子トリートーンである。トリートーンには嵐を沈める性質があり、風や嵐に関与できる性質はアダパと共通している。
  
 
== 神話 ==
 
== 神話 ==
アダパは叡智の神であり、古代都市エリドゥの守護神であったエア(シュメール神話におけるエンキ)の息子で、神の血統であったが死ぬべき運命の人間であった。彼はエリドゥに文明をもたらした(いくつかのバージョンではディルムンからやってきたと言われている)。アダパは、南風の神ニンリルに釣り船をひっくり返されたため、ニンリルの翼を折った。そのため、アヌ神の前でその説明をするようにと呼び出された。アダパの守護神であるエアは謙虚に謝罪し、神々の国の食物は死をもたらすため飲み食いしないようにと諭した。<ref>ディルムンはメソポタミア文明において、交易の中継地として栄えた実在の土地らしいが、ここでは神々の住まう国(楽園)として述べられている。</ref>アダパの誠実さに感銘を受けたアヌは不死の食物でもてなそうとしたが、エアの忠告に従ったアダパは食事に手をつけず、不死となる機会を逃してしまった。
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アダパは叡智の神であり、古代都市エリドゥの守護神であった'''エア'''(シュメール神話におけるエンキ)'''の息子'''で、神の血統であったが死ぬべき運命の人間であった。彼はエリドゥに文明をもたらした(いくつかのバージョンではディルムンからやってきたと言われている)。アダパは、南風の神ニンリルに釣り船をひっくり返されたため、ニンリルの翼を折った。そのため、アヌ神の前でその説明をするようにと呼び出された。アダパの守護神であるエアは謙虚に謝罪し、神々の国の食物は死をもたらすため飲み食いしないようにと諭した。<ref>ディルムンはメソポタミア文明において、交易の中継地として栄えた実在の土地らしいが、ここでは神々の住まう国(楽園)として述べられている。</ref>アダパの誠実さに感銘を受けたアヌは不死の食物でもてなそうとしたが、エアの忠告に従ったアダパは食事に手をつけず、不死となる機会を逃してしまった。
  
創世記におけるやや類似したエピソードには、[[wikija:アダム|アダム]]と[[wikija:イヴ|イヴ]]が善悪を判断する知識の樹の実を食べた後、[[wikija:ヤハウェ|ヤハウェ]]によって[[wikija:エデンの園|エデンの園]]から追い出され、死すべき運命となったというものがある。ギリシャ神話において、類似点は黄泉の国を訪れた[[wikija:ペルセフォネ|ペルセフォネ]]の物語として、更に明確となっている。彼女はそこで食事をとらないように警告されていた。ステファニー・ギャレーは「『[[エラ]]とイシュム([[wikipedia:Ishum|Ishum]])の物語』より、全ての賢人が楽園から追放されたことが分かる。彼らは神々を怒らせて、[[wikija:エンキ|エア]]の住まう[[wikija:アプスー|アプスー]]に戻ったので、物語はアダパの追放で終わる」と述べている。<ref>エラとイシュムはバビロニアの火と破壊の神である。エラが「破壊の神」でイシュムが「火の神」である。バビロニアを敵から守るために信仰されたようである。</ref>アダパは、しばしば大洪水以前の[[wikija:エリドゥ|エリドゥ]]の初代王である[[wikija:アルリム|アルリム]]に助言を与えたとされた[[wikija:オアンネス|オアンネス]]と同一視されている。王の助言者というだけでなく、アダパは神官や祈祷師としても務め、死後は七賢人またはアプカル([[wikipedia:Apkallu|Apkallu]])とされた。(「賢人」であるアプカル([[wikipedia:Apkallu|Apkallu]])は、シュメール語のAB.GAL.LU (Ab=水, Gal=偉大な Lu=人)に由来し、水に関連している最初の「賢人」であるアダパと相関している。)
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創世記におけるやや類似したエピソードには、アダムとイヴが善悪を判断する知識の樹の実を食べた後、ヤハウェによってエデンの園から追い出され、死すべき運命となったというものがある。ギリシャ神話において、類似点は黄泉の国を訪れたペルセフォネの物語として、更に明確となっている。彼女はそこで食事をとらないように警告されていた。ステファニー・ギャレーは「『エラとイシュム(Ishum)の物語』より、全ての賢人が楽園から追放されたことが分かる。彼らは神々を怒らせて、エアの住まうアプスーに戻ったので、物語はアダパの追放で終わる」と述べている。<ref>エラとイシュムはバビロニアの火と破壊の神である。エラが「破壊の神」でイシュムが「火の神」である。バビロニアを敵から守るために信仰されたようである。</ref>アダパは、しばしば大洪水以前のエリドゥの初代王であるアルリムに助言を与えたとされたオアンネスと同一視されている。王の助言者というだけでなく、アダパは神官や祈祷師としても務め、死後は七賢人またはアプカル(Apkallu)とされた。(「賢人」であるアプカル(Apkallu)は、シュメール語のAB.GAL.LU (Ab=水, Gal=偉大な Lu=人)に由来し、水に関連している最初の「賢人」であるアダパと相関している。)
  
 
== オアンネスとして ==
 
== オアンネスとして ==
オアンネス(Oannes、Ὡάννης、アルメニア語ではHovhannes)の名は、人類に知恵を与えた神話的人物として、[[wikija:バビロニア|バビロニア]]の著述家[[wikija:ベロッソス|ベロッソス]](紀元前3世紀)の著作の中にみられる。[[wikija:ベロッソス|ベロッソス]]は、オアンネスを下半身が魚である人だと述べている。アダパはペルシャ湾に住んでいて、昼間海から上がってきて、人類に筆記、工芸、様々な化学を教えてくれるとのことである。
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オアンネス(Oannes、Ὡάννης、アルメニア語ではHovhannes)の名は、'''人類に知恵を与えた'''神話的人物として、バビロニアの著述家ベロッソス(紀元前3世紀)の著作の中にみられる。ベロッソスは、オアンネスを'''下半身が魚'''である人だと述べている。アダパはペルシャ湾に住んでいて、昼間海から上がってきて、人類に筆記、工芸、様々な化学を教えてくれるとのことである。
  
「オアンネス」という名は古代バビロニアの神[[wikija:エア|エア]]に由来するとかつては推測されていた。しかし、現在では[[wikija:アッシュールバニパルの図書館|アッシュールバニパル王の図書館]]<ref>紀元前7世紀に設立された。</ref>の文書において、アダパはバビロニア語でウアンナ(またはウアン)とされており、そのギリシア語形が「オアンネス」であると分かっている。アッシリアの文章では単純な語呂合わせをして、アッカド語で職人を意味する「ウマヌ(ummanu)」と結びつけようとしている。
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「オアンネス」という名は古代バビロニアの神エアに由来するとかつては推測されていた。しかし、現在ではアッシュールバニパル王の図書館<ref>紀元前7世紀に設立された。</ref>の文書において、アダパはバビロニア語でウアンナ(またはウアン)とされており、そのギリシア語形が「オアンネス」であると分かっている。アッシリアの文章では単純な語呂合わせをして、アッカド語で職人を意味する「ウマヌ(ummanu)」と結びつけようとしている。
  
 
ヨシフ・シクロフスキーとカール・サガンは、その一貫性と詳細さから、オアンネスの物語は古い時代の神話と連続している可能性があるため綿密な調査に値すると述べた。
 
ヨシフ・シクロフスキーとカール・サガンは、その一貫性と詳細さから、オアンネスの物語は古い時代の神話と連続している可能性があるため綿密な調査に値すると述べた。
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== 原文 ==
 
== 原文 ==
[[wikipedia:Adapa|Adapa]]
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[[wikipedia:Adapa|Adapa]]:参照した文書が古いので、いずれ新しい文書も参照したい(251214付記)。
  
 
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[[Category:メソポタミア神話]]
 
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[[Category:魚神]]
 
[[Category:鯉]]
 
[[Category:鯉]]
[[Category:不死の霊薬]]
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[[Category:伏羲型神]]

2025年12月16日 (火) 14:36時点における最新版

ウバイド期(紀元前5500年ごろ~3500年ごろ)のメソポタミア

Adapa
メソポタミアの7賢人の内、最初の賢人であるアダパは、不死という賜物を知らずに手に入れ損なった神話上の人物である。アダパの物語は、カッシート王朝時代[1]のアマルナ[2]から出土した粘土板の断片の中に認められる。また、紀元前2000年紀後半のアッシュール出土の粘土板にも認められている。メソポタミアの神話には太古の七賢人が登場する。彼らはエリドゥの叡智の神エアによって人類に文明を与えるために送られたとされる。「最初の者」であるアダパは「ウアン」としても知られている。ベロッソス(紀元前3世紀のバビロニアの著述家)によると、ウアンはオアンネス[3]と同じものであるとのことである。ウアンはエリドゥにあるアプスー神殿の神官として正しい祭祀を教えたとされている。この賢人達は、文献上「純粋な下生した魚」と述べられている。それはおそらく鯉のことである。鯉の骨は初期の神殿に関連した遺跡で発見され、近東のモスクや修道院では未だに聖なる魚とされている。漁師としてのアダパは半漁人のような合成獣として図示された。賢人を示す「アブガル」(Abgallu:シュメール語でAbは「水」、 galは「偉大な」、Luは「人」の意、アダパの別名 )という言葉は、紀元後のナバテア王国(現在のヨルダン西部)にも残った。そこで「アプカルム」という言葉はある種の聖職者を示す言葉として使われた。

私的考察[編集]

アダパの名前は、子音から見るとチワン(壮)族の神布洛陀(Buluotuoブルオトゥオ)に近いように思える。助言を与える神であること、エアの息子でありながらエアと微妙に対立的であり、人リルを傷つけてもいることから、祝融型神のうちでも伏羲型神に当てはまると考える。布洛陀は巨人的に描かれ、自ら戦うという性質があるが、アダパは神官としても現されより文化英雄的である。

ウアンという名の時には子音から見てヴァルナ(イラン・インド神話)、オアンネスの時にはオーケアノス(ギリシャ神話)に近い名だと思う。いずれも水に関する神である。ただしギリシャ神話で魚形を取る神はオーケアノスではなくポセイドーンの息子トリートーンである。トリートーンには嵐を沈める性質があり、風や嵐に関与できる性質はアダパと共通している。

神話[編集]

アダパは叡智の神であり、古代都市エリドゥの守護神であったエア(シュメール神話におけるエンキ)の息子で、神の血統であったが死ぬべき運命の人間であった。彼はエリドゥに文明をもたらした(いくつかのバージョンではディルムンからやってきたと言われている)。アダパは、南風の神ニンリルに釣り船をひっくり返されたため、ニンリルの翼を折った。そのため、アヌ神の前でその説明をするようにと呼び出された。アダパの守護神であるエアは謙虚に謝罪し、神々の国の食物は死をもたらすため飲み食いしないようにと諭した。[4]アダパの誠実さに感銘を受けたアヌは不死の食物でもてなそうとしたが、エアの忠告に従ったアダパは食事に手をつけず、不死となる機会を逃してしまった。

創世記におけるやや類似したエピソードには、アダムとイヴが善悪を判断する知識の樹の実を食べた後、ヤハウェによってエデンの園から追い出され、死すべき運命となったというものがある。ギリシャ神話において、類似点は黄泉の国を訪れたペルセフォネの物語として、更に明確となっている。彼女はそこで食事をとらないように警告されていた。ステファニー・ギャレーは「『エラとイシュム(Ishum)の物語』より、全ての賢人が楽園から追放されたことが分かる。彼らは神々を怒らせて、エアの住まうアプスーに戻ったので、物語はアダパの追放で終わる」と述べている。[5]アダパは、しばしば大洪水以前のエリドゥの初代王であるアルリムに助言を与えたとされたオアンネスと同一視されている。王の助言者というだけでなく、アダパは神官や祈祷師としても務め、死後は七賢人またはアプカル(Apkallu)とされた。(「賢人」であるアプカル(Apkallu)は、シュメール語のAB.GAL.LU (Ab=水, Gal=偉大な Lu=人)に由来し、水に関連している最初の「賢人」であるアダパと相関している。)

オアンネスとして[編集]

オアンネス(Oannes、Ὡάννης、アルメニア語ではHovhannes)の名は、人類に知恵を与えた神話的人物として、バビロニアの著述家ベロッソス(紀元前3世紀)の著作の中にみられる。ベロッソスは、オアンネスを下半身が魚である人だと述べている。アダパはペルシャ湾に住んでいて、昼間海から上がってきて、人類に筆記、工芸、様々な化学を教えてくれるとのことである。

「オアンネス」という名は古代バビロニアの神エアに由来するとかつては推測されていた。しかし、現在ではアッシュールバニパル王の図書館[6]の文書において、アダパはバビロニア語でウアンナ(またはウアン)とされており、そのギリシア語形が「オアンネス」であると分かっている。アッシリアの文章では単純な語呂合わせをして、アッカド語で職人を意味する「ウマヌ(ummanu)」と結びつけようとしている。

ヨシフ・シクロフスキーとカール・サガンは、その一貫性と詳細さから、オアンネスの物語は古い時代の神話と連続している可能性があるため綿密な調査に値すると述べた。

マスグーフ[編集]

イラクにおけるポピュラーな鯉料理であり、かつては庶民の重要な蛋白源であったとのことである。(現在は高級料理であるとのこと。)

参照[編集]

  1. カッシート王朝(バビロン第3王朝)、紀元前14世紀
  2. エジプト、当時エジプト第18王朝、アメンホテプ4世の首都であった。
  3. 半人半魚の神人
  4. ディルムンはメソポタミア文明において、交易の中継地として栄えた実在の土地らしいが、ここでは神々の住まう国(楽園)として述べられている。
  5. エラとイシュムはバビロニアの火と破壊の神である。エラが「破壊の神」でイシュムが「火の神」である。バビロニアを敵から守るために信仰されたようである。
  6. 紀元前7世紀に設立された。

原文[編集]

Adapa:参照した文書が古いので、いずれ新しい文書も参照したい(251214付記)。