[[画像:Ra slays Apep (tomb scene in Deir el-Medina).jpg|thumb|夜の象徴たる大蛇アペプ(右)とアトゥム=ラーの象徴たる未去勢の雄猫(左)。両者は毎晩戦っているとされた。アペプの後ろにある木が'''イシェドの木'''である。(インヘルカウの墓壁画、紀元前12世紀)]]
<blockquote>新王国<ref>紀元前1570年頃 - 紀元前1070年頃。第18~20王朝時代。</ref>以降の神殿浮彫には、王に長い治世を授ける儀礼として、古代エジプト語で「イシェド」と呼ばれる樹木の傍らに王がひざまずき、'''神々がその王の名を、イシェドの葉や果実に記す'''場面がみられる。この儀礼の中心地は太陽信仰の総本山ヘリオポリス<ref>ヘリオポリスは現在のカイロ近郊にあった。</ref>であり、イシェドは太陽信仰と結びついた聖樹だったとみられる。夜間に冥界を旅するとされた太陽神(太陽)は、その夜の旅の間に、太陽神を飲み込もうと襲 ってくる大蛇アペピと戦わねばならないとされていた。「死者の書 ってくる大蛇[[アペプ|アペピ]]と戦わねばならないとされていた。「死者の書 」(17章)の挿画には、この戦いの表現として、猫の姿の太陽神がイシェドの木の前でアペピを切り刻む場面が描かれる。このイシェドがどの木を指すかについては諸説があるが、ペルセアの挿画には、この戦いの表現として、猫の姿の太陽神がイシェドの木の前で[[アペプ|アペピ]]を切り刻む場面が描かれる。このイシェドがどの木を指すかについては諸説があるが、ペルセア<ref>ペルセアとはアボガドのことである。</ref>か、ハマビシ科のバラノスとみるのが一般的であり、想像上の樹木である可能性も否定できない。<ref>[https://meirin.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=465&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1 古代エジプトの植物と庭園]、内田杉彦、明倫短期大学紀要21(1) 8-14 2018、12pより抜粋</ref></blockquote> == 私的考察 ==「イシェドの木」、とは鳥神が巣をかける木であること、太陽神と戦う蛇神[[アペプ]]と関連することから「世界樹」の一種として良いと考える。広く「鳥神・太陽神対蛇神」の神話・伝承が各地にあることを考えれば、イシェドの木とは、破れた[[アペプ]]と一体のもので、本来は性質に破壊性があり、太陽を始めとした神々の管理下にあって、初めてその聖性を発揮するものとされたのではないだろうか。祝融型神のうち、樹木神型といえる。須佐之男にも樹木神としての性質がある。
== 補足 ==
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