考古学的には、河馬は初期王朝時代(紀元前3000年以前)の幕開けよりずっと前からナイル川に生息していたことが分かっている。河馬の凶暴で攻撃的な性質は、この地域に住む人々の興味をそそり、古代エジプト人は河馬を迫害するとともに崇拝した。非常に早い時期から、雄の河馬は混沌の象徴であると考えられていたため、王の神聖な力を示すことを目的とした王室の狩猟大会では雄が狩られた<ref>ミロスラフ・ヴェルナー、「パベシによって奉献されたトゥエルトの像(カイロ博物館番号 39145)とカバの女神の役割に関するいくつかのコメント」。 Zeitschrift für Ägyptische Sprache und Alterumskunde 96 (1969): 53.</ref>。しかし、雌のカバは子供を危険から必死に守ることから、厄除けの神の象徴として崇められた。
ナカダI期(紀元前4000年頃~紀元前3550年頃)のC陶器のボウルには、船に乗って川を渡る太陽神らしき姿と、それを守護すると思われる河馬の神の図が描かれているように管理人は思う。 ナカダI期(紀元前4000年頃~紀元前3550年頃)のC陶器のボウルには、船に乗って川を渡る太陽神らしき姿と、それを守護すると思われる河馬の神の図が描かれているように管理人は思う([http://bellis.sakura.ne.jp/pukiwiki3/?e298024a8a アペプ]、参照)。
雌の河馬を描いた護符が、先王朝時代(紀元前3000~2686年頃)まで遡って発見されている。これらのお守りを作り、身に着ける伝統は、エジプトの歴史を通じてプトレマイオス朝やローマ時代(紀元前332年頃-紀元後390年)まで続いた<ref>フィリップ・ジェルモンド、ジャック・リヴェ『エジプト動物寓話集』(ロンドン:テムズ・アンド・ハドソン、2001年)、172ページ。</ref>。