おそらく類する女神に、神功皇后(気長足姫尊(おきなが'''たらし'''ひめのみこと))がいる。彼女の母親は葛城高顙媛といい、[[葛木国造|葛城氏]]の女性とされているので、神功皇后も葛城氏系の女神と言える。夫が亡くなった後、三韓に攻め込んだとされているので、現代的な感覚では他国を侵略するような好ましくない性質の女神なのだが、「犬を供にする少女」のように軍神的な性質を持ち、何より「夫が亡くなった後」も摂政を務めたとされ69年も生きていた、とされる。このように「たらし」と名のつく葛城氏・賀茂氏系の女神が、軍神であり長命であった、というのであれば、同じ系統の女神である[[石見天豊足柄姫命|天豊足柄姫命]]が、蛇神を倒して即日石に変じてしまった、という話は、やはり後から付け加えられたもののように思う。神功皇后は、天上の皇祖神・[[天照大御神]]の地上の代理人として、少なくとも記紀神話が作られた時代には、「ある程度理想的な現実の生きた太陽女神像」として表現された女神なのではないだろうか。
葛城氏系の「たらし」女神は、物部氏系では「垂水」のような名で表されるように思う。梁塵秘抄に「南宮大社(岐阜県不破郡垂井町)の本宮は諏訪(諏訪大社)」という伝承がある。「'''垂水女神'''」は現在の南宮大社の祭神ではないが、地名に名を残し、名を冠した小さな湧き水の泉も残る。諏訪大社上社には摂社として'''多留姫神社'''がある。梁塵秘抄には敢国神社にも祀られている、とあるが、葛城氏の勢力が当地で増すにつれて消されてしまったかもしれないと考える。信濃諏訪大社上社、美濃南宮大社、伊賀敢国神社は、もしかしたら元は物部氏系の神社で、[[石見天豊足柄姫命|天豊足柄姫命]]に類する「垂水女神」という名の「'''太陽女神'''」を主祭神として祀っていたのではないか、と推察する。こちらも当然[[天照大御神]]の原型といえよう。南宮大社は鉱山・金属業の総本宮とされるが、これは武器の製造に大きく関わる技術でもある。葛城氏系の女神では、開拓の女神でもある伊毘志都幣命(いひしつべのみこと)が祀られている地域では、古代において鍛冶も盛んであり、女神は鍛冶神も兼ねていたと思われる。女神が鍛冶神であっても不思議はないのだ。また、諏訪大社上社の祭神は軍神とされるが、の原型といえよう。南宮大社は鉱山・金属業の総本宮とされるが、これは武器の製造に大きく関わる技術でもある。葛城氏系の女神では、島根県の開拓の女神でもある伊毘志都幣命(いひしつべのみこと)が祀られている地域では、古代において鍛冶も盛んであり、女神は鍛冶神も兼ねていたと思われる。女神が鍛冶神であっても不思議はないのだ。また、諏訪大社上社の祭神は軍神とされるが、[[石見天豊足柄姫命|天豊足柄姫命]]・神功皇后の例のように、こちらも「女神が軍神」であって、不思議ではないと考える<ref>現在の多留姫神社は橋の下の小さな神社で、かなり橋姫的な扱いを受けている気がする。でも先住守矢氏(ということは、現実的には物部氏、ということ)の女神なので、本来の上社の祭神が彼女であっても、不思議ではない、と個人的には考える。</ref>。
== 伊奴神社 ==