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783 バイト追加 、 2026年3月14日 (土)
おそらく、紫式部の「玉鬘」は「悪い蛇女神が母親を狂気に追い込んで、父親をたぶらかし、家族をバラバラにした、だけでなく帝もたぶらかそうとした。」と言いたい
「ミャオ族系」の話であり、「雲井の雁」は「服も着ないなんてだらしがないし、夫の肋骨から生まれた妻と夫の当人同士の結婚なんてなんの益にもならない」と言いたかったのではないだろうか<ref>こうして見ていくと、毒吐き紫式部こそが世界に日本が誇れる'''「蠱術」の天才'''だという気がしてくるのだが。「創世記」から「ミャオ族神話」まで守備範囲が広すぎである。ミャオ族は文字を持たなかったので、壺で蠱術をほどこすしかなかったが、日本人は独自の「文字」を獲得したので、書いた'''言霊'''を駆使した独特の「蠱術」を独自に発展させた、といえるのかもしれない。</ref><ref>「水汲みの少女の天秤棒について家に入った」って、どこの千尋について湯屋に入ったカオナシなのか、とも思う。こうして父が「邪鬼」になり、母親も毒女になってしまった悲しみをどこか感じる気がする一文である。でも、そうやって悪いことがあったときに誰かのせいにするのはいかがなものかなあ、という気もする。そういう「精神」こそが自分の一族郎党とミャオ族の間に近縁性があるのではないか、と個人的に思ってしまう。こういう「悪いことは誰かのせいにする」という「精神」に触れると身内のことばかり思い出して、PTSDになりそうな自分である-;。</ref>。
ともかく、この'''醸鬼'''(邪鬼)という概念はかなりグローバル的に広範囲に、少なくともここ2000年くらいには認められる概念と思われるので、蠱毒に関係するし、漢民族の影響というよりは、元々ミャオ族にあった概念ではないだろうか、と考える。よそ者やコミュニティーになじまない者を「あいつは醸鬼だ」というのは、'''スケープゴート'''でもあるし、そのように述べた者そのものが言葉によって呪いをかける'''醸鬼'''ではないかと考える。でも、互いに敵対する者同士が、言葉で呪いをかける(要は相手の悪口を言い合う)ことは、現代でも、特に政治の世界などで日常的に行われていることなのではないだろうか。

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