差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
この2つを組み合わせて、相手ができる限り自分を信用させるような精神状態になるよう霊的に呪いをかけ、詐欺で相手の金をむしり取ってしまっても、相手の方はそのことにすら気づかずに喜んでお金を支払う、となるよう人間として実行する、とする。これはいわゆる現代的には「'''洗脳と詐欺'''」という言葉がぴったりだと思うのだが、洗脳されている者は霊的弱者であって、強者に支配されているから、その強者が「怨霊的生き霊」だと逃げ出すこともできず支配され続けるだけ、ということになる。だからこの'''太昊型神'''は「恐ろしい神」とされるし、現代社会で生きた'''太昊型神'''の類例というのは各地で後を絶たずに日々生まれ、存在し続けるのではないだろうか。
 
=== 鬼神信仰との関連 ===
鬼神信仰の中でも、自らを「鬼神」になぞらえて、鬼神のように生きて富貴を得たい、という考え方があるように思う。例えば夏の孔甲のような存在である。「生きた鬼神」というものが現代的な「'''洗脳と詐欺'''」を行う「怨霊的生き霊」だとすると、それに倣ってそのように生きたいと思う者も後を絶たずに世の中に登場することだろう。こうして、「怨霊的生き霊」の神は、祖神としての地位から離れ、一部では「憧れの存在」ともいえるような'''凡神'''に変化したと思われる。彼を信奉し、そのおこぼれに預かろうとする者達にとっては、善神であり憧れの神だが、そうではない人々にとっては迷惑の極みで'''窃盗神'''としかみなせないと考える。この神は、鬼神の一種であり、強力な2面性を持つ神として、表されていくように思う。
 
特に飛騨地方や長野県で考えられるような牛蒡種、両面宿禰、魏石八面大王といった神々が、相当するように考える。
== 歴史的背景 ==

案内メニュー