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こうして[[河姆渡文化]]の「'''豚と瓢'''」の一対の月神は単なる「神格化された月」にとどまらずその機能が拡張されていき、印欧語族を中心とした様々な多神教の父神・母神としての性質を獲得していったと思われる。穀物の豊穣をもたらしてくれる「'''[[豊受大神]]'''」とは、河姆渡文化における「'''月の瓢女神'''」であり、伏羲・女媧神話の「'''瓢女神'''」と根本的には「同じ女神」だったと考える。そして歌いかければ穀物を生み出してくれる「母神」なのだから、ハイヌウェレ型神話にみられる「'''バラバラにされて食物を生み出す母神'''」とは異なる性質の女神、と述べるしかない。ココヤシの女神ハイヌゥエレがバラバラにされるのは、呉剛が月で桂の木を際限なくバラバラにし続けている神話と関連すると思われ、呉剛神話の方が、妻をばらして穀物を得る記紀神話の須佐之男・[[月読命]]につながると考える。'''呉剛が妻を惨殺し続けるから人類は穀物を得ることができる'''、というおぞましい神話である。
 
一方歌や音曲に特に独特の霊的作用があり、神々や異類に訴えかけたり、交流することができる、とする思想も広く広まっている。男女が歌を交わす歌垣の思想、インドのラーマ王子、民話ウサギ番の若者が笛の名手であったり、その音曲の才能で動物や神々に訴えかけることができるとされたギリシア神話のオルフェウスの思想などである。日本でも古来より「和歌」には特別な霊力があると考えられており、例えば目上の人とか普段本音で話をすることが軽々しくできない立場の人が相手であっても、自らの思いや考えを和歌に託して訴えかけることは許される、と考えられていた。
=== 『続日本紀』 ===

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