'''馬家浜文化'''(ばかほうぶんか<ref>中国語の「浜」は、日本語の漢字における「浜」(中国語では「濱」、または簡体字で「滨」と書く)とは異なる文字で「小川」を意味する。音読みは「ホウ」となる。</ref>、{{lang|zh|马家浜文化}}、{{ピン音|Mǎjiābāng wénhuà}}、Majiabang Culture、[[紀元前5000年]]頃 - [[紀元前4000年]]頃)は、[[中国]]に存在した[[新石器時代]]の文化で、[[長江]]河口付近の[[太湖]]から[[杭州湾]]北岸にかけての地域(現在の[[江蘇省]]南部から[[浙江省]]北部)に広がっていた。
[[1959年]]、[[浙江省]][[南湖区|嘉興市]]の馬家浜(ばかほう)で新石器時代の遺跡(馬家浜遺跡)が発見された。当初は、[[1951年]]に江蘇省北部[[淮安区|淮安県]]の青蓮崗から発見され[[1958年]]に命名された[[青蓮崗文化]](せいれんこうぶんか、Qingliangang Culture、[[黄河]]下流の[[仰韶文化]]や[[大汶口文化]]に似る)の一部と考えられていたが、後に江蘇省北部の青蓮崗文化の遺跡とは異なる文化であることがわかり、[[1977年]]に馬家浜遺跡の名をとり正式に馬家浜文化と名づけられた。
馬家浜文化は、同じく長江河口にあり杭州湾の南岸から舟山群島にかけて存在した[[河姆渡文化]](かぼとぶんか)とほぼ同時期に存在していたが、1000年以上にわたり別々の文化として共存し交流していたと考えられる。馬家浜文化の後に現れる崧沢文化やその後の[[良渚文化]]と同じく、馬家浜文化も太湖一帯に分布していた。馬家浜文化の発見は、長江流域が黄河流域同様に文明の揺籃の地であったことを示している。
馬家浜文化の人々はコメを栽培していた。草鞋山遺跡(そうあいざんいせき)では田の跡が発見されている。しかし遺跡からは[[ブタ]]の飼育を行っていた痕跡や、'''ノロジカ'''なども見つかっており、人々は動物の狩猟や飼育も行い、農業には全面的に依存していなかったことがわかる。また[[ヒスイ]]などによる装飾品や比較的高い温度で焼いた紅陶、衣服の繊維なども発見されている。
== 関連項目 ==
* [[大渓文化]]
* [[河姆渡文化]]
* [[良渚文化]]
* [[紅山文化]]
* [[仰韶文化]]
== 脚注 ==
<references />
== 外部リンク ==
* [https://abc0120.net/words/abc2007031804.html 馬家浜文化とは - 意味・解説 : 考古用語辞典 Archeology-Words]
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[[Category:中国神話]]
[[Category:長江文明]]