すなわち、'''殺された蚩尤が冥界で饕餮となって、冥界神の仕事を補佐している。死後、そうなったように蚩尤は生前偉大な王だったので、その子孫は偉大な王である'''、ということの象徴が、首だけになって死んでいる獣面紋の意味なのではないだろうか。良渚文化の獣面紋は「'''原始饕餮紋'''」と言い得るもので、ギリシア神話の'''[[ラダマンテュス]]'''(これも名前の中にTの子音が2個重なる神人である)と類似したものだったと考える。
[[城背渓文化]]では、'''生きた蚩尤(王の象徴)が太陽神を支えて補佐する'''とされた。大渓文化以降は何代目かの蚩尤(すなわち饕餮)が黄帝に殺されたので、'''饕餮が冥界神(太陽神?、後の天帝か)を支えて補佐する'''とされたのではないだろうか。大渓文化では、単なる精霊信仰が存在しただけでなく、後の殷代以降の先祖崇拝、鬼崇拝に通じる思想の萌芽が始まったとみるべきではないだろうか。そして、このように考えると、伝説の'''「黄帝と蚩尤の戦い」に相当する古代中国の部族闘争は、紀元前5000年頃に行われた'''、と考えられるし、'''蚩尤が敗北したにも関わらず、その子孫は一定の王権を維持していた'''とも言えると考える。
== 参考文献 ==