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雛は、約58-71日で巣立ちする。日本では過去には6月下旬から7月上旬に巣立ち、大陸個体群は7月下旬から8月上旬に巣立つ<ref name="oosako" />。巣立ち後しばらくは親鳥について餌の採り方・飛び方などを学ぶが、秋頃には親離れし、ひとり立ちまたは幼鳥・若鳥のゆるい群れを作って行動する。親子で渡りをすることはほとんど無い。
 
== 人間との関係 ==
野火・伐採による営巣木の減少、ダム建設・干拓・排水・乱獲による獲物の減少、農薬・原油・重金属などによる水質汚染、道路建設や電線の設置・人間の撹乱によって生息数は減少している<ref name="oosako" />。大韓民国では1971年に最後のオスが密猟されたことで、繁殖個体群は絶滅した<ref name="takeshita" />。1975年のワシントン条約発効時からワシントン条約附属書Iに掲載されている<ref name="species+">UNEP (2017). [https://www.speciesplus.net/#/taxon_concepts/5126/legal ''Ciconia boyciana'']. The Species+ Website. Nairobi, Kenya. Compiled by UNEP-WCMC, Cambridge, UK. Available at: [https://www.speciesplus.net/ www.speciesplus.net]. (Accessed 30/12/2017)</ref>。1999年の生息数は約3,000羽と報告されている<ref name="iucn" />。2005年における長江での個体数は1,194羽と報告されている<ref name="iucn" />。
 
=== 日本 ===
明治時代以前は樹上にとまったり営巣したりしない[[タンチョウ]]と混同され、「松上の鶴」など絵画のモチーフになっていたとされる<ref name="komiya_b">小宮輝之「ニホンコウノトリ 衰退と飼育の歴史」『世界の動物 分類と飼育8 (コウノトリ目・フラミンゴ目)』黒田長久・森岡弘之監修、東京動物園協会、1985年、59-64頁。</ref>。日本国内では鶴とつく地名があるが、実際は冬鳥として飛来するタンチョウなどのツル科の構成種ではなく本種と混同されていたと考えられている。松の樹上に巣を作る本種(ツル科はアフリカに分布するカンムリヅルを除き樹上にとまらない)は瑞鳥としてツル類と混同され、絵画や装飾のモチーフとして昭和初期まで用いられていた。
 
日本では元々は広域に分布していた<ref name="oosako" /><ref name="ezaki_b" /><ref name="komiya_b" />。19世紀には江戸市中でも繁殖していた記録がある<ref name="takeshita" /><ref name="ezaki_b" />。古文書から葛西の樹上・青山や蔵前の寺院の屋根で営巣していたとする記録がある<ref name="komiya_b" />。カール・ハーゲンベックも[駿府城の樹上や、横浜市で飛来していたのを目撃したと記録している<ref name="komiya_b" />。明治時代に乱獲により激減し<ref name="takeshita" /><ref name="komiya_b" />、日本での繁殖個体群は兵庫県但馬地区と福井県若狭地区の個体群を除いて絶滅した<ref name="oosako" />。但馬地区(豊岡市周辺)では出石藩であった頃に藩主により本種が霊鳥として保護されていたことから保護意識があり、絶滅を免れたとされている<ref name="komiya_b" />。1908年には禁猟とされ、1921年には生息地が天然記念物に指定された<ref name="ezaki_b" />。1930年の但馬地区での生息数は最大で約100羽と推定されている<ref name="naito_ikeda" /><ref name="ezaki_b" /><ref name="komiya_b" />。第二次世界大戦中に営巣地であった松林が松根油を採取するために伐採されたことや、食糧増産のための水田を荒らす害鳥として駆除されたことにより豊岡市周辺でも生息数が激減した<ref name="komiya_b" />。
 
太平洋戦争後の食料不足の中で食用にされたこともあり<ref>2009年3月1日、京都府亀岡市で開催されたガレリアかめおか開館10周年記念事業「~ダイナミックかめおか~丹波学トーク64」における兵庫県立コウノトリの郷公園主任研究員・兵庫県立大学自然・環境科学研究所准教授の大迫義人の発言から。<sup>(''要出典、2019-03-29、この発言が、何らかの文献に掲載されているのでしたら、その書誌情報を記入してください。そうでないなら、出典としては無効です。'')</sup></ref>、<sup>(''要出典範囲、1956年には20羽にまで減少してしまった。ちなみにこのコウノトリの減少の原因には化学農薬の使用や減反政策がよく取り上げられるが、日本で農薬の使用が一般的に行われるようになったのは1950年代以降、減反政策は1970年代以降の出来事であるため時間的にはどちらも主因と断定しにくく、複合的な原因により生活環境が失われたと考えられる、2017年12月'')</sup>。
 
第二次世界大戦以降は水銀系農薬による獲物の減少や繁殖力の低下(1960年代に変死例・繁殖の失敗が増加したこと、捕獲後に死亡した個体から大量の水銀が検出されたため)、近親交配により生息数が減少した<ref name="oosako" /><ref name="takeshita" /><ref name="naito_ikeda" /><ref name="ezaki_b" /><ref name="komiya_b" />。1953年に種として天然記念物、1956年に特別天然記念物に指定された<ref name="ezaki_b" /><ref name="komiya_b" />。
 
1961年5月25日頃の福井県小浜市羽賀で2羽が巣立ち<ref>巣立った二羽のヒナ 小浜 天然記念物「コウノトリ」, 1961-5-30, 読売新聞</ref><ref>ヒナを巣立たせる 小浜湯ノ山の`コウノトリ夫婦、地元の人たちに見守られ, 1961-5-30, 産経新聞</ref>、これが野生絶滅前最後の巣立ちとなった。<sup>(''要出典範囲、1962年に文化財保護法に基づき兵庫県と福井県が「特別天然記念物コウノトリ管理団体」の指定を受けた、2016年2月'')</sup>。1964年5月には福井県小浜市栗田で2羽の雛が孵化したが、この雛は2羽とも5月17日に死亡が確認された<ref>小浜のコウノトリ ひな二羽死ぬ 犯人はトンビ?, 1964-5-18, 毎日新聞</ref><ref>二羽とも死ぬ 小浜 コウノトリのヒナ, 1964-5-18, 福井新聞</ref><ref>ヒナ二羽とも死ぬ コウノトリ 犯人はトンビか 小浜市, 1964-5-18, 朝日新聞</ref><ref>ヒナ二羽死ぬ 福井のコウノトリ, 1964-5-18, 産経新聞</ref>。
 
1965年から野生個体の捕獲と、飼育下で繁殖させる試みが進められるようになった<ref name="ezaki_b" /><ref name="komiya_b" />。捕獲された個体は短期間で死亡する個体が多く、闘争による死亡やケージなどの問題、前述した大量の水銀が体内から検出されたことが影響していると考えられている<ref name="komiya_b" />。1971年に豊岡市で野生個体を捕獲したことで、日本産の個体群は野生絶滅した<ref name="ezaki_b" />(この個体は捕獲後1か月で死亡している)<ref name="komiya_b" />。1966年に初めて神戸市立王子動物園が、以後は1972年に多摩動物公園、1978年に大阪市天王寺動物園などで、中華人民共和国産の個体を導入して繁殖させる試みが進められた<ref name="komiya_b" />。
 
<sup>(''要出典範囲、国内の野生最後の生息地の一つである福井県武生市に1970年12月2日に飛来した雌の一羽(コウちゃん)は、嘴を損傷しており、満足に餌を採ることができない状態で衰弱が激しかった為に保護され、1971年2月28日に豊岡市のコウノトリ飼育場に移送された。「武生」と改名されたその一羽は2005年6月20日まで生き、34年という国内最長飼育記録を建てると共に、115個の卵を産んだが、成長したのは雌の「紫」一羽のみだった。、2017年12月'')</sup>
 
多摩動物公園では、中国から譲り受けて人工飼育を続けていた結果、1988年4月5日に国内初の人工繁殖に成功した<ref>コウノトリ赤ちゃん初めて誕生, 毎日新聞, 1988-04-06, https://mainichi.jp/articles/20170424/org/00m/040/009000d, 2019-02-03</ref><ref name="chronol">http://www.stork.u-hyogo.ac.jp/reintroduction/chronol/, 保護繁殖の歴史, 兵庫県立コウノトリの郷公園, 2019-02-03</ref>。
 
豊岡市のコウノトリ飼育場(後に保護増殖センター)でも、極東ロシアのハバロフスクから譲渡されたペアが1989年に飼育下繁殖に成功した<ref name="naito_ikeda" />。
 
大阪市天王寺動物園、<sup>(''要出典範囲、豊橋総合動植物公園、2017年12月'')</sup>でも繁殖が成功し<ref>http://nakigoe.jp/nakigoe/2017/1701/report02.html, 天王寺動物園情報誌〜なきごえ〜 Vol.53-01 2017年1月[冬号], 大阪市天王寺動物園協会, 2019-02-03'')</sup></ref>、国内飼育数を増やしている。兵庫県では繁殖成功後の1992年4月22日には野生復帰計画が開始される<ref name="chronol" />。その後、コウノトリ飼育場では、近親交配を避けるため、何度か動物園やロシアからコウノトリをもらい受け、2002年5月5日には生育したものとあわせて飼育100羽を達成した<ref name="chronol" />。
 
1999年に本種の再導入を目的として兵庫県立コウノトリの郷公園が開園した<ref name="naito_ikeda" />。
 
2005年現在では豊岡市のコウノトリの郷公園周辺地域にコウノトリの生息可能な環境が整備されつつあり、周辺の農家も農薬の散布を控え、無農薬栽培に切り替える等の協力をしている<ref name="chugoku070522">http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh200705220104.html, コウノトリひな誕生 皆で支える野生復帰に, 2018-06-29, 今藤祐馬, 2018-07-01, 中国新聞, 中国新聞社, https://web.archive.org/web/20090207191510/http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh200705220104.html, 2009-02-07, 2018-07-01</ref>。<sup>(''要出典範囲、そして、2005年9月24日には世界初の放鳥(餌をとるなどの訓練をつんだ8羽の中から選ばれた、2-7歳の雄2羽と雌3羽の計5羽)が行われ、34年ぶりにコウノトリが大空に羽ばたくこととなった。この放鳥式典には山階鳥類研究所総裁等を務める秋篠宮文仁親王・紀子妃も参加し、約3500人もの参加者とともに見送った。放鳥にあたっては、飼育生活が長いので餌を求めるためか、2羽が30分程で戻ってきてしまうというハプニングも見受けられた。2005年12月24日には放鳥記念碑の除幕式が行われた。その後2006年4月14日には自然放鳥したコウノトリの産卵が確認され、続けて18日にも2卵目が発見された。しかし、これらの卵は孵化しなかった。、2017年12月'')</sup>翌2007年も放鳥個体による産卵が行われ、1つのペアから1羽が孵化した。この雛は2007年7月31日に無事に巣立った。日本の野外におけるコウノトリの孵化としては、1964年の福井県小浜市の雛2羽以来43年ぶり、巣立ちとしては、1961年の福井県小浜市の雛2羽以来46年ぶりのことであった。
 
<sup>(''要出典範囲、放鳥したコウノトリは背中に発信機をつけているため、数年は人工衛星から行動範囲を監視できるが、コウノトリの郷公園やボランティアにより放鳥個体の追跡調査も行われている、2017年12月'')</sup><ref>http://www.stork.u-hyogo.ac.jp/downloads/news_letter/cl007.pdf, キコニアレター No.7, 2020-5-5, 兵庫県立コウノトリの郷公園</ref>。
 
日本では激減・絶滅の原因となった乱獲・営巣木の伐採・毒性の強い農薬の使用など禁止・規制されたものもあるが、湿原・池沼・ため池の干拓、排水、河川改修、谷津田や薪炭林などの放棄、圃場整備による乾田化・水路のコンクリート化や農薬などにより生息地や獲物が減少しているといった問題がある<ref name="oosako" />。餌が不足しているからといって、「コウノトリのために」との思いで給餌する行為を認めることはできない。餌付けは保護ではなく<ref>野生動物の餌付け問題, 2016-8-20, 2016, 地人書館, pages198-200</ref>、環境整備によって餌を増やすのが原則であり、給餌により一部のコウノトリが生きていけたとしても、それはいずれ限界を迎え、コウノトリ個体群にとって悪影響こそあれ、良いことは無いと考えられている<ref>コウノトリ野生復帰の手引書, 2018-3-31, 2018, コウノトリの個体群管理に関する機関・施設間パネル, page6</ref>。安易な餌付けのための外来種・国内移入種の放流やそれによる生態系の破壊<ref>保科英人, 2016, 「見た目優先」の風潮が生み出した!?新コウノトリ害鳥論, 自然保護, volume553, pages20-21</ref><ref>https://karin21.flib.u-fukui.ac.jp/repo/BD00001001_001_cover._?key=EHSLDW, 福井県におけるコウノトリ放鳥計画に関する一考察, 2019-11-25, 福井大学</ref>、意図しない病原体の導入、個体集中による伝染病蔓延からの大量死<ref> 野生動物の餌付け問題, 2016-8-20, 2016, 地人書館, pages159-165</ref>、人馴れしたコウノトリによる交通事故が危惧されている<ref name=":0">https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000645099.pdf#search=%27%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E6%B3%95+%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%83%8E%E3%83%88%E3%83%AA+%E7%A6%8F%E4%BA%95%E7%9C%8C+%E7%AE%A1%E7%90%86%E5%9B%A3%E4%BD%93%27, あなたのまちにコウノトリが飛来したら, 2019-11-29, 兵庫県立コウノトリの郷公園</ref>。
 
2012年は再導入された個体数は約60羽に達し、2009年以降は大陸から飛来し周年生息するようになった個体と繁殖させる試みも進められている<ref name="oosako" />。
 
2013年12月、コウノトリの保全を全国的に進めていくにあたっての課題を共有し、連携して課題の解決にあたることを目的に、兵庫県立コウノトリの郷公園、東京都多摩動物公園、(公社)日本動物園水族園協会生物多様性委員会が中心となり、コウノトリの保全に取り組む機関や施設に参加を呼びかけ、[https://ippm-ows.jp/ 『コウノトリの個体群管理に関する機関・施設間パネル(Inter-institutional Panel on Population Management of the Oriental White Stork 略称:IPPM-OWS)』]が設立された。オブザーバーとして関連する国の省庁が参加している<ref name=":0" /><ref name=":3">概要:コウノトリの個体群管理に関する機関・施設間パネル, https://ippm-ows.jp/overview.html, ippm-ows.jp, 2019-11-24</ref>。
 
こうのとりの里(千葉県野田市)では、2015年以降、施設内で誕生したコウノトリを8年連続で放鳥しており、2022年5月8日にも雄「はく」を放鳥した。野生で生存する野田市生まれのコウノトリは11羽を数えている<ref>コウノトリを放鳥しました, https://www.city.noda.chiba.jp/kurashi/oshirase/seikatsukankyo/1035569.html, 野田市ホームページ, 2022-08-07</ref>。
 
2018年、再導入された個体の内、飼育個体が100羽<ref name=":1">http://www.stork.u-hyogo.ac.jp/ex_situ/captive_ows_num/, 飼育個体数, 兵庫県立コウノトリの郷公園, 2019-03-29</ref>、野外生息個体が144羽の計244羽となり<ref name=":2">http://www.stork.u-hyogo.ac.jp/in_situ/in_situ_ows_num/, 野外個体数, 兵庫県立コウノトリの郷公園, 2019-03-29</ref>、2021年は飼育個体が94羽<ref name=":1" />、野外生息個体が217羽の計311羽<ref name=":2" />、2022年は飼育個体が182羽、屋外個体数が309羽に増えた<ref name=":3" />。
(絶滅危惧IA類、<ref name="oosako" />)
 
野外生息個体が増えるにつれて、有害鳥獣から農業被害などを防ぐための防鳥ネットや電線などの人工物にコウノトリが絡まる被害が問題化している<ref>http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019010701000635.html?ref=rank , 傷つくコウノトリ最多/進む野生復帰 防鳥ネット・電線に課題/17年度19羽 安全な環境づくりを, 東京新聞夕刊, 2019年1月7日, page6, 2019年1月24日, https://web.archive.org/web/20190124203655/http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019010701000635.html?ref=rank, 2019-01-24</ref>。2018年8月28日に茨城県小美玉市下玉里共栄のハス田で防鳥ネットに絡まっているコウノトリ1匹が保護された。8月30日に死亡が確認された<ref>https://www.wbsj-ibaraki.jp/?topic=topic-4, 今春 野田生まれのコウノトリ 小美玉市のハス田で保護, WBSJ Ibaraki, 日本野鳥の会茨城県, 2019-03-29</ref>。
 
日本では1885年に恩賜上野動物園で飼育された記録(以後は少なくとも1923年・1935年にも)がある<ref name="komiya_b" />。同種とされていたヨーロッパコウノトリ(基亜種シュバシコウ)と比較すると、闘争によって死亡することがありペア形成および飼育下での繁殖が難しいとされる<ref name="komiya_b" />。
 
=== ヨーロッパ ===
[[シュバシコウ]]を参照のこと。
== 足環 ==

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