『旧事本紀』における国譲り神話は『'''[[諏方大明神画詞]]'''』(1356年成立)の冒頭に採用されているが、建御名方神の敗戦と逃亡、追いつめられ殺されようとした話は見られない。
<blockquote>それ日本信州に一つの霊祠あり。諏方大明神これなり。神降の由来、その義遠し。<br />{{Ruby|竊|ひそ}}かに国史の所説を見るに『旧事本紀』に云ふ、竊(ひそ)かに国史の所説を見るに『旧事本紀』に云ふ、[[天照大神]]みことのりして、[[経津主神|経津主]]の<small>(総州香取社)</small>神、武甕槌の<small>(常州鹿嶋社)</small>神、二柱の神を出雲国へ降し奉りて、大己貴の<small>(雲州杵築・和州三輪)</small>命に宣はく、「葦原の中津国は我が御子の知らすべき国なり。汝、まさに国を以て天照大神に奉らんや。」<br />
大己貴の命申さく、「吾が子、事代主の<small>(摂州長田社・神祇官〔第八〕)</small>若神に問ひて返事申さん」と申す。<br />
事代主の神申さく、「我が父、宜しくまさに去り奉るべし。我〔も〕違ふべからず」と申す。<br />