2019/08/11(日)妖精の誕生

2025/12/03 00:47 伝説フェアリー民話
 最近、読書も少しづつしているのですが、「妖精の誕生 フェアリー神話学」(教養文庫・社会思想社)を読み終わりました。トマス・カイトリーの「フェアリー神話学」(Thomas Keightley, "The Fairy Mythology")の「説明的部分のほとんどと民話の一部を訳出したもの」です。

 ヨーロッパの民間伝承では、「フェアリー」という「非常に地位の低い神」あるいは「人間に近い精霊」とでも言うべき存在が大きな地位を得ていることが分かる。彼らはキリスト教の普及に伴って、以前からの神々が神としての地位が低下し、「悪魔」として扱われるようになったものもあるし、おそらくキリスト教以前から、より古い時代の神が時間の流れの変遷に沿って、淘汰の結果、地位が低下したものも含まれるのだと思う。このように、地位が低下して神々しい神らしさが失われる代わりに、庶民にとってはより身近な「家を守ってくれる精霊」のような存在にもなっている。ただし、家付きのフェアリーは助力と引き換えに、パンとミルクというようなささやかな捧げ物を求める傾向が強く、太古には神々に犠牲を捧げる代わりに、豊穣を求める、という祭祀が当然のようにあったことを伺わせる。

 また、フェアリーは丘や湖といった人間の世界に近い「異界」に住むことが多く、人々に幸運や財産をもたらしてくれることもあるが、特に、彼らを欺こうとしたりすると不幸をもたらすことも多い。そして、キリスト教色の強い伝承では、「人の魂を狙う悪魔」としての性質も強くなるようである。しかし、その一方で、貴族の家系の名家には、「先祖の一人(特に女性)にフェアリーがいる」というような、「天人女房的」な家系譚が好まれたこともあるようである。キリスト教が絶対となった時代でも、このように古い時代の神々に連なる系譜であることを示唆することが好まれたのは、興味深いことであると思う。

 彼らが、特に湖や水鳥と関連が深い場合には、古い時代の「水を治める神」や「水の神」、特に印欧語族のヴァルナの性質が強く反映されているようにも思う。ヴァルナは紀元前1500年に遡って印欧語族の重要な天空神であり、天候や治水を支配する神であったが、紀元前1200年頃にはすでにその地位は低下しつつあり、ゲルマン民族を中心とした西欧の多神教では、キリスト教到来時代には、すでに直接その名を神話の中に発見できない状態となっていた。性質的には、叡智の神であり、天候神であり、そこそこの軍神でもあったオーディンがヴァルナの性質を強く残しているといえるのかもしれない。「リグ・ヴェーダ」の中の「ヴァルナ・ミトラ」は、紀元前1200年頃にこの2神が一体化して語られていたことを示すが、ヴァルナが水、ミトラが活力をもたらす神である、と考えられていた。これは、おそらく植物の豊穣と関係があるのではないか、と個人的には思う。植物が発芽し育つためには、水のみでは足りず、発芽や成長を促す活力も必要であると考えられていたのではないだろうか。そしてこの2つは、動物や人間が健やかに生きるためにも必要とされたであろう。「ヴァルナ・ミトラ」のもたらす「水」とは、単なる「水」ではなく、生命を生み、育むための水であった。

 このように、豊穣をもたらす「水」の神として、ヴァルナ・ミトラに類似した存在としては、信仰の痕跡が紀元前5000年頃まで遡ることができる、古代メソポタミアのエンキがいる。エンキのもたらす豊穣は、川の流れを神の精液に例えて、そこから海水の女神等が受胎して命が発生する、と考えられていた。

 紀元前1500年頃まで起源が遡ると考えられているギリシャ神話のウーラノスは、天空神であり、陽物を切り落とされてしたたった血液が海水と受胎して子供が産まれている。ウーラノスの血液は、特殊な部位から流され、精液にも相当するものである。よって、この場合の「血液」も、生命を生み、育むための水であったといえる。このように、「体液」というものの特徴がヴァルナとウーラノスでは一致しているため(「水」とはヴァルナの「体そのもの」ともいえる)、ウーラノスとヴァルナの語源が同じであるか否かについては諸説あるようであるが、私は同じ印欧語族の「wer-」という「水」を意味する言葉に由来すると考える。

 ただし、ヴァルナに類似した性質を持つメソポタミアのエンキが、紀元前5000年には天空神ではなく、「大地」に関連した神として成立していることから、ヴァルナやウーラノスは紀元前5000年よりも更に古い時代に「原ヴァルナ」ともいうべき神が存在し、そこからヴァルナ、エンキ、ウーラノスというように枝分かれしていったのではないか、と思う。印欧祖語の分化と使用地域の拡散が始まったのは紀元前4000年とも6,000年とも言われているため、ヴァルナとは紀元前6000年前後あるいは、更に古く印欧語族が印欧語族となる以前から信仰されていた始原的な神なのではないだろうか。湖や川に住まうフェアリーは太古の偉大な水そのものであったヴァルナが変化したものであり、ヴァルナからすれば小さな水滴の一粒一粒ともいえるのではないだろうか。

 カイトリーの原文は、以下のサイトで読めます。

The Fairy Mythology by Thomas Keightley



(ちょっと独り言・・・。そりゃそうだ、ヴァルナの起源がチベット系の狩猟民の神である白虎(あるいは白帝(天)、bai tei)であるとするならば、起源的には軽く紀元前1万2000年とかまで遡るはず。農業以前の神だから・・・、と個人的には思う。)