古代中国には『太陽は火烏の背に乗って天空を移動する』という神話もある。図5は鳥が日輪を背負って飛んでいるように見え、火烏の神話が良渚文化の時代には既に存在していたことが窺える。図3の3~6も同様に「日輪を乗せている火烏」の可能性があるのではないだろうか。そして大汶口文化との比較から見ると図5と図13図二は、「鳥が太陽を背負う図」として「同じ意味」を表しているのではないか、と思われる。
また、図6、図7を見ると、巨大な鳥の中に更に獣面紋と2羽の鳥が描かれている。特に図7の双鳥は明らかに「'''烏'''」と思しき鳥である。三足烏は今でも東アジアでは「太陽」と結び付けられる鳥なので、片方は「太陽」に関連するものと思われる。朝鮮には[[細烏女と延烏朗]]という1組の「烏」の名を持つ夫婦が日本に渡ってしまったら日と月が消えてしまった、という神話がある。その神話では男性の烏が「太陽」、女性の烏が「月」とされていた。現在の中国では月のトーテムとしては兎とヒキガエルが有名だが、もしかしたら良渚文化では、太陽も月も「烏」と関連するものとされていたのではないだろうか。その一方で、後世に「月」のトーテムとされた兎やヒキガエルはどのようにみなされていたのだろうか、と思う。良渚文化では玉兎は乏しいようである。玉蛙は存在している(図12)がなにがしかのトーテムとしてメジャーな存在とまではいえなかったのではないか、と考える。獣面紋との関連が玉魚や玉亀よりも乏しいように感じられるからである。という1組の「烏」の名を持つ夫婦が日本に渡ってしまったら日と月が消えてしまった、という神話がある。その神話では男性の烏が「太陽」、女性の烏が「月」とされていた。現在の中国では月のトーテムとしては兎とヒキガエルが有名だが、もしかしたら良渚文化では、太陽も月も「烏」と関連するものとされていたのではないだろうか。その一方で、後世に「月」のトーテムとされた兎やヒキガエルはどのようにみなされていたのだろうか、と思う。良渚文化では玉兎は乏しいようである。玉蛙は存在している(図12)がなにがしかのトーテムとしてメジャーな存在とまではいえなかったのではないか、と考える。獣面紋との関連が玉魚や玉亀よりも乏しいように感じられるからである。ということは、良渚文化では、兎はまだ「月女神」のトーテムとはされておらず、蛙はトーテムとなりかかっていた可能性はあるがメジャーではなく、「烏」が一般的な「月女神」のトーテムだった、ということにならないだろうか。
== 提唱されている学説 ==