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ローマの作家ラクタンティウスも、3世紀の著作『神典(Divinae Institutiones)』の中で、生け贄が捧げられたガリアの神としてテウタテスを挙げている<ref name="Maier"/>。
===TOT finger rings人身御供の儀式 ===ルカヌスは『内乱』においてテウタテスを[[エスス]]や[[タラニス]]と共に人身御供を要求するガリアの神の一つとして挙げている。 <blockquote>酷烈のテウタテス神がおぞましい(人身御供の)血で、また恐るべき[[エスス]]神が野蛮な祭壇で鎮められ、スキュティアの[[ディアーナ|ディアナ]]に劣らず過酷な[[タラニス]]神の祭壇が祀られる地の部族も然り。また、汝ら、歌人として、戦に斃れた雄々しい英霊を末永く未来に歌い伝える者たち、バルディ<ref name="druid">バルディはバード、ドルイダエは[[ドルイド]]。バードやドルイドへの言及があるのは彼らがテウタテスらへ捧げる人身御供の儀式に関わっていた、あるいは少なくともルカヌスはそう考えていた事を示す。</ref>よ、汝らも心安らかに数多の歌謡を歌った。また、ドルイダエ(druid)、汝らも、武器を置き、蛮族の習いの、聖なる儀式へと戻っていった。(空引数, ルカヌス, 内乱, 2012)</blockquote> 『内乱』その物にはこれ以上の記述はないが、四世紀から九世紀の間に書かれた『内乱』に対する古注を一つに集積した『コメンタ・ベルネンシア(Commenta Bernensia)』はこの人身御供に関する儀式により詳細に触れている。これによれば(メルクリウスと同一視された)テウタテスへは、水を満たした釜に人間を逆さに突っ込んで溺死させるという方法で生贄を捧げたとある。[[画像:Gundestrupkarret3.jpg|サムネイル|200px|[[グンデストルップの大釜]]のプレートの一つ]]グンデストルップの大釜には『コメンタ・ベルネンシア』が示した、釜を使った溺死による生贄の儀式を示したとも解釈できるプレートがある。歩兵と騎兵が行進しているためプレートが描いているのは戦いの儀式であると思われる。プレートの左端には神と解釈できる巨人<ref>「押さえつける方は,その身長から見て,戦争の神自身に違いない.」(デュヴァル, 2001, page628)</ref>が大釜の上に人をぶら下げている。このプレートが描いているのがケルトの戦いの儀式であり、巨人をテウタテスであると解釈するのであれば、テウタテスが戦いの神の性質を持つことを示す一つの根拠になる。ただしグンデストルップの大釜には様々な解釈が成立し定説がない。歩兵が儀式を行う神へと行進し、騎兵はその逆に行進していることに注目するのであれば、これは生贄ではなく、戦争の前に騎兵に施した儀式とも考えられる。そもそもケルト由来の物ではないとする説もある。 === ローマ的解釈 ===ガリア人の信仰について、カエサルは以下のように説明している。 <blockquote>神々の中ではメルクリウスを最も崇拝する。その像も一番数が多く、種々なわざを工夫したものと信じ、旅行者を導くもの、富の獲得や商売に大きな力を持つものと思っている。これに次ぐのはアポローやマルスやイゥピテルやミネルウァである。それについては他の人々と同じような考え方をしている。アポローは病気をはらい、ミネルウァは仕事やわざの手ほどきをし、イゥピテルは大空を支配し、マルスは戦争をつかさどる。戦争しようとする時にはその戦争の獲物をこの神に捧げる。勝てば捕まえた動物を犠牲にし、他の獲物を一箇所に集める。これらの物を積み重ねた山が多くの部族では神聖な場所に見られる。(空引数, カエサル, ガリア戦記)<ref>カエサル, 1968. page=200</ref></blockquote> カエサルの説明を言葉通りに受け取れば、ガリア人はローマ人と同様に「メルクリウス」や「アポロー」といった神々を信仰していたように見えるが、これは正しくない。カエサルはガリア人の神を指して、それに近い性質をもつローマの神の名前を使用する事でローマ人への説明を行っている。こうしたローマ人による他の民族の神の捉え方をローマ的解釈(Interpretatio Romana)と呼ぶ。カエサルが挙げた神の中で「マルス」がテウタテスを指すものと考えられており<ref>鶴岡, 1999, page=88-89</ref><ref>「各種碑文を証拠に考えるのならマルスと同じ神とするのが正しい.」「だとしたら、テウタテスはマルスと同じ神である可能性が強くなろう.」(デュヴァル, 2001)</ref>、そうだとすれば続く戦の神に捧げた儀式についての記述もテウタテスへのそれを説明した物という事になる。 テウタテスとマルスとの対応は固定的なものではなく、ローマによるガリア平定後に作られた石碑の碑文にはテウタテスは[[マールス|マルス]]<ref>'''''Marti Toutati''' Ti(berius) Claudius Primus Attii liber(tus) v(otum) s(olvit) l(ibens) m(erito)''<br>''I(ovi) O(ptimo) M(aximo) et Riocalat(i) '''[To]utat(i) M-[ar(ti)]''' Cocid(i)o [vo]to feci-[t] Vita-[lis]''</ref>だけでなく[[メルクリウス]]<ref>''Mercur(io) / IOTOUVI[1]E / [3]OEIRNV / OAIRONIS ''; <br>''Merc[urio] / Tou[teno] / temp[lum] / cum [signo] / et orn[amentis] / Virili[s pos(uit)] / v(otum) s(olvit) [l(ibens) l(aetus) m(erito)].''</ref>とも同一視された事が示されている。後述する『コメンタ・ベルネンシア』においても、テウタテスはマルスともメルクリウスとも同一視されている<ref>ガリアにおいてマルスとメルクリウスは性質の近い存在であったと考えられている(マッカーナ, 1991, page36)。イオウォントゥカルス(Iovantucarus)もマルスとメルクリウスの両方に同一視されている。またヘニッグはアレイで信仰されていた名前の失われたケルトの戦の神が、(戦の神であるマルスではなく)メルクリウスと同一視されていた事を示している。(ギリー, 2014, page18)</ref>またトウティオリクス(Toutiorix)をテウタテスの異形であると見なすのであれば<ref>マイヤーは 『ケルト辞典』においてテウタテスとトウティオリクスで別項を立てている(マイヤー, 2001, pages154,157。</ref>、[[アポローン|アポロ]]とも同一視された事になる<ref>''In h(onorem) d(omus) d(ivinae) / '''Apollini Tou/tiorigi''' / L(ucius) Marinius / Marinia/nus |(centurio) leg(ionis) VII / Gem(inae) <nowiki>[[Alexan]]</nowiki>/[[d[r]ianae]] vo/ti compos''</ref>。しかし'''テウタテスはメルクリウスやアポロよりもマルスとの同一視を示す証拠が多い'''。 === TOTの指輪 ===
A large number of [[Roman Britain|Romano-British]] finger rings inscribed with the name "TOT", thought to refer to Toutatis, have been found in eastern Britain, the vast majority in [[Lincolnshire]], but some in [[Bedfordshire]], [[Nottinghamshire]] and [[Leicestershire]]. The distribution of these rings closely matches the territory of the [[Corieltauvi]] tribe.<ref>{{Cite web | last=Spicer | first=Graham | title=Missing Link To Bloodthirsty Ancient Celtic Warrior God Uncovered | url=http://www.culture24.org.uk/history%20%26%20heritage/archaeology/art49084 | date=16 July 2007 | access-date=2012-08-07 }}</ref> In 2005 a silver ring inscribed ''DEO TOTA'' ("to the god Toutatis") and ''[VTERE] FELIX'' ([use this ring] happily") was discovered at [[Hockliffe]], Bedfordshire. This inscription confirms that the ''TOT'' inscription does indeed refer to the god Toutatis.<ref>{{Cite web | title=Record ID: BH-C3A8E7 - Roman finger ring | url=http://finds.org.uk/database/artefacts/record/id/199113 | publisher=[[Portable Antiquities Scheme]] | date=3 November 2007 | access-date=2012-08-07 }}</ref>
==ローマ的解釈==
ガリア人の信仰について、カエサルは以下のように説明している。
 
<blockquote>神々の中ではメルクリウスを最も崇拝する。その像も一番数が多く、種々なわざを工夫したものと信じ、旅行者を導くもの、富の獲得や商売に大きな力を持つものと思っている。これに次ぐのはアポローやマルスやイゥピテルやミネルウァである。それについては他の人々と同じような考え方をしている。アポローは病気をはらい、ミネルウァは仕事やわざの手ほどきをし、イゥピテルは大空を支配し、マルスは戦争をつかさどる。戦争しようとする時にはその戦争の獲物をこの神に捧げる。勝てば捕まえた動物を犠牲にし、他の獲物を一箇所に集める。これらの物を積み重ねた山が多くの部族では神聖な場所に見られる。(空引数, カエサル, ガリア戦記)<ref>カエサル, 1968. page=200</ref></blockquote>
 
カエサルの説明を言葉通りに受け取れば、ガリア人はローマ人と同様に「メルクリウス」や「アポロー」といった神々を信仰していたように見えるが、これは正しくない。カエサルはガリア人の神を指して、それに近い性質をもつローマの神の名前を使用する事でローマ人への説明を行っている。こうしたローマ人による他の民族の神の捉え方をローマ的解釈(Interpretatio Romana)と呼ぶ。カエサルが挙げた神の中で「マルス」がテウタテスを指すものと考えられており<ref>鶴岡, 1999, page=88-89</ref><ref>「各種碑文を証拠に考えるのならマルスと同じ神とするのが正しい.」「だとしたら、テウタテスはマルスと同じ神である可能性が強くなろう.」(デュヴァル, 2001)</ref>、そうだとすれば続く戦の神に捧げた儀式についての記述もテウタテスへのそれを説明した物という事になる。
 
テウタテスとマルスとの対応は固定的なものではなく、ローマによるガリア平定後に作られた石碑の碑文にはテウタテスは[[マールス|マルス]]<ref>'''''Marti Toutati''' Ti(berius) Claudius Primus Attii liber(tus) v(otum) s(olvit) l(ibens) m(erito)''<br>''I(ovi) O(ptimo) M(aximo) et Riocalat(i) '''[To]utat(i) M-[ar(ti)]''' Cocid(i)o [vo]to feci-[t] Vita-[lis]''</ref>だけでなく[[メルクリウス]]<ref>''Mercur(io) / IOTOUVI[1]E / [3]OEIRNV / OAIRONIS ''; <br>''Merc[urio] / Tou[teno] / temp[lum] / cum [signo] / et orn[amentis] / Virili[s pos(uit)] / v(otum) s(olvit) [l(ibens) l(aetus) m(erito)].''</ref>とも同一視された事が示されている。後述する『コメンタ・ベルネンシア』においても、テウタテスはマルスともメルクリウスとも同一視されている<ref>ガリアにおいてマルスとメルクリウスは性質の近い存在であったと考えられている(マッカーナ, 1991, page36)。イオウォントゥカルス(Iovantucarus)もマルスとメルクリウスの両方に同一視されている。またヘニッグはアレイで信仰されていた名前の失われたケルトの戦の神が、(戦の神であるマルスではなく)メルクリウスと同一視されていた事を示している。(ギリー, 2014, page18)</ref>またトウティオリクス(Toutiorix)をテウタテスの異形であると見なすのであれば<ref>マイヤーは 『ケルト辞典』においてテウタテスとトウティオリクスで別項を立てている(マイヤー, 2001, pages154,157。</ref>、[[アポローン|アポロ]]とも同一視された事になる<ref>''In h(onorem) d(omus) d(ivinae) / '''Apollini Tou/tiorigi''' / L(ucius) Marinius / Marinia/nus |(centurio) leg(ionis) VII / Gem(inae) <nowiki>[[Alexan]]</nowiki>/[[d[r]ianae]] vo/ti compos''</ref>。しかし'''テウタテスはメルクリウスやアポロよりもマルスとの同一視を示す証拠が多い'''。
 
==人身御供の儀式==
ルカヌスは『内乱』においてテウタテスを[[エスス]]や[[タラニス]]と共に人身御供を要求するガリアの神の一つとして挙げている。
<blockquote>酷烈のテウタテス神がおぞましい(人身御供の)血で、また恐るべき[[エスス]]神が野蛮な祭壇で鎮められ、スキュティアの[[ディアーナ|ディアナ]]に劣らず過酷な[[タラニス]]神の祭壇が祀られる地の部族も然り。また、汝ら、歌人として、戦に斃れた雄々しい英霊を末永く未来に歌い伝える者たち、バルディ<ref name="druid">バルディはバード、ドルイダエは[[ドルイド]]。バードやドルイドへの言及があるのは彼らがテウタテスらへ捧げる人身御供の儀式に関わっていた、あるいは少なくともルカヌスはそう考えていた事を示す。</ref>よ、汝らも心安らかに数多の歌謡を歌った。また、ドルイダエ(druid)、汝らも、武器を置き、蛮族の習いの、聖なる儀式へと戻っていった。(空引数, ルカヌス, 内乱, 2012)</blockquote>
『内乱』その物にはこれ以上の記述はないが、四世紀から九世紀の間に書かれた『内乱』に対する古注を一つに集積した『コメンタ・ベルネンシア(Commenta Bernensia)』はこの人身御供に関する儀式により詳細に触れている。これによれば(メルクリウスと同一視された)テウタテスへは、水を満たした釜に人間を逆さに突っ込んで溺死させるという方法で生贄を捧げたとある。
[[画像:Gundestrupkarret3.jpg|サムネイル|200px|[[グンデストルップの大釜]]のプレートの一つ]]
グンデストルップの大釜には『コメンタ・ベルネンシア』が示した、釜を使った溺死による生贄の儀式を示したとも解釈できるプレートがある。歩兵と騎兵が行進しているためプレートが描いているのは戦いの儀式であると思われる。プレートの左端には神と解釈できる巨人<ref>「押さえつける方は,その身長から見て,戦争の神自身に違いない.」(デュヴァル, 2001, page628)</ref>が大釜の上に人をぶら下げている。このプレートが描いているのがケルトの戦いの儀式であり、巨人をテウタテスであると解釈するのであれば、テウタテスが戦いの神の性質を持つことを示す一つの根拠になる。ただしグンデストルップの大釜には様々な解釈が成立し定説がない。歩兵が儀式を行う神へと行進し、騎兵はその逆に行進していることに注目するのであれば、これは生贄ではなく、戦争の前に騎兵に施した儀式とも考えられる。そもそもケルト由来の物ではないとする説もある。
==関連項目==

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