紀元前1500年頃の古代オリエントの地では約4種の野生バラがあり、ここから交雑によっていくつかの品種が誕生したといわれている<ref>中尾, 2006, p452</ref>。バラはギリシャ時代を経て古代ローマへと伝播し、ヨーロッパの文化に定着することとなる<ref>中尾, 2006, p452</ref>。
[[古代ギリシア]]・[[古代ローマ|ローマ]]では、バラは愛の女神古代ギリシア・ローマでは、バラは愛の女神[[アプロディーテー|アプロディテ]]もしくは[[ウェヌス]](ヴィーナス)と関係づけられた<ref name="baraken"/>。また香りを愛好され、香油も作られた。[[プトレマイオス朝]][[古代エジプト|エジプト]]の女王[[クレオパトラ7世|クレオパトラ]]はバラを愛好し。また香りを愛好され、香油も作られた。プトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラはバラを愛好し<ref name="baraken"/>、[[ガイウス・ユリウス・カエサル|ユリウス・カエサル]]を歓待したときもふんだんにバラの花や香油を使用したと伝えられている。、ユリウス・カエサルを歓待したときもふんだんにバラの花や香油を使用したと伝えられている。
ローマにおいてもバラの香油は愛好され、[[北アフリカ]]や中近東の[[属州]]で盛んにバラの栽培が行われた。クレオパトラと同様にバラを愛した人物に、暴君として知られる第5代[[ローマ皇帝]][[ネロ]]がいるローマにおいてもバラの香油は愛好され、北アフリカや中近東の属州で盛んにバラの栽培が行われた。クレオパトラと同様にバラを愛した人物に、暴君として知られる第5代ローマ皇帝ネロがいる<ref name="baraken"/>。彼がお気に入りの[[ローマ貴族|貴族]]たちを招いて開いた宴会では、庭園の池にバラが浮かべられ、バラ水が噴き出す[[噴水]]があり、部屋はバラで飾られ、皇帝が合図をすると天井からバラが降り注ぎ、料理にもバラの花が使われていたと伝えられる。。彼がお気に入りの貴族たちを招いて開いた宴会では、庭園の池にバラが浮かべられ、バラ水が噴き出す噴水があり、部屋はバラで飾られ、皇帝が合図をすると天井からバラが降り注ぎ、料理にもバラの花が使われていたと伝えられる。
[[中世ヨーロッパ]]ではバラの美しさや芳香が「人々を惑わすもの」として[[キリスト教会]]によってタブーとされ、[[修道院]]で[[薬草]]として栽培されるにとどまった<ref name="baraken"/>。