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***: 甲佐神社祭神。健磐龍命の子ともいう。大宮司の始め<ref name="gunshi"/>。
*** 孫:高橋神<ref name="ricchi">[http://www.aso-dm.net/?阿蘇神社の立地 阿蘇神社の立地] - 阿蘇ペディア(2018年7月25日 午後8時54分(JST)閲覧)</ref>
***: [[両神社]]([[小国町 (熊本県)|小国町]])祭神。速瓶玉命の第2子。両神社(小国町)祭神。速瓶玉命の第2子。*** 孫:[[火宮神]](日宮神とも)孫:火宮神(日宮神とも)<ref name="ricchi"/>
***: 両神社祭神。速瓶玉命の第3子。
=== 日本書紀 ===
『[[日本書紀『日本書紀』には、阿蘇都彦について次のような記載がある。景行天皇18年6月16日に景行天皇(第12代天皇)は九州巡幸]]』には、阿蘇都彦について次のような記載がある。[[景行天皇]]18年6月16日に景行天皇(第12代天皇)は[[景行天皇#九州巡幸|九州巡幸]]の一環として阿蘇国に到ったが、その国の野原は広く遠く、人居は見えなかった。そこで天皇は「是国に人有りや。」と言った。するとその時一環として阿蘇国に到ったが、その国の野原は広く遠く、人居は見えなかった。そこで天皇は「是国に人有りや。」と言った。するとその時'''阿蘇都彦'''・'''阿蘇都媛'''の二神があり、たちまちに人になって天皇のもとにいたり、「吾二人在り。何ぞ人無らんや。」と言った。ゆえにその国をなづけて'''[[阿蘇国|阿蘇]]'''といったという。ただし、『日本書紀』には阿蘇都彦と健磐龍命を同人とする記録はないことに留意される。
=== 肥後国風土記 ===
『[[肥後国風土記]]』にも『日本書紀』とほぼ同内容の記載がある。景行天皇の発言は『日本書紀』と同一だが、二神の発言は「吾二神、阿蘇都彦阿蘇都媛、見(いま)此の国に在り。何ぞ人無らんや。」となっている。『肥後国風土記』にも『日本書紀』とほぼ同内容の記載がある。景行天皇の発言は『日本書紀』と同一だが、二神の発言は「吾二神、阿蘇都彦阿蘇都媛、見(いま)此の国に在り。何ぞ人無らんや。」となっている。
=== 延喜式 ===
[[延喜式神名帳]]には、[[肥後国]][[阿蘇郡]]の[[名神大社]]として「健磐龍命神社(たけいわたつ 延喜式神名帳には、肥後国阿蘇郡の名神大社として「健磐龍命神社(たけいわたつ の みこと の -)」が記載され、現在は'''[[阿蘇神社]]'''一宮の祭神が健磐龍命である<ref name="ruien"/>。
この阿蘇神社の創始は、[[孝霊天皇]]の9年6月に、孝霊天皇(第7代天皇)がこの阿蘇神社の創始は、孝霊天皇の9年6月に、孝霊天皇(第7代天皇)が'''[[速瓶玉命]]'''<ref name="keizu"/>([[#系譜|前述]])に[[勅]]して健磐龍命を神として祀らせたこととされる(前述)に勅して健磐龍命を神として祀らせたこととされる<ref name="gunshi"/>。またこの月の26日に勅して阿蘇宮を修造させた<ref name="gunshi"/>ともいう。
また、阿蘇神社は景行天皇が阿蘇を訪れた時([[#日本書紀|前述]])に速瓶玉命([[#系譜|前述]])に命じて[[宮地町|宮地村]]に建てたものであるともいう。また、景行天皇18年に景行天皇はまた、阿蘇神社は景行天皇が阿蘇を訪れた時(前述)に速瓶玉命(前述)に命じて宮地村に建てたものであるともいう。また、景行天皇18年に景行天皇は'''[[健渟美命]]'''([[#系譜|前述]])に[[勅]]して特に阿蘇神社への崇敬を尽くさしめたともいう(前述)に勅して特に阿蘇神社への崇敬を尽くさしめたともいう<ref name="gunshi"/>。
=== 国造本紀 ===

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