平安時代から中世にかけての説話に登場する多くの鬼は、怨霊の化身、人を食べる恐ろしい怪物である。京都北西の大江山には[[酒呑童子]]と呼ばれる鬼の親分が本拠地を構え、[[茨木童子]]を始めとする多くの子分を統率していたといい、その描写は赤毛で角があり、髭も髪も眉毛もつながっており、手足は[[クマ|熊]]の手のようで、京の町からさらってきた若い女性の肉を常食していたという。『伊勢物語』第6段に夜女をつれて逃げる途中に鬼に女を一口で食べられる話があり、ここから危難にあうことを「[[鬼一口]]」と呼ぶようになるが、岡部隆志はこれを、戦乱・災害・飢饉などの社会不安の中で頻出する人死にや行方不明を「異界がこの世に現出する現象」と解釈したものであり、人の体が消えていくことのリアルな実演であり、この世に現れた鬼が演じてしまうものと推測している。また岡部は、鬼は異界の来訪者であり、人を向こう側の世界に拉致する悪魔であり、昔話のように福を残して去る神ともしている(例:[[一寸法師]]、[[こぶとりじいさん|瘤取り爺さん]]の鬼)。異界と幻想される地名として大江山が著名であるが、それは京の都にとって大江山が異界の山であったためであり、異界としての山に接する地域には鬼伝承は多い<ref>神伝覧</ref>。
[[二松学舎大学]]教授の[[小山聡子]]によれば、平安時代には仏教経典に基づく鬼、モノノケや正体定かではない死霊が鬼として描かれたもの、二松学舎大学教授の小山聡子によれば、平安時代には仏教経典に基づく鬼、モノノケや正体定かではない死霊が鬼として描かれたもの、[[疫神]]として登場する鬼などに特に区別はなく、大きな身体、一つ目、大きな口、角、赤い褌、手足が三本指などの特徴が示されることが多く、これは仏教経典に描かれた鬼の図像の影響が大きいと指摘する{{sfn|<ref>小山聡子|, 2020|p=159}}(ただし、モノノケの場合は『[[山海経]]』など他の書物の図像の影響を受けた鬼とは異なる系統の図像も存在しているが、いずれも当時の人々が恐怖に感じた図像のイメージが重ね合わされたことでは共通する{{sfn|, p159</ref>(ただし、モノノケの場合は『山海経』など他の書物の図像の影響を受けた鬼とは異なる系統の図像も存在しているが、いずれも当時の人々が恐怖に感じた図像のイメージが重ね合わされたことでは共通する<ref>小山聡子|, 2020|pp=159, pp159-164}}</ref>)。
[[国文学者]]・[[阿部正路]]、[[歴史学者]]・[[松本新八郎]]、[[評論家]]・[[馬場あき子]]が指摘するように、鬼の形態の歴史を辿れば、初期の鬼というのは皆女性の形であり『[[源氏物語]]』に登場する鬼とは怨霊のことであるが、[[渡辺綱]]の[[一条戻橋]]に出てくるように、初めのころは女性の形で出てくる。国文学者・阿部正路、歴史学者・松本新八郎、評論家・馬場あき子が指摘するように、鬼の形態の歴史を辿れば、初期の鬼というのは皆女性の形であり『源氏物語』に登場する鬼とは怨霊のことであるが、渡辺綱の一条戻橋に出てくるように、初めのころは女性の形で出てくる。
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