新羅の国の東海岸の迎日湾のほとりに'''細烏女'''(せおにょ)と'''延烏朗'''(よのおらん)という老夫婦が住んでいた。延烏朗が海藻を採りに海へ行くと、乗っていた岩が動き出して沖へ流れた。数日の漂流の後、岩は豊穣な国の浜に流れ着いた。浜の人達は吉祥として延烏朗を王とした。
新羅では延烏朗が去った日から太陽が現れなくなった。延烏朗の妻の細烏女は、海岸で夫の草履を見つけて、夫が亡くなったと思い大声で泣いた。すると乗っていた岩が動き出し、沖へ流れた。細烏女は夫が流れ着いたのと同じ浜に着いた。そこで夫と再会し、王妃となった。新羅では延烏朗が去った日から太陽が現れなくなった。延烏朗の妻の細烏女は、海岸で夫の草履を見つけて、夫が亡くなったと思い大声で泣いた。すると乗っていた岩が動き出し、沖へ流れた。細烏女は夫が流れ着いたのと同じ浜に着いた。そこで夫と再会し、王妃となった。細烏女が去ると、新羅では太陽に続いて、月までもが現れなくなった。 日官に占わせたところ「東海に住んでいた日の神と月の神の夫婦が、遠く東の国に移り住んだためである。」とのことだった。王は使者を送って、細烏女と延烏朗に新羅に戻るように懇願させた。延烏朗は帰国を断り、「王妃細烏女の織った細綃(織物)を持ち帰って、天にその意を告げ、祭祀を行えば、必ずや日月の光は戻るであろう。」と告げ、反物一反を使者に渡した。使者がこれを持ち帰り、細綃を高く天に降り掲げて、祭祀を行ったところ、日月が再び現れるようになった。 この祭祀を行った場所が迎日湾の「日月池」で、その細綃を保管した蔵が貴妃庫である。 == 参考文献 ==* 「日の神と月の神」、朝鮮の神話と伝説、申来鉉、太平出版社、1972、p57-65
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