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== 迷宮図形 ==
外部への開口部からゴールへと至る小路によって形成される円形もしくは矩形の幾何学図形群が迷宮(Labyrinth)と呼ばれている。対して、迷路(maze)は途中に現れる分岐や袋小路を克服してゴールに至る[[ゲーム|遊戯]]性の強い構造を持つ図形となっており、迷路と迷宮は曖昧に区別されて使われているが本質的に別物であるは途中に現れる分岐や袋小路を克服してゴールに至る遊戯性の強い構造を持つ図形となっており、迷路と迷宮は曖昧に区別されて使われているが本質的に別物である<ref name="Nakajima">中島和歌子「「迷宮(Labyrinth)」図像群に関する一考察 : 迷宮史概略,および現代アメリカにおける迷宮図像活用について」『東京大学宗教学年報 』(29) 東京大学文学部宗教学研究室 {{, doi|:10.15083/00030437}} , 2011 pp.105-126.</ref>。
Hermann Kernは、古典的な迷宮の特徴を以下のように列挙している<ref name="Nakajima"/>。
* 中心のそばを繰り返し通る。
* 必然的に中心に至る。
* 中心から脱出する際、行きと同じ道を再び通らなければならない{{Sfn|<ref>和泉|, 2000|pp=45, pp45-46}}</ref>
このように本来の迷宮の構造は秩序だったものであり、古典的な迷宮図像には迷う要素は無い<ref name="Nakajima"/>。
[[ローマ帝国]]時代から迷宮と迷路を混同するような文献が数多く見られ、[[紀元前1世紀]]から[[1世紀]]ごろに迷宮が迷路的なイメージとして定着されたと考えられている{{Sfn|ローマ帝国時代から迷宮と迷路を混同するような文献が数多く見られ、紀元前1世紀から1世紀ごろに迷宮が迷路的なイメージとして定着されたと考えられている<ref>和泉|, 2000}}{{要ページ番号|date=2014年10月}}<sup>7''(要ページ番号、2014年10月)''</sup></ref>
==歴史と考察==
[[新石器時代]]から世界の各地で迷宮図形は描かれており、クレタ型迷宮は古典的迷宮の特徴を兼ね揃えた代表的なものである。 新石器時代から世界の各地で迷宮図形は描かれており、クレタ型迷宮は古典的迷宮の特徴を兼ね揃えた代表的なものである。 『迷路研究』を著したカール・ケレイニーによれば、迷宮図形は[[螺旋]]模様が発展したものであり、螺旋や迷宮図形は地下世界の地図であり、死の象徴であるといい、古代人にとって、迷宮に入ることは死を意味し、迷宮から出ることは転生を意味するという{{sfn|『迷路研究』を著したカール・ケレイニーによれば、迷宮図形は螺旋模様が発展したものであり、'''螺旋や迷宮図形は地下世界の地図であり、死の象徴であるといい、古代人にとって、迷宮に入ることは死を意味し、迷宮から出ることは転生を意味するという'''<ref>ボード|, 1977|pp=5, pp5-10}}</ref>
古代から現代に至るまで、迷宮は様々な場面で実用的に用いられた。古代エジプトなどの防御施設では、中央部に接近するためには一本道の小路を折り返して辿らなければならない構造が施されているものがあり、防衛用途としての迷宮構造と考えられている{{sfn|<ref>ボード|, 1977|pp=5, pp5-10}}。また、イギリスでは墓所や[[グラストンベリー・トー]]のような巡礼地の入口の前に迷宮を設け、入場希望者に小路を辿らせることで入場者数を制限していた。迷宮は[[魔除け]]にも利用されていた。古代の中国では[[悪魔]]は直線にしか飛べないと考えられており、外から入る悪魔を妨害するために住居や都市の構造に迷宮が用いられた。ヨーロッパでは牛舎の入り口や指輪、紋章などに迷宮図形そのものを魔除けとして施していた。</ref>。また、イギリスでは墓所やグラストンベリー・トーのような巡礼地の入口の前に迷宮を設け、入場希望者に小路を辿らせることで入場者数を制限していた。迷宮は魔除けにも利用されていた。古代の中国では悪魔は直線にしか飛べないと考えられており、外から入る悪魔を妨害するために住居や都市の構造に迷宮が用いられた。ヨーロッパでは牛舎の入り口や指輪、紋章などに迷宮図形そのものを魔除けとして施していた。
=== 語源 ===
===キリスト教===
[[File:Labyrinthe Gaucher Jean Lou Jean d'Orbais Bernard de Soissons dessin jacques Cellier XVIe html m7e77111d.jpg|thumb|200px|[[ノートルダム大聖堂 (ランス)]]の迷宮図(13世紀)]]
[[File:Labyrinth at Chartres Cathedral.JPG|thumb|300px|シャルトル大聖堂の床]]
迷宮がキリスト教に受容された最古の例として、[[アルジェリア]]のエル・アスナムにある[[4世紀]]に作られたレパラトゥス教会の[[バシリカ]]の床に描かれたクレタ型迷宮が挙げられる<ref name="Nakajima"/>{{sfn|ボード|1977|p=84}}。キリスト教教会の迷宮は時代を下るにつれてクレタ型が廃れ、よりキリスト教的シンボリズムや宇宙観に調和した迷宮が現れるようになる。
12世紀から14世紀にかけて、フランス北部の[[シャルトル大聖堂]]、[[ノートルダム大聖堂 (ランス)]]、[[ノートルダム大聖堂 (アミアン)]]などの[[ゴシック建築]]式の教会の床に、大型の迷宮が描かれるようになった。ゴシック期には迷宮の持つ聖性は失われ始め、分岐や袋小路といった迷路の性格を持った迷宮も現れるようになった<ref name="Nakajima"/>。
[[category:ギリシア神話]]
[[Category:用語]]
[[Category:黄泉の国]]

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