『説文解字』での解説をはじめ、女神であるとされるのが一般的である。『世本』「氏姓篇」のように性別を男としている例(「弟」と示されており、「女」という氏族であることから「女皇」と称されたという)も見られ、伏羲の配偶者・女神として描かれる文献が確認される時代が新しいものであった点から、「性別は本来は男であった」とされる説が中国などの学者間でも強く存在していたが、考古学方面での墳墓の壁画や石棺・帛画などの発見や人類学方面での伝承の採集により、女媧は女神として存在していたという説が主流となるに至っている<ref name="聞石室">袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 409頁</ref><ref>聞一多 、〈訳註〉中島みどり 『中国神話』 平凡社 〈東洋文庫〉1989年 12-22頁</ref>。
== 婚姻神としての女媧 ==
'''婚姻制度'''を作ったともされ男女を結婚させ子孫繁栄したことから婚姻の女神、楽器を作ったことから音楽の女神ともされる<ref>https://older.minpaku.ac.jp/museum/showcase/media/ibunka/181. 創世神話(5) ─ 女娲―中国の創生女神─, 国立民族学博物館, 2022-01-23</ref>。
== 人類創造 人類創造・創造神としての女媧 ==
人間をつくった存在であるとされており、女媧が泥をこねてつくったものが人類のはじまりだと語られている(搏土造人、抟土作人)。後漢時代に編された『風俗通義』によると、つくりはじめの頃に黄土をこねてていねいにつくった人間がのちの時代の貴人であり、やがて数を増やすため縄で泥を跳ね上げた飛沫から産まれた人間が凡庸な人であるとされている<ref>太平御覽/0078</ref><ref name="松村">松村武雄 『中国神話伝説集』 社会思想社 1976年 54-57頁 ISBN 4-390-10875-1</ref><ref group="私注">女媧を「母神」とする集団は、非常に早い段階から「階級」という意識が生じていたことが窺える。</ref>。『楚辞』「天問」にも「女媧以前に人間は無かったが女媧は誰がつくったのか」という意味のことが記されており、人間を創造した存在であるとされていた<ref name="中国">袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 130-136頁</ref>。また『淮南子』「説林訓」には70回生き返るともあり、'''農業神'''としての性格をも持つ。
伏羲と共に現在の人類を生みだした存在であると語る神話伝説も中国大陸には口承などのかたちで残されている。大昔に天下に大洪水が起きるが、[[ヒョウタン]]などで造られた舟によって兄妹が生き残り、人類のはじめになったというもので、この兄妹として伏羲・女媧があてられる。このような伝説は[[ミャオ族|苗族]]やチワン族などにも残されている<ref name="開闢"/>。聞一多は、伏羲・女媧という名は葫蘆(ヒョウタン)を意味する言葉から出来たものであり、ヒョウタンがその素材として使われていたことから「笙簧」の発明者であるという要素も導き出されたのではないかと推論仮説している<ref name="聞">聞一多 、〈訳註〉中島みどり 『中国神話』 平凡社 〈東洋文庫〉1989年 87-97頁</ref>。
== 天地修復 天地修復・土木技術神としての女媧 ==
『淮南子』「覧冥訓」には、女媧が天下を補修した説話を載せている。古の時、天を支える四極の柱が傾いて、世界が裂けた。天は上空からズレてしまい、大地は割れ、すべてを載せたままでいられなくなった。火災や洪水が止まず、猛獣どもが人を襲い食う破滅的な状態となった。女媧は、五色の石を錬(ね)りそれをつかって天を補修し(錬石補天)、大亀の足で四柱に代え、黒竜の体で土地を修復し、芦草の灰で洪水を抑えたとある<ref name="松村" />。
== 日本への伝来時期 ==
日本における文献への登場例は、『続日本紀』(巻3)慶雲3年(706年)11月3日条に、文武天皇が新羅国王に対し、「漸無練石之才」と女媧による錬石補天を引用した文書を送っていることから、少なくとも律令時代には認識されていたことがわかる<ref group="私注">古代の日本人は中国とよく交通していたので、弥生時代かあっるいは縄文中期の出産土器が作られた辺りから知っていたと個人的には思う。女媧信仰は日本の女性形の龍蛇信仰と非常に大きく関わっており、弥生以降は特に中部日本で九頭竜女神とそれに類する龍蛇女神として民間で祀られているように思う。縄文系の人々の中で、女媧の原型に当たる女神は天から石に降り立つ御社宮司神であると思う。どちらも母系の文化の強い女神であるので、「夫」の存在の形跡は薄い。古代の日本人は中国とよく交通していたので、弥生時代かあっるいは縄文中期の出産土器が作られた辺りから知っていたと個人的には思う。女媧信仰は日本の女性形の龍蛇信仰と非常に大きく関わっており、弥生以降は特に中部日本で九頭竜女神とそれに類する龍蛇女神として民間で祀られているように思う。縄文系の人々の中で、女媧の原型に当たる女神は天から石に降り立つ御社宮司神であると思う。どちらも母系の文化の強い女神であるので、「夫」の存在の形跡は薄い。朝鮮で女媧の原型に近い女神は[[娑蘇夫人]]と考える。管理人の中では、[[娑蘇夫人]]、御社宮司神、九頭竜女神が北東アジアの「'''三大女媧女神'''」である。</ref>。
道教に組み込まれた上での女媧・[[伏羲]]についての信仰が日本に渡来した時期に関しては、早い時期で紀元前1世紀(弥生時代中期)説がある。鳥取市の歴史研究家の小坂博之の考察によれば、鳥取県国府町所在の今木神社が所有する線刻された石に描かれた胴が長い人絵が女媧・[[伏羲]]に当たるとしている(石の大きさは、直径75センチ、短径63センチ)。調査によれば、「鳥」「虎」と読める漢字も刻まれており、その書体から中国山東省に残る「魯孝王刻石」(紀元前56年成立)にある「鳳」の中にある鳥が最も酷似し、隷書体の中でも古い時代にある古隷の書体と考えられている。『淮南子』(前2世紀成立)では、「鳥」は無道・殺りくの神を表し、「虎」は兵戦の神を表している。このことから、「天地再生・人類創造の神である伏羲と女媧に祈り、兵戦の神(虎)と無道・殺りくの神(鳥)を遠ざけ、災厄の除去を願ったもの」と解釈されている(しかし、この神の性格が兵戦の神(虎)と無道・殺りくの神(鳥)である可能性も考えられる)。刻石自体が亀甲と形状が類似することから、甲を用いた占いと共通し、『淮南子』の知識を有したシャーマンか王が用いたと考えられている<ref>『月刊 文化財発掘出土情報 1999 9 通巻208号』 (株)ジャパン通信情報センター ISSN 0287-9239 pp.88 - 89 </ref>。
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[[Category:農耕神開拓神]][[Category:土木技術神]]
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