差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
162 バイト除去 、 2022年9月16日 (金) 00:54
編集の要約なし
人間の'''非業の永生を司る女神'''であった西王母であったが、「死と生命を司る存在を崇め祭れば、非業の死を免れられる」という、恐れから発生する信仰によって、徐々に「不老不死の力を与える神女」というイメージに変化していった。
六朝時代に道教が成立すると、道教の文献『元始上真衆仙記』に収録された東晋時代の道教研究家である葛洪の「枕中書」の中で東王父と西王母は、元始天王<ref group="私注">伏羲ともいえるか?</ref>と太元玉女(太元聖母とも呼ばれている)との間に生まれた'''双生の神'''であり、陽の気と陰の気の神格化と考えられる<ref>『元始上真衆仙記』「葛洪枕中書」, 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%85%83%E5%A7%8B%E4%B8%8A%E7%9C%9F%E7%9C%BE%E4%BB%99%E8%A8%98, ウィキソース</ref>。その後の西王母の来歴を記した道教の文献によれば、西王母は西華の至妙の気によって化生し、神洲伊川に生まれ、生まれつき飛翔することができ、陰霊の気を主宰する。頭に勝を戴き、虎の歯を持つ唸る者は西王母の使い、金方白虎の神で、西王母の真形ではない<ref>『広博物志』巻十三, 2021/08/21, https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%BB%A3%E5%8D%9A%E7%89%A9%E5%BF%97_(%E5%9B%9B%E5%BA%AB%E5%85%A8%E6%9B%B8%E6%9C%AC)/%E5%8D%B713, ウィキソース</ref>。西王母は極めて強い陰の気の本源であり、東王父とともに万物を生み育み、その位は西方に配され、天上天下、三界十方の女性の登仙得道した者(天に昇って仙人になる女性)は、みな彼女のもとに所属する。<ref>『墉城集仙録』巻一。『歴世真仙体道通鑑後集』巻一。『太平広記』巻五十六。</ref>張君房の『雲笈七籤』に収録された「道蔵三洞経」には、西王母は太陰の元気で、姓は自然で字は君思で、下は崑崙の山を治め、上は'''北斗を治める'''<ref>『雲笈七籤』巻十八, 2021/08/21, https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%9B%B2%E7%AC%88%E4%B8%83%E7%B1%A4/18#%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E4%BB%99, ウィキソース</ref>。道教の文献『上清霊宝大法』では、西王母は梵気の祖(あるいは万気の母<ref>『上清霊宝大法』巻二十六「行道章」, 2021/10/26 |url=http://www.daorenjia.com/daoz26-1376-1088, 道人家</ref>)と言われている<ref>『上清霊宝大法』巻四, 2021/10/26 , https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B8%85%E9%9D%88%E5%AF%B6%E5%A4%A7%E6%B3%95_(%E7%8E%8B%E5%A5%91%E7%9C%9F)/4#大行梵炁, ウィキソース</ref><ref name="太上洞玄霊宝無量度人上品経法"/>。また明末清初の文人・徐道による『歴代神仙通鑑』では、木公(東王父)は金母(西王母)との間に九人の子と五人の娘を生んだ<ref>『歴代神仙通鑑』巻一, 2021/08/20, https://books.google.com.sg/books?id=Y_hTAAAAcAAJ&pg=PP261&dq=%E6%9C%A8%E5%85%AC+%E9%87%91%E6%AF%8D++%E4%B9%9D%E5%AD%90%E4%BA%94%E5%A5%B3&hl=zh-CN&sa=X&ved=2ahUKEwjL_fmA0L7yAhUIT30KHTdRBwUQ6AEwAHoECAQQAg#v=onepage&q=%E6%9C%A8%E5%85%AC%20%E9%87%91%E6%AF%8D%20%20%E4%B9%9D%E5%AD%90%E4%BA%94%E5%A5%B3&f=false, Google ブックス</ref>。一説には西王母は八人の子を生み、南極長生大帝はその長子だった。一説には西王母は'''八人の子を生み'''、南極長生大帝はその長子だった<ref>『霊宝領教済度金書』巻二百六十, 2021/10/26, http://www.daorenjia.com/daoz26-1383-1792, 道人家</ref>。
[[班固]]の『漢武内伝』によれば、[[前漢]]の[[武帝 (漢)|武帝]]が長生を願っていた際、西王母は墉宮玉女たち(西王母の侍女)とともに天上から降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えたという班固の『漢武内伝』によれば、前漢の武帝が長生を願っていた際、西王母は墉宮玉女たち(西王母の侍女)とともに天上から降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えたという<ref name="漢武内伝">{{cite web|title=『漢武内伝』 |accessdate=, 2021/08/20 |url=, https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%AD%A6%E5%B8%9D%E5%85%A7%E5%82%B3 |publisher=, ウィキソース}}</ref>。さらに秘術の経典『五岳真形図』と養生の経典『霊光生経』を授与することがある<ref name="漢武内伝" />。『漢武内伝』は西王母の美しい容姿を初めて描写している。西王母は黄金色に光り輝く華美な衣装を纏い、霊飛大綬を佩用し、頭は太華髻を作り、太真晨嬰の冠を戴き、玄瓊鳳文の靴を履き、腰には分頭の剣(あるいは分景の剣<ref>{{cite web|title=『欽定古今図書集成』巻二百八十六 |accessdate=, 2021/08/23 |url=, https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AC%BD%E5%AE%9A%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E5%9C%96%E6%9B%B8%E9%9B%86%E6%88%90/%E7%B6%93%E6%BF%9F%E5%BD%99%E7%B7%A8/%E6%88%8E%E6%94%BF%E5%85%B8/%E7%AC%AC286%E5%8D%B7 |publisher=, ウィキソース}}</ref>)を帯びた三十歳くらいの絶世の美女である<ref name="漢武内伝" />。『漢武内伝』に登場する西王母の侍女の名前は、王子登、董双成、石公子、許飛瓊、阮凌華、范成君、段安香、安法嬰、郭密香、田四飛、李慶孫、宋霊賓である<ref name="漢武内伝" />。[[前漢|漢]]末の[[建平 (漢)|建平]]4年([[紀元前3年]])、華北地方一帯に西王母の[[お告げ]]を記したお札が拡散し、騒擾をもたらしたという記述が、『[[漢書]]』の「[[哀帝 (漢)|哀帝]]紀」や「五行志」に見える。。漢末の建平4年(紀元前3年)、華北地方一帯に西王母のお告げを記したお札が拡散し、騒擾をもたらしたという記述が、『漢書』の「哀帝紀」や「五行志」に見える。
道教の文献『太上老君説常清静経 杜光庭註』では、西王母は諸天神王帝主の母で、崑崙に居る。『天地論』によれば、西王母は崑崙西側の[[黄河]]の水の出るところに居る(一説には西亀の山に居て、龍山とも言い、これは九気の根紐、真土の淵府、[[西北]]の角、[[亥の子|亥子]]の間である<ref name="太上洞玄霊宝無量度人上品経法"/>)。西王母は天地の母である。また、[[玉皇大帝|天公]]・[[后土|地母]]は神々と三界を統率し、天上天下、西王母を至尊の母とみなす。<ref>{{cite web|title=『太上老君説常清静経杜光庭註』 |accessdate=2021/10/26 |url=https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%B8%8A%E8%80%81%E5%90%9B%E8%AA%AA%E5%B8%B8%E6%B8%85%E9%9D%9C%E7%B6%93%E6%9D%9C%E5%85%89%E5%BA%AD%E8%A8%BB |publisher=ウィキソース}}</ref>

案内メニュー