[[Image:XiwangmuPetit.jpg|thumb|left|西王母像([[漢代]]の[[拓本]])]]
[[Image:QueenMotherOfTheWest-Earthenware-EasternHanDynasty-ROM-May8-08.png|thumb|right|西王母像(漢代の素焼き像)]]
[[漢代]]になると西王母は[[神仙思想]]と結びついて変容していった。[[両性具有]]から男性的な要素が対となる男神の東王父として分離し{{sfn|漢代になると西王母は神仙思想と結びついて変容していった。両性具有から男性的な要素が対となる男神の東王父として分離し<ref>徐 |, 1998|pp=164, pp164-178}}、ともに[[不老不死]]の支配者という性格が与えられていった。</ref>、ともに不老不死の支配者という性格が与えられていった。
『[[荘子 (書物)|荘子]]』によれば、西王母を得道の真人としているし、『[[淮南子]]』では、西王母が持していた不死の薬を、[[姮娥]](恒娥)が盗んで月へと逃げたと記している。[[清代学者像伝|清代学者]]である{{仮リンク|丁謙|zh|丁謙 (清朝)}}の『穆天子伝地理考証』によれば、西王母は[[カルデア]]の月神と考えられている。『荘子』によれば、西王母を得道の真人としているし、『淮南子』では、西王母が持していた'''不死の薬'''を姮娥(恒娥)が盗んで月へと逃げたと記している。清代学者である丁謙の『穆天子伝地理考証』によれば、西王母はカルデアの月神と考えられている。
人間の非業の永生を司る女神であった西王母であったが、「死と生命を司る存在を崇め祭れば、非業の死を免れられる」という、恐れから発生する信仰によって、徐々に「不老不死の力を与える神女」というイメージに変化していった。人間の'''非業の永生を司る女神'''であった西王母であったが、「死と生命を司る存在を崇め祭れば、非業の死を免れられる」という、恐れから発生する信仰によって、徐々に「不老不死の力を与える神女」というイメージに変化していった。
[[六朝時代]]に[[道教]]が成立すると、道教の文献『元始上真衆仙記』に収録された[[東晋]]時代の道教研究家である[[葛洪]]の「枕中書」の中で東王父と西王母は、[[盤古|元始天王]]と{{仮リンク|太元玉女|zh|太元玉女}}(太元聖母とも呼ばれている)との間に生まれた双生の神であり、陽の気と陰の気の神格化と考えられる<ref>{{cite web|title=『元始上真衆仙記』「葛洪枕中書」 |accessdate=2021/08/20 |url=https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%85%83%E5%A7%8B%E4%B8%8A%E7%9C%9F%E7%9C%BE%E4%BB%99%E8%A8%98 |publisher=ウィキソース}}</ref>。その後の西王母の来歴を記した道教の文献によれば、西王母は西華の至妙の気によって化生し、神洲伊川に生まれ、生まれつき飛翔することができ、陰霊の気を主宰する。頭に勝を戴き、虎の歯を持つ唸る者は西王母の使い、金方白虎の神で、西王母の真形ではない<ref>{{cite web|title=『広博物志』巻十三 |accessdate=2021/08/21 |url=https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%BB%A3%E5%8D%9A%E7%89%A9%E5%BF%97_(%E5%9B%9B%E5%BA%AB%E5%85%A8%E6%9B%B8%E6%9C%AC)/%E5%8D%B713 |publisher=ウィキソース}}</ref>。西王母は極めて強い陰の気の本源であり、東王父とともに万物を生み育み、その位は西方に配され、天上天下、三界十方の女性の登仙得道した者(天に昇って仙人になる女性)は、みな彼女のもとに所属する。<ref>『墉城集仙録』巻一。『歴世真仙体道通鑑後集』巻一。『太平広記』巻五十六。</ref>張君房の『[[雲笈七籤]]』に収録された「道蔵三洞経」には、西王母は太陰の元気で、姓は自然で字は君思で、下は崑崙の山を治め、上は北斗を治める<ref>{{cite web|title=『雲笈七籤』巻十八 |accessdate=2021/08/21 |url=https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%9B%B2%E7%AC%88%E4%B8%83%E7%B1%A4/18#%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E4%BB%99 |publisher=ウィキソース}}</ref>。道教の文献『上清霊宝大法』では、西王母は梵気の祖(あるいは万気の母<ref>{{cite web|title=『上清霊宝大法』巻二十六「行道章」 |accessdate=2021/10/26 |url=http://www.daorenjia.com/daoz26-1376-1088 |publisher=道人家}}</ref>)と言われている<ref>{{cite web|title=『上清霊宝大法』巻四 |accessdate=2021/10/26 |url=https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B8%85%E9%9D%88%E5%AF%B6%E5%A4%A7%E6%B3%95_(%E7%8E%8B%E5%A5%91%E7%9C%9F)/4#大行梵炁 |publisher=ウィキソース}}</ref><ref name="太上洞玄霊宝無量度人上品経法"/>。また[[明末清初]]の文人・徐道による『歴代神仙通鑑』では、木公(東王父)は金母(西王母)との間に九人の子と五人の娘を生んだ<ref>{{cite web|title=『歴代神仙通鑑』巻一 |accessdate=2021/08/20 |url=https://books.google.com.sg/books?id=Y_hTAAAAcAAJ&pg=PP261&dq=%E6%9C%A8%E5%85%AC+%E9%87%91%E6%AF%8D++%E4%B9%9D%E5%AD%90%E4%BA%94%E5%A5%B3&hl=zh-CN&sa=X&ved=2ahUKEwjL_fmA0L7yAhUIT30KHTdRBwUQ6AEwAHoECAQQAg#v=onepage&q=%E6%9C%A8%E5%85%AC%20%E9%87%91%E6%AF%8D%20%20%E4%B9%9D%E5%AD%90%E4%BA%94%E5%A5%B3&f=false |publisher=[[Google ブックス]]}}</ref>。一説には西王母は八人の子を生み、[[南極老人|南極長生大帝]]はその長子だった<ref>{{cite web|title=『霊宝領教済度金書』巻二百六十 |accessdate=2021/10/26 |url=http://www.daorenjia.com/daoz26-1383-1792 |publisher=道人家}}</ref>。